优秀奖

「中日友好—若者の視点から—」

徐彤(天津外国语大学)

前途は明るいが、道は曲がりくねっている。

我々はよくその言葉で物事の発展を言う。中日友好の未来もそうである。蛇行しても、時々退いても、将来はきっと互いに支えて、ともに前へ進む関係になると信じている。

日本語を勉強してきた若者として、私は自分の経験と結びあわせて、自分の視点から中日友好について話したい。

大学に入る前、日本のイメージは大体教科書からもらった。一衣帯水の隣国で、中国とは昔から密接な両国である。何度も苦難を経験して、海を渡ってきた遣唐使、遣隋使。美談として伝わってくる阿部仲麻呂。それに、数多くの困難と危険を乗り越えて、日本について、仏教の教えを広めていた鑑真和尚。中日友好のため、命まで捧げる覚悟もある人たちに感心する。もちろん、友好の道が曲がりくねって、いつも順調に進むことではない。鎖国政策をとった中国が戦争に陥った。甲午戦争で、清の惨敗。第二次世界大戦で、日本が中国におかした罪。哀しい話もいろいろあった。1972年、ついに友好の光がさしてきた。しかし、教科書だけによっては、中日友好について、深く認識できなかった。

それから、日本語を専門として、大学に入った。日本語を勉強しながら、日本の歴史や文化にも接触した。日本という国はどんな国なのか、ますます理解できてきた。大学には日本人の先生がいる。この先生は、教育熱心で、毎日本を読んでいる60代の年寄りである。先生から日本についていろいろ教えてくれた。私は日本の桜、和服、木造のお寺などに興味があって、ぜひ日本に行きたいと思っていた。日本への理解を深めることを通じて、感じた距離感がますます薄くなってきた。勉強によって、ただの概論的な知識ではなくて、もっと具体的なイメージができた。しかしその時も、中日両国にはいろいろな問題があった。それらの問題はいまでもなかなか解決できない。

今年、私はインターンシップに参加して、7月から、三ヶ月間の実習生生活を始めた。働き場はホテルで、充実な日々を過ごしてきた。今度は、教科書だけではなくて、テレビやネットだけではなくて、自分の目で、耳で、自分自身で日本を感じている。緑いっぱいで、澄み切った空がある日本がすきである。効率的な仕事ぶり、いつでもどこでも聞こえる挨拶、細かいところまでの他人への思い遣りに感心する。京都のお寺、奈良の鹿に憧れている。もちろん日本にいるとき、いい事ばかりではなく、つらいときもある。しかし、その色々な経験があるからこそ、日本について、さらに中日友好について、自分の視点から纏められるだろう。

中日両国の関係が平和に進むときはもちろん大丈夫である。しかし、何かあったら、例えば、日本政府が公然と歴史を無視するとき、領土の紛争が激しくなるとき、若者はどうすればいいだろうか。頭に来て、日本をひとしきり避難したり、日本製品を排したりすることは一番いい選択だろうか。自分の立場を守りながら、もっと冷静的に対応すればどうだろうか?日本政府はさておいて、日本人には中国に好意を持っている人がたくさんいる。だから、遙かな見通しを持って、中日友好のために、力を尽くせばどうだろうか。対立の状態が続けば、中国の発展にも、日本の発展にも一利もない。グローバル化が進んでいる世界には、経済が密接している中日両国は自国の発展のために友好関係を守らなければならないと思っている。それに、中国は平和を先頭に立って提唱する国で、大国の責任感を持って、できるだけ隣国の日本と対立な姿勢をとらないようにするから、中日友好の道はいろいろな問題があっても、この先が明るいと信じている。

最近、翻訳しながら、いろいろな記事を見ていた。爆買いの中国人、マナー違反の中国人、多くの日本人が中国に対して親近感がなくなりつつあるそうである。それについて、中国人の若者として、考えなければならない。小さくても、強い日本には学ぶ価値のあるところがたくさんある。気持ちに左右されなくて、もっと理性的に、中日関係を認識すべきである。自分の国のために、中日友好のために、もっと相手の情況を理解して、最も賢明な選択をしよう。

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