优秀奖

「日本語ができて、よかった」

华北科技大学-李雪涛

みんなが知っているように、私たち日本語学科の学生にとって、日本は理想的で、行かなければならない国である。思い返せば、私は初めて日本語に会ったから、もう2年になった。でも、日本語の勉強は本当に辛い。昔から、「日本とは何か?僕は本当に日本語が好き?」という質問がずっと私の心にあっている。

だから、日本に対して、興味とか、疑問とか、複雑な感じを持って、今度の夏休みには、姉貴と一緒に日本へ飛んで行った。私たちは8月の初めに、北京から名古屋空港まで、ただ3時間ぐらいかかった。飛行機から見て、日本は狭くて長い島国だ。私たちのご存知のようだね。そして、町は数字の一のように築かせた。日本時間夜22時、日本に到着した。空港のスタッフと簡単な挨拶をして、これまで、日本に到着してきた感じが現れた。

第一日、初めて日本に来てから、スーパーで恥ずかしくて、小さな声で店員さんと話した私は本当に自信がなかった。でも、第二の日に、偶然的に、レストランでご飯を食べたときに、店員さんに「すみません、お手洗いはどこですか?」と言って、同行の皆さんは私が日本語を話しできるのを発見した。これから、私の短い通訳生活が始まった。

ツアーには、姉貴と私を除いて、ほかの人は全部母親と子供だった。30代ぐらいの女性は化粧品とか、カバンとか、そのようなものが大好きだ。だから、毎日化粧品の説明をおばさんたちに訳して、ちょっとおかしい。実際に、その化粧品の説明には、半分ぐらいの単語は私にもわからない。ほかの半分は多分漢字語だ。いいかえれば、私たち中国人に対して、大意をつかんで、理解するのは大丈夫で、全然問題ないと思う。でも、しっかり考えて、私たちはあくまでも外国人だ。今、知らない国にいる。日本語学科の学生としての私は、日本に到着した後で、イライラして、気持ちが悪くなった。同行の人は言うまでもなく、きっと不安と感じている。こんな時、ある人に頼んで、心に少し安心な気持ちを感じえることは最高だと思っていた。その一方で、私も日本語でコミュニケーションの能力を鍛えて、心から感謝しておる。中国には、「郷に入っては郷に従う」という諺があったから、あの日から、ツアーのみんなは心の荷物をおろすように、日本特有の文化を感じ始めた。

実際に、歴史などの原因で、私たち中国人には、日本とは悪魔だと思っている人は少なくない。言わば、それは一般的な認識だと言っても過ぎることはない。特に、父親の世代にはその認識が深い。しかし、時代が変わって行っている。今現在、私たち大学生、いわゆる、青年にとって、日中の歴史と痛みを忘れてはならないままに、現代日本の発展に注目して、一緒に日中関係を維持するのは必要だと思っている。中国の周恩来元総理は1950年代から、「大同につき、小異を残す」という外交的な理論を提唱していた。中日交流という異文化交流もそのような行き方で行っていることだと思っている。今年、Rioオリンピックの開催中、日本人卓球選手の福原愛さんは中国に人気者になった。福原選手のかげで、中日関係もだんだん暖かくなっていることがあった。これから、私も福原選手のように、中日交流の橋になるのを目標に日本語を勉強する。

人生は旅である。日本語の勉強も中日関係の発展も流れに逆らって船を進めることである。途中で、急流もあり、暗礁もあり、でも、ある日、対岸に至るとき、美しい景色に酔い、こんな感慨が心から出された「ああ、日本語ができて、本当によかった!」

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