日本历史人物辞世之句:死亡亦可很美
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在原
在原業平(ありわら の なりひら):阿保亲王之五子,居“六歌仙”(在原业平、小野小町、僧正遍昭、大伴黑主、文屋康秀、喜撰法师)之首。平安时代的歌物语《伊势物语》主人公即是虚化现实生活中的在原业平。
ついに行く 道とはかねて 聞きしかど 昨日今日とは 思はざりしを
人間誰しも最後にはたどる死出の道だとは、聞き知っていたけれど、それが昨日今日というほどに差し迫ったものだとは思わなかった。
西行
西行(さいぎょう):平安时代末期至镰仓时代初期武士、僧侣、歌人,他多次游历在外,对包括松尾芭蕉在内的后代歌人产生影响。
徳川慶喜
徳川慶喜(とくがわ よしのぶ):生于天保八年9月29日(1837年10月28日),卒于大正二年(1913年)11月22日。德川幕府的第15代将军,也是末代将军。
この世をば しばしの夢と 聞きたれど おもへば長き 月日なりけり
これで、とうとうこの世ともお別れだ。人生とは短い夢のようなものだと聞いていたが、振り返ってみればずいぶんと長い年月を生きてきたものだ。
高杉晋作
高杉晋作(たかすぎ しんさく):日本幕末时期的著名政治家和军事家,长州藩尊王讨幕派领袖之一,奇兵队的创建人。幕府末期尊攘、倒幕运动的志士。
おもしろき こともなく世に おもしろく すみなすものは 心なりけり
自分の人生を後世の人がどう語ろうと、それは私の心の、私だけがわかっている私の人生ではない・・
德川家康
徳川家康(とくがわ いえやす):日本战国时代末期的武将,江户幕府(德川幕府)第一代征夷大将军。日本战国三英杰之一。
先に行く あとに残るも同じこと 連れて行けぬをわかれぞと思う
今、死にゆくわしも、今は生き残るそなた達も、諸行無常の同じ世界にいる。いずれも死ぬ事には変わりない。だからといって、わしはそなた達家臣を死出の道連れとはしない。お別れだ。
伊达政宗
伊達政宗(だて まさむね):伊达氏第十七代家督,安土桃山时代奥羽地方著名大名,江户时代仙台藩始祖,人称“独眼龙政宗”。
曇りなき 心の月を さきたてて 浮世の闇を 照らしてぞ行く
何も見えない真っ暗闇の中で、月の光を頼りに道を進むように、戦国の先の見えない時代の趨勢を自分が信じた道を頼りにただひたすら歩いてきた一生であったなあ。
上栅
上杉謙信(うえすぎ けんしん) :日本战国时代名将,又称上杉政虎、上杉辉虎。
極楽も 地獄も先は有明の 月の心に懸かる雲なし
私の死後、私は極楽、地獄に行くのかはわからないが、どちらに行くことになっても今の私の心境は、雲のかかっていない明月のように一片の曇りもなく、晴れやかである。
丰成秀吉
豊臣秀吉(とよとみ ひでよし):原名木下滕吉郎、羽柴秀吉,是日本战国时代大名、著名政治家,继室町幕府之后,近代首次以天下人的称号统一日本的日本战国三英杰之一。
露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢
露のようにこの世に生まれ落ち、そして露のようにはかなく消えていってしまったこの身であることよ。大阪城で過ごした栄華の日々は、夢の中の夢のようにはかないものだった。
我身如朝露般来,又如朝露般逝去。在大阪荣华富贵的日子,恰如梦一般易逝。
北条
北条氏政(ほうじょう うじまさ):是日本战国时代的大名,第四代后北条氏当主,是北条氏康的长子。
吹きと吹く 風な恨みそ花の春 紅葉も残る秋あらばこそ
吹く風を恨むな。花が残る春や、紅葉が残る秋がある訳がないのだから
纪
紀貫之(き の つらゆき):日本平安时代初期的随笔作家与和歌圣手。
手にむすぶ 水に宿れる月影の あるかなきかの世にこそありけれ
手にすくった水に映った月のような あるかないか分からないようなはかない世に生きていたんだな
阿市
お市(おいち):日本战国时代女性,父亲为织田信秀,母不详,长兄为织田信长,被誉为“战国第一美女”,又称阿市、小谷夫人。
さらぬだに 打ちぬる程も 夏の夜の 別れを誘ふ ほととぎすかな
ただでさえ寝る頃合いなのに、これはまるで夏の夜に別れを誘い鳴くホトトギスみたいですね。
足利義輝
足利義輝(あしかが よしてる):日本室町幕府第13代征夷大将军。