「私は思い切って自分の心をKに打ち明けようとしました。もっともこれはその時に始まった訳でもなかったのです。旅に出ない前から、私にはそうした腹ができていたのですけれども、打ち明ける機会をつらまえる事も、その機会を作り出す事も、私の
手際では
旨くゆかなかったのです。今から思うと、その頃私の周囲にいた人間はみんな妙でした。女に関して立ち入った話などをするものは一人もありませんでした。中には話す
種をもたないのも
大分いたでしょうが、たといもっていても黙っているのが普通のようでした。比較的自由な空気を呼吸している今のあなたがたから見たら、定めし変に思われるでしょう。それが
道学の
余習なのか、または一種のはにかみなのか、判断はあなたの理解に任せておきます。
Kと私は何でも話し合える中でした。
偶には愛とか恋とかいう問題も、口に
上らないではありませんでしたが、いつでも抽象的な理論に落ちてしまうだけでした。それも
滅多には話題にならなかったのです。大抵は書物の話と学問の話と、未来の事業と、抱負と、修養の話ぐらいで持ち切っていたのです。いくら親しくってもこう堅くなった日には、突然調子を
崩せるものではありません。二人はただ堅いなりに親しくなるだけです。私はお嬢さんの事をKに打ち明けようと思い立ってから、
何遍歯がゆい不快に悩まされたか知れません。私はKの頭のどこか一カ所を突き破って、そこから柔らかい空気を吹き込んでやりたい気がしました。
あなたがたから見て
笑止千万な事もその時の私には実際大困難だったのです。私は旅先でも
宅にいた時と同じように
卑怯でした。私は始終機会を捕える気でKを観察していながら、変に高踏的な彼の態度をどうする事もできなかったのです。私にいわせると、彼の心臓の周囲は黒い
漆で
重く塗り固められたのも同然でした。私の
注ぎ懸けようとする血潮は、一滴もその心臓の中へは入らないで、
悉く
弾き返されてしまうのです。
或る時はあまりKの様子が強くて高いので、私はかえって安心した事もあります。そうして自分の疑いを腹の中で後悔すると共に、同じ腹の中で、Kに
詫びました。詫びながら自分が非常に下等な人間のように見えて、急に
厭な心持になるのです。しかし
少時すると、以前の疑いがまた逆戻りをして、強く打ち返して来ます。すべてが疑いから割り出されるのですから、すべてが私には不利益でした。
容貌もKの方が女に好かれるように見えました。性質も私のようにこせこせしていないところが、異性には気に入るだろうと思われました。どこか
間が抜けていて、それでどこかに
確かりした男らしいところのある点も、私よりは優勢に見えました。
学力になれば専門こそ違いますが、私は無論Kの敵でないと自覚していました。――すべて向うの
好いところだけがこう一度に
眼先へ散らつき出すと、ちょっと安心した私はすぐ元の不安に立ち返るのです。
Kは落ち付かない私の様子を見て、
厭ならひとまず東京へ帰ってもいいといったのですが、そういわれると、私は急に帰りたくなくなりました。実はKを東京へ帰したくなかったのかも知れません。二人は
房州の鼻を
廻って向う側へ出ました。我々は暑い日に
射られながら、苦しい思いをして、
上総のそこ
一里に
騙されながら、うんうん歩きました。私にはそうして歩いている意味がまるで
解らなかったくらいです。私は
冗談半分Kにそういいました。するとKは足があるから歩くのだと答えました。そうして暑くなると、海に入って行こうといって、どこでも構わず
潮へ
漬りました。その
後をまた強い日で照り付けられるのですから、
身体が
倦怠くてぐたぐたになりました。
「こんな
風にして歩いていると、暑さと疲労とで自然
身体の調子が狂って来るものです。もっとも病気とは違います。急に
他の身体の中へ、自分の霊魂が
宿替をしたような気分になるのです。
私は
平生の通りKと口を
利きながら、どこかで平生の心持と離れるようになりました。彼に対する親しみも憎しみも、
旅中限りという特別な性質を
帯びる風になったのです。つまり二人は暑さのため、
潮のため、また歩行のため、在来と異なった新しい関係に入る事ができたのでしょう。その時の我々はあたかも道づれになった
行商のようなものでした。いくら話をしてもいつもと違って、頭を使う込み入った問題には触れませんでした。
我々はこの調子でとうとう
銚子まで行ったのですが、道中たった一つの例外があったのを今に忘れる事ができないのです。まだ房州を離れない前、二人は
小湊という所で、
鯛の
浦を見物しました。もう
年数もよほど
経っていますし、それに私にはそれほど興味のない事ですから、
判然とは覚えていませんが、何でもそこは
日蓮の生れた村だとかいう話でした。日蓮の生れた日に、鯛が二
尾磯に打ち上げられていたとかいう
言伝えになっているのです。それ以来村の漁師が鯛をとる事を遠慮して今に至ったのだから、浦には鯛が沢山いるのです。我々は小舟を
傭って、その鯛をわざわざ見に出掛けたのです。
その時私はただ
一図に波を見ていました。そうしてその波の中に動く少し紫がかった鯛の色を、面白い現象の一つとして飽かず眺めました。しかしKは私ほどそれに興味をもち得なかったものとみえます。彼は鯛よりもかえって日蓮の方を頭の中で想像していたらしいのです。ちょうどそこに
誕生寺という寺がありました。日蓮の生れた村だから誕生寺とでも名を付けたものでしょう、立派な
伽藍でした。Kはその寺に行って
住持に会ってみるといい出しました。実をいうと、我々はずいぶん変な
服装をしていたのです。ことにKは風のために帽子を海に吹き飛ばされた結果、
菅笠を買って
被っていました。着物は
固より双方とも
垢じみた上に汗で
臭くなっていました。私は坊さんなどに会うのは
止そうといいました。Kは
強情だから聞きません。
厭なら私だけ外に待っていろというのです。私は仕方がないからいっしょに玄関にかかりましたが、心のうちではきっと断られるに違いないと思っていました。ところが坊さんというものは案外
丁寧なもので、広い立派な座敷へ私たちを通して、すぐ会ってくれました。その時分の私はKと
大分考えが違っていましたから、坊さんとKの談話にそれほど耳を傾ける気も起りませんでしたが、Kはしきりに日蓮の事を聞いていたようです。日蓮は
草日蓮といわれるくらいで、
草書が大変上手であったと坊さんがいった時、字の
拙いKは、何だ下らないという顔をしたのを私はまだ覚えています。Kはそんな事よりも、もっと深い意味の日蓮が知りたかったのでしょう。坊さんがその点でKを満足させたかどうかは疑問ですが、彼は寺の
境内を出ると、しきりに私に向って日蓮の事を
云々し出しました。私は暑くて
草臥れて、それどころではありませんでしたから、ただ口の先で
好い加減な
挨拶をしていました。それも面倒になってしまいには全く黙ってしまったのです。
たしかその
翌る晩の事だと思いますが、二人は宿へ着いて
飯を食って、もう寝ようという少し前になってから、急にむずかしい問題を論じ合い出しました。Kは
昨日自分の方から話しかけた日蓮の事について、私が取り合わなかったのを、快く思っていなかったのです。精神的に向上心がないものは馬鹿だといって、何だか私をさも軽薄もののようにやり込めるのです。ところが私の胸にはお嬢さんの事が
蟠っていますから、彼の
侮蔑に近い言葉をただ笑って受け取る訳にいきません。私は私で弁解を始めたのです。
「その時私はしきりに人間らしいという言葉を使いました。Kはこの人間らしいという言葉のうちに、私が自分の弱点のすべてを隠しているというのです。なるほど後から考えれば、Kのいう通りでした。しかし人間らしくない意味をKに納得させるためにその言葉を使い出した私には、
出立点がすでに反抗的でしたから、それを反省するような余裕はありません。私はなおの事自説を主張しました。するとKが彼のどこをつらまえて人間らしくないというのかと私に聞くのです。私は彼に告げました。――君は人間らしいのだ。あるいは人間らし過ぎるかも知れないのだ。けれども口の先だけでは人間らしくないような事をいうのだ。また人間らしくないように振舞おうとするのだ。
私がこういった時、彼はただ自分の修養が足りないから、
他にはそう見えるかも知れないと答えただけで、
一向私を
反駁しようとしませんでした。私は張合いが抜けたというよりも、かえって気の毒になりました。私はすぐ議論をそこで切り上げました。彼の調子もだんだん沈んで来ました。もし私が彼の知っている通り昔の人を知るならば、そんな攻撃はしないだろうといって
悵然としていました。Kの口にした昔の人とは、無論英雄でもなければ豪傑でもないのです。霊のために肉を
虐げたり、道のために
体を
鞭うったりしたいわゆる
難行苦行の人を指すのです。Kは私に、彼がどのくらいそのために苦しんでいるか
解らないのが、いかにも残念だと明言しました。
Kと私とはそれぎり寝てしまいました。そうしてその
翌る日からまた普通の
行商の態度に返って、うんうん汗を流しながら歩き出したのです。しかし私は
路々その晩の事をひょいひょいと思い出しました。私にはこの上もない
好い機会が与えられたのに、知らない
振りをしてなぜそれをやり過ごしたのだろうという悔恨の念が燃えたのです。私は人間らしいという抽象的な言葉を用いる代りに、もっと
直截で簡単な話をKに打ち明けてしまえば好かったと思い出したのです。実をいうと、私がそんな言葉を創造したのも、お嬢さんに対する私の感情が土台になっていたのですから、事実を
蒸溜して
拵えた理論などをKの耳に吹き込むよりも、
原の
形そのままを彼の眼の前に露出した方が、私にはたしかに利益だったでしょう。私にそれができなかったのは、学問の交際が基調を構成している二人の親しみに、
自から一種の惰性があったため、思い切ってそれを突き破るだけの勇気が私に欠けていたのだという事をここに自白します。気取り過ぎたといっても、虚栄心が
祟ったといっても同じでしょうが、私のいう気取るとか虚栄とかいう意味は、普通のとは少し違います。それがあなたに通じさえすれば、私は満足なのです。
我々は真黒になって東京へ帰りました。帰った時は私の気分がまた変っていました。人間らしいとか、人間らしくないとかいう
小理屈はほとんど頭の中に残っていませんでした。Kにも宗教家らしい様子が全く見えなくなりました。おそらく彼の心のどこにも霊がどうの肉がどうのという問題は、その時宿っていなかったでしょう。二人は異人種のような顔をして、忙しそうに見える東京をぐるぐる
眺めました。それから
両国へ来て、暑いのに
軍鶏を食いました。Kはその
勢いで
小石川まで歩いて帰ろうというのです。体力からいえばKよりも私の方が強いのですから、私はすぐ応じました。
宅へ着いた時、奥さんは二人の姿を見て驚きました。二人はただ色が黒くなったばかりでなく、むやみに歩いていたうちに大変
瘠せてしまったのです。奥さんはそれでも丈夫そうになったといって
賞めてくれるのです。お嬢さんは奥さんの矛盾がおかしいといってまた笑い出しました。旅行前時々腹の立った私も、その時だけは愉快な心持がしました。場合が場合なのと、久しぶりに聞いたせいでしょう。
「それのみならず
私はお嬢さんの態度の少し前と変っているのに気が付きました。久しぶりで旅から帰った私たちが
平生の通り落ち付くまでには、万事について女の手が必要だったのですが、その世話をしてくれる奥さんはとにかく、お嬢さんがすべて私の方を先にして、Kを
後廻しにするように見えたのです。それを露骨にやられては、私も迷惑したかもしれません。場合によってはかえって不快の念さえ起しかねなかったろうと思うのですが、お嬢さんの
所作はその点で甚だ要領を得ていたから、私は
嬉しかったのです。つまりお嬢さんは私だけに
解るように、
持前の親切を余分に私の方へ割り
宛ててくれたのです。だからKは別に
厭な顔もせずに平気でいました。私は心の
中でひそかに彼に対する
□歌を奏しました。
やがて夏も過ぎて九月の
中頃から我々はまた学校の課業に出席しなければならない事になりました。Kと私とは
各自の時間の都合で出入りの刻限にまた遅速ができてきました。私がKより
後れて帰る時は一週に三度ほどありましたが、いつ帰ってもお嬢さんの影をKの
室に認める事はないようになりました。Kは例の眼を私の方に向けて、「今帰ったのか」を規則のごとく繰り返しました。私の会釈もほとんど器械のごとく簡単でかつ無意味でした。
たしか十月の中頃と思います。私は
寝坊をした結果、
日本服のまま急いで学校へ出た事があります。
穿物も
編上などを結んでいる時間が惜しいので、
草履を突っかけたなり飛び出したのです。その日は時間割からいうと、Kよりも私の方が先へ帰るはずになっていました。私は戻って来ると、そのつもりで玄関の
格子をがらりと開けたのです。するといないと思っていたKの声がひょいと聞こえました。同時にお嬢さんの笑い声が私の耳に響きました。私はいつものように
手数のかかる靴を
穿いていないから、すぐ玄関に上がって
仕切の
襖を開けました。私は例の通り机の前に
坐っているKを見ました。しかしお嬢さんはもうそこにはいなかったのです。私はあたかもKの
室から
逃れ出るように去るその
後姿をちらりと認めただけでした。私はKにどうして早く帰ったのかと問いました。Kは心持が悪いから休んだのだと答えました。私が自分の室にはいってそのまま坐っていると、間もなくお嬢さんが茶を持って来てくれました。その時お嬢さんは始めてお帰りといって私に
挨拶をしました。私は笑いながらさっきはなぜ逃げたんですと聞けるような
捌けた男ではありません。それでいて腹の中では何だかその事が気にかかるような人間だったのです。お嬢さんはすぐ座を立って
縁側伝いに向うへ行ってしまいました。しかしKの室の前に立ち留まって、
二言三言内と外とで話をしていました。それは
先刻の続きらしかったのですが、前を聞かない私にはまるで解りませんでした。
そのうちお嬢さんの態度がだんだん平気になって来ました。Kと私がいっしょに
宅にいる時でも、よくKの
室の縁側へ来て彼の名を呼びました。そうしてそこへ入って、ゆっくりしていました。無論郵便を持って来る事もあるし、洗濯物を置いてゆく事もあるのですから、そのくらいの交通は同じ宅にいる二人の関係上、当然と見なければならないのでしょうが、ぜひお嬢さんを専有したいという強烈な一念に動かされている私には、どうしてもそれが当然以上に見えたのです。ある時はお嬢さんがわざわざ私の室へ来るのを回避して、Kの方ばかりへ行くように思われる事さえあったくらいです。それならなぜKに宅を出てもらわないのかとあなたは聞くでしょう。しかしそうすれば私がKを無理に
引張って来た主意が立たなくなるだけです。私にはそれができないのです。
「十一月の寒い雨の降る日の事でした。
私は
外套を
濡らして例の通り
蒟蒻閻魔を抜けて細い
坂路を
上って
宅へ帰りました。Kの室は
空虚でしたけれども、火鉢には継ぎたての火が暖かそうに燃えていました。私も冷たい手を早く赤い炭の上に
翳そうと思って、急いで自分の室の
仕切りを開けました。すると私の火鉢には冷たい灰が白く残っているだけで、
火種さえ尽きているのです。私は急に不愉快になりました。
その時私の足音を聞いて出て来たのは、奥さんでした。奥さんは黙って室の真中に立っている私を見て、気の毒そうに外套を脱がせてくれたり、日本服を着せてくれたりしました。それから私が寒いというのを聞いて、すぐ次の
間からKの火鉢を持って来てくれました。私がKはもう帰ったのかと聞きましたら、奥さんは帰ってまた出たと答えました。その日もKは私より
後れて帰る時間割だったのですから、私はどうした訳かと思いました。奥さんは
大方用事でもできたのだろうといっていました。
私はしばらくそこに
坐ったまま
書見をしました。宅の中がしんと静まって、
誰の話し声も聞こえないうちに、
初冬の寒さと
佗びしさとが、私の
身体に食い込むような感じがしました。私はすぐ書物を伏せて立ち上りました。私はふと
賑やかな所へ行きたくなったのです。雨はやっと
歇ったようですが、空はまだ冷たい鉛のように重く見えたので、私は用心のため、
蛇の
目を肩に
担いで、
砲兵工廠の裏手の
土塀について東へ坂を
下りました。その時分はまだ道路の改正ができない
頃なので、坂の
勾配が今よりもずっと急でした。道幅も狭くて、ああ
真直ではなかったのです。その上あの谷へ下りると、南が高い建物で
塞がっているのと、
放水がよくないのとで、往来はどろどろでした。ことに細い石橋を渡って
柳町の通りへ出る間が
非道かったのです。
足駄でも長靴でもむやみに歩く訳にはゆきません。誰でも
路の真中に自然と細長く泥が
掻き分けられた所を、
後生大事に
辿って行かなければならないのです。その幅は
僅か一、二
尺しかないのですから、手もなく往来に敷いてある帯の上を踏んで向うへ越すのと同じ事です。行く人はみんな一列になってそろそろ通り抜けます。私はこの細帯の上で、はたりとKに出合いました。足の方にばかり気を取られていた私は、彼と向き合うまで、彼の存在にまるで気が付かずにいたのです。私は不意に自分の前が
塞がったので偶然眼を上げた時、始めてそこに立っているKを認めたのです。私はKにどこへ行ったのかと聞きました。Kはちょっとそこまでといったぎりでした。彼の答えはいつもの通りふんという調子でした。Kと私は細い帯の上で身体を
替せました。するとKのすぐ後ろに一人の若い女が立っているのが見えました。近眼の私には、今までそれがよく分らなかったのですが、Kをやり越した
後で、その女の顔を見ると、それが
宅のお嬢さんだったので、私は少なからず驚きました。お嬢さんは心持薄赤い顔をして、私に
挨拶をしました。その時分の
束髪は今と違って
廂が出ていないのです、そうして頭の
真中に
蛇のようにぐるぐる巻きつけてあったものです。私はぼんやりお嬢さんの頭を見ていましたが、次の瞬間に、どっちか
路を譲らなければならないのだという事に気が付きました。私は思い切ってどろどろの中へ片足
踏ん
込みました。そうして比較的通りやすい所を
空けて、お嬢さんを渡してやりました。
それから柳町の通りへ出た私はどこへ行って
好いか自分にも分らなくなりました。どこへ行っても面白くないような心持がするのです。私は
飛泥の上がるのも構わずに、
糠る
海の中を
自暴にどしどし歩きました。それから
直ぐ宅へ帰って来ました。
「私はKに向ってお嬢さんといっしょに出たのかと聞きました。Kはそうではないと答えました。
真砂町で偶然出会ったから連れ立って帰って来たのだと説明しました。私はそれ以上に立ち入った質問を控えなければなりませんでした。しかし食事の時、またお嬢さんに向って、同じ問いを掛けたくなりました。するとお嬢さんは私の嫌いな例の笑い方をするのです。そうしてどこへ行ったか
中ててみろとしまいにいうのです。その
頃の私はまだ
癇癪持ちでしたから、そう
不真面目に若い女から取り扱われると腹が立ちました。ところがそこに気の付くのは、同じ食卓に着いているもののうちで奥さん一人だったのです。Kはむしろ平気でした。お嬢さんの態度になると、知ってわざとやるのか、知らないで
無邪気にやるのか、そこの区別がちょっと
判然しない点がありました。若い女としてお嬢さんは思慮に富んだ
方でしたけれども、その若い女に共通な私の嫌いなところも、あると思えば思えなくもなかったのです。そうしてその嫌いなところは、Kが宅へ来てから、始めて私の眼に着き出したのです。私はそれをKに対する私の
嫉妬に
帰していいものか、または私に対するお嬢さんの技巧と
見傚してしかるべきものか、ちょっと分別に迷いました。私は今でも決してその時の私の嫉妬心を打ち消す気はありません。私はたびたび繰り返した通り、愛の
裏面にこの感情の働きを明らかに意識していたのですから。しかも
傍のものから見ると、ほとんど取るに足りない
瑣事に、この感情がきっと首を持ち上げたがるのでしたから。これは
余事ですが、こういう
嫉妬は愛の半面じゃないでしょうか。私は結婚してから、この感情がだんだん薄らいで行くのを自覚しました。その代り愛情の方も決して元のように猛烈ではないのです。
私はそれまで
躊躇していた自分の心を、
一思いに相手の胸へ
擲き付けようかと考え出しました。私の相手というのはお嬢さんではありません、奥さんの事です。奥さんにお嬢さんを
呉れろと明白な談判を開こうかと考えたのです。しかしそう決心しながら、一日一日と私は断行の日を延ばして行ったのです。そういうと私はいかにも
優柔な男のように見えます、また見えても構いませんが、実際私の進みかねたのは、意志の力に不足があったためではありません。Kの来ないうちは、
他の手に乗るのが
厭だという我慢が私を
抑え付けて、一歩も動けないようにしていました。Kの来た
後は、もしかするとお嬢さんがKの方に意があるのではなかろうかという疑念が絶えず私を制するようになったのです。はたしてお嬢さんが私よりもKに心を傾けているならば、この恋は口へいい出す価値のないものと私は決心していたのです。恥を
掻かせられるのが
辛いなどというのとは少し訳が違います。こっちでいくら思っても、向うが内心
他の人に愛の
眼を
注いでいるならば、私はそんな女といっしょになるのは厭なのです。世の中では
否応なしに自分の好いた女を嫁に
貰って
嬉しがっている人もありますが、それは私たちよりよっぽど世間ずれのした男か、さもなければ愛の心理がよく
呑み込めない
鈍物のする事と、当時の私は考えていたのです。一度貰ってしまえばどうかこうか落ち付くものだぐらいの哲理では、承知する事ができないくらい私は熱していました。つまり私は極めて高尚な愛の理論家だったのです。同時にもっとも
迂遠な愛の実際家だったのです。
肝心のお嬢さんに、直接この私というものを打ち明ける機会も、長くいっしょにいるうちには時々出て来たのですが、私はわざとそれを避けました。日本の習慣として、そういう事は許されていないのだという自覚が、その頃の私には強くありました。しかし決してそればかりが私を束縛したとはいえません。日本人、ことに日本の若い女は、そんな場合に、相手に
気兼なく自分の思った通りを遠慮せずに口にするだけの勇気に乏しいものと私は見込んでいたのです。
「こんな訳で
私はどちらの方面へ向っても進む事ができずに立ち
竦んでいました。
身体の悪い時に
午睡などをすると、眼だけ
覚めて周囲のものが
判然見えるのに、どうしても手足の動かせない場合がありましょう。私は時としてああいう苦しみを人知れず感じたのです。
その
内年が暮れて春になりました。ある日奥さんがKに
歌留多をやるから
誰か友達を連れて来ないかといった事があります。するとKはすぐ友達なぞは一人もないと答えたので、奥さんは驚いてしまいました。なるほどKに友達というほどの友達は一人もなかったのです。往来で会った時
挨拶をするくらいのものは多少ありましたが、それらだって決して
歌留多などを取る
柄ではなかったのです。奥さんはそれじゃ私の知ったものでも呼んで来たらどうかといい直しましたが、私も
生憎そんな陽気な遊びをする心持になれないので、
好い加減な
生返事をしたなり、打ちやっておきました。ところが晩になってKと私はとうとうお嬢さんに引っ張り出されてしまいました。客も誰も来ないのに、
内々の
小人数だけで取ろうという歌留多ですからすこぶる静かなものでした。その上こういう遊技をやり付けないKは、まるで
懐手をしている人と同様でした。私はKに一体
百人一首の歌を知っているのかと尋ねました。Kはよく知らないと答えました。私の言葉を聞いたお嬢さんは、
大方Kを
軽蔑するとでも取ったのでしょう。それから眼に立つようにKの加勢をし出しました。しまいには二人がほとんど組になって私に当るという有様になって来ました。私は相手次第では
喧嘩を始めたかも知れなかったのです。幸いにKの態度は少しも最初と変りませんでした。彼のどこにも得意らしい様子を認めなかった私は、無事にその場を切り上げる事ができました。
それから二、三日
経った
後の事でしたろう、奥さんとお嬢さんは朝から市ヶ谷にいる親類の所へ行くといって
宅を出ました。Kも私もまだ学校の始まらない
頃でしたから、留守居同様あとに残っていました。私は書物を読むのも散歩に出るのも
厭だったので、ただ漠然と火鉢の
縁に
肱を載せて
凝と
顋を支えたなり考えていました。
隣の
室にいるKも
一向音を立てませんでした。双方ともいるのだかいないのだか分らないくらい静かでした。もっともこういう事は、二人の間柄として別に珍しくも何ともなかったのですから、私は別段それを気にも留めませんでした。
十時頃になって、Kは不意に仕切りの
襖を開けて私と顔を
見合せました。彼は敷居の上に立ったまま、私に何を考えていると聞きました。私はもとより何も考えていなかったのです。もし考えていたとすれば、いつもの通りお嬢さんが問題だったかも知れません。そのお嬢さんには無論奥さんも食っ付いていますが、近頃ではK自身が切り離すべからざる人のように、私の頭の中をぐるぐる
回って、この問題を複雑にしているのです。Kと顔を見合せた私は、今まで
朧気に彼を一種の邪魔ものの如く意識していながら、明らかにそうと答える訳にいかなかったのです。私は依然として彼の顔を見て黙っていました。するとKの方からつかつかと私の座敷へ入って来て、私のあたっている火鉢の前に
坐りました。私はすぐ
両肱を火鉢の縁から取り
除けて、心持それをKの方へ押しやるようにしました。
Kはいつもに似合わない話を始めました。奥さんとお嬢さんは市ヶ谷のどこへ行ったのだろうというのです。私は大方
叔母さんの所だろうと答えました。Kはその叔母さんは何だとまた聞きます。私はやはり軍人の
細君だと教えてやりました。すると女の年始は大抵十五日
過だのに、なぜそんなに早く出掛けたのだろうと質問するのです。私はなぜだか知らないと挨拶するより
外に仕方がありませんでした。
「Kはなかなか奥さんとお嬢さんの話を
已めませんでした。しまいには
私も答えられないような立ち入った事まで聞くのです。私は面倒よりも不思議の感に打たれました。以前私の方から二人を問題にして話しかけた時の彼を思い出すと、私はどうしても彼の調子の変っているところに気が付かずにはいられないのです。私はとうとうなぜ今日に限ってそんな事ばかりいうのかと彼に尋ねました。その時彼は突然黙りました。しかし私は彼の結んだ口元の肉が
顫えるように動いているのを注視しました。彼は元来無口な男でした。
平生から何かいおうとすると、いう前によく口のあたりをもぐもぐさせる
癖がありました。彼の唇がわざと彼の意志に反抗するように
容易く
開かないところに、彼の言葉の重みも
籠っていたのでしょう。
一旦声が口を破って出るとなると、その声には普通の人よりも倍の強い力がありました。
彼の口元をちょっと
眺めた時、私はまた何か出て来るなとすぐ
疳付いたのですが、それがはたして
何の準備なのか、私の予覚はまるでなかったのです。だから驚いたのです。彼の重々しい口から、彼のお嬢さんに対する切ない恋を打ち明けられた時の私を想像してみて下さい。私は彼の魔法棒のために一度に化石されたようなものです。口をもぐもぐさせる働きさえ、私にはなくなってしまったのです。
その時の私は恐ろしさの
塊りといいましょうか、または苦しさの塊りといいましょうか、何しろ一つの塊りでした。石か鉄のように頭から足の先までが急に固くなったのです。呼吸をする弾力性さえ失われたくらいに堅くなったのです。幸いな事にその状態は長く続きませんでした。私は一瞬間の
後に、また人間らしい気分を取り戻しました。そうして、すぐ
失策ったと思いました。
先を越されたなと思いました。
しかしその
先をどうしようという分別はまるで起りません。恐らく起るだけの余裕がなかったのでしょう。私は
腋の下から出る気味のわるい汗が
襯衣に
滲み
透るのを
凝と我慢して動かずにいました。Kはその
間いつもの通り重い口を切っては、ぽつりぽつりと自分の心を打ち明けてゆきます。私は苦しくって
堪りませんでした。おそらくその苦しさは、大きな広告のように、私の顔の上に
判然りした字で
貼り付けられてあったろうと私は思うのです。いくらKでもそこに気の付かないはずはないのですが、彼はまた彼で、自分の事に
一切を集中しているから、私の表情などに注意する暇がなかったのでしょう。彼の自白は最初から最後まで同じ調子で貫いていました。重くて
鈍い代りに、とても容易な事では動かせないという感じを私に与えたのです。私の心は半分その自白を聞いていながら、半分どうしようどうしようという念に絶えず
掻き乱されていましたから、
細かい点になるとほとんど耳へ入らないと同様でしたが、それでも彼の口に出す言葉の調子だけは強く胸に響きました。そのために私は前いった苦痛ばかりでなく、ときには一種の恐ろしさを感ずるようになったのです。つまり相手は自分より強いのだという恐怖の念が
萌し始めたのです。
Kの話が一通り済んだ時、私は何ともいう事ができませんでした。こっちも彼の前に同じ意味の自白をしたものだろうか、それとも打ち明けずにいる方が得策だろうか、私はそんな利害を考えて黙っていたのではありません。ただ何事もいえなかったのです。またいう気にもならなかったのです。
午食の時、Kと私は向い合せに席を占めました。
下女に給仕をしてもらって、私はいつにない
不味い
飯を済ませました。二人は食事中もほとんど口を
利きませんでした。奥さんとお嬢さんはいつ帰るのだか分りませんでした。
「二人は
各自の
室に引き取ったぎり顔を合わせませんでした。Kの静かな事は朝と同じでした。
私も
凝と考え込んでいました。
私は当然自分の心をKに打ち明けるべきはずだと思いました。しかしそれにはもう時機が
後れてしまったという気も起りました。なぜ
先刻Kの言葉を
遮って、こっちから逆襲しなかったのか、そこが非常な
手落りのように見えて来ました。せめてKの
後に続いて、自分は自分の思う通りをその場で話してしまったら、まだ好かったろうにとも考えました。Kの自白に一段落が付いた今となって、こっちからまた同じ事を切り出すのは、どう思案しても変でした。私はこの不自然に打ち勝つ方法を知らなかったのです。私の頭は悔恨に
揺られてぐらぐらしました。
私はKが再び
仕切りの
襖を
開けて向うから突進してきてくれれば
好いと思いました。私にいわせれば、先刻はまるで
不意撃に会ったも同じでした。私にはKに応ずる準備も何もなかったのです。私は午前に失ったものを、今度は取り戻そうという
下心を持っていました。それで時々眼を上げて、襖を
眺めました。しかしその襖はいつまで
経っても
開きません。そうしてKは永久に静かなのです。
その
内私の頭は段々この静かさに
掻き乱されるようになって来ました。Kは今襖の向うで何を考えているだろうと思うと、それが気になって
堪らないのです。不断もこんな
風にお互いが仕切一枚を間に置いて黙り合っている場合は始終あったのですが、私はKが静かであればあるほど、彼の存在を忘れるのが普通の状態だったのですから、その時の私はよほど調子が狂っていたものと見なければなりません。それでいて私はこっちから進んで襖を開ける事ができなかったのです。
一旦いいそびれた私は、また向うから働き掛けられる時機を待つより
外に仕方がなかったのです。
しまいに私は
凝としておられなくなりました。無理に凝としていれば、Kの部屋へ飛び込みたくなるのです。私は仕方なしに立って縁側へ出ました。そこから茶の間へ来て、何という目的もなく、
鉄瓶の湯を
湯呑に
注で一杯呑みました。それから玄関へ出ました。私はわざとKの室を回避するようにして、こんな風に自分を往来の真中に
見出したのです。私には無論どこへ行くという
的もありません。ただ
凝としていられないだけでした。それで方角も何も構わずに、正月の町を、むやみに歩き
廻ったのです。私の頭はいくら歩いてもKの事でいっぱいになっていました。私もKを
振い落す気で歩き廻る訳ではなかったのです。むしろ自分から進んで彼の姿を
咀嚼しながらうろついていたのです。
私には第一に彼が
解しがたい男のように見えました。どうしてあんな事を突然私に打ち明けたのか、またどうして打ち明けなければいられないほどに、彼の恋が
募って来たのか、そうして平生の彼はどこに吹き飛ばされてしまったのか、すべて私には解しにくい問題でした。私は彼の強い事を知っていました。また彼の
真面目な事を知っていました。私はこれから私の取るべき態度を決する前に、彼について聞かなければならない多くをもっていると信じました。同時にこれからさき彼を相手にするのが変に気味が悪かったのです。私は夢中に町の中を歩きながら、自分の室に
凝と
坐っている彼の
容貌を始終眼の前に
描き出しました。しかもいくら私が歩いても彼を動かす事は到底できないのだという声がどこかで聞こえるのです。つまり私には彼が一種の魔物のように思えたからでしょう。私は永久彼に
祟られたのではなかろうかという気さえしました。
私が疲れて
宅へ帰った時、彼の室は依然として
人気のないように静かでした。
「私が家へはいると間もなく
俥の音が聞こえました。今のように
護謨輪のない時分でしたから、がらがらいう
厭な
響きがかなりの距離でも耳に立つのです。車はやがて門前で留まりました。
私が
夕飯に呼び出されたのは、それから三十分ばかり
経った
後の事でしたが、まだ奥さんとお嬢さんの
晴着が脱ぎ
棄てられたまま、次の室を乱雑に
彩っていました。二人は遅くなると私たちに済まないというので、飯の支度に間に合うように、急いで帰って来たのだそうです。しかし奥さんの親切はKと私とに取ってほとんど無効も同じ事でした。私は食卓に坐りながら、言葉を惜しがる人のように、
素気ない
挨拶ばかりしていました。Kは私よりもなお
寡言でした。たまに
親子連で外出した女二人の気分が、また
平生よりは
勝れて晴れやかだったので、我々の態度はなおの事眼に付きます。奥さんは私にどうかしたのかと聞きました。私は少し心持が悪いと答えました。実際私は心持が悪かったのです。すると今度はお嬢さんがKに同じ問いを掛けました。Kは私のように心持が悪いとは答えません。ただ口が
利きたくないからだといいました。お嬢さんはなぜ口が利きたくないのかと
追窮しました。私はその時ふと重たい
瞼を上げてKの顔を見ました。私にはKが何と答えるだろうかという好奇心があったのです。Kの唇は例のように少し
顫えていました。それが知らない人から見ると、まるで返事に迷っているとしか思われないのです。お嬢さんは笑いながらまた何かむずかしい事を考えているのだろうといいました。Kの顔は心持薄赤くなりました。
その晩私はいつもより早く
床へ入りました。私が食事の時気分が悪いといったのを気にして、奥さんは十時頃
蕎麦湯を持って来てくれました。しかし私の
室はもう
真暗でした。奥さんはおやおやといって、仕切りの
襖を細目に開けました。
洋燈の光がKの机から
斜めにぼんやりと私の室に差し込みました。Kはまだ起きていたものとみえます。奥さんは
枕元に坐って、
大方風邪を引いたのだろうから
身体を
暖ためるがいいといって、
湯呑を顔の
傍へ突き付けるのです。私はやむをえず、どろどろした蕎麦湯を奥さんの見ている前で飲みました。
私は遅くなるまで暗いなかで考えていました。無論一つ問題をぐるぐる
廻転させるだけで、
外に何の効力もなかったのです。私は突然Kが今隣りの室で何をしているだろうと思い出しました。私は半ば無意識においと声を掛けました。すると向うでもおいと返事をしました。Kもまだ起きていたのです。私はまだ寝ないのかと襖ごしに聞きました。もう寝るという簡単な
挨拶がありました。何をしているのだと私は重ねて問いました。今度はKの答えがありません。その代り五、六分経ったと思う頃に、
押入をがらりと開けて、
床を延べる音が手に取るように聞こえました。私はもう
何時かとまた尋ねました。Kは一時二十分だと答えました。やがて
洋燈をふっと吹き消す音がして、
家中が真暗なうちに、しんと静まりました。
しかし私の眼はその暗いなかでいよいよ
冴えて来るばかりです。私はまた半ば無意識な状態で、おいとKに声を掛けました。Kも以前と同じような調子で、おいと答えました。私は
今朝彼から聞いた事について、もっと詳しい話をしたいが、彼の都合はどうだと、とうとうこっちから切り出しました。私は無論
襖越にそんな談話を交換する気はなかったのですが、Kの返答だけは即坐に得られる事と考えたのです。ところがKは
先刻から二度おいと呼ばれて、二度おいと答えたような
素直な調子で、今度は応じません。そうだなあと低い声で渋っています。私はまたはっと思わせられました。
「Kの
生返事は
翌日になっても、その翌日になっても、彼の態度によく現われていました。彼は自分から進んで例の問題に触れようとする
気色を決して見せませんでした。もっとも機会もなかったのです。奥さんとお嬢さんが
揃って一日
宅を
空けでもしなければ、二人はゆっくり落ち付いて、そういう事を話し合う訳にも行かないのですから。
私はそれをよく心得ていました。心得ていながら、変にいらいらし出すのです。その結果始めは向うから来るのを待つつもりで、
暗に用意をしていた私が、折があったらこっちで口を切ろうと決心するようになったのです。
同時に私は黙って
家のものの様子を観察して見ました。しかし奥さんの態度にもお嬢さんの
素振にも、別に
平生と変った点はありませんでした。Kの自白以前と自白以後とで、彼らの挙動にこれという差違が生じないならば、彼の自白は単に私だけに限られた自白で、
肝心の本人にも、またその監督者たる奥さんにも、まだ通じていないのは
慥かでした。そう考えた時私は少し安心しました。それで無理に機会を
拵えて、わざとらしく話を持ち出すよりは、自然の与えてくれるものを取り逃さないようにする方が好かろうと思って、例の問題にはしばらく手を着けずにそっとしておく事にしました。
こういってしまえば大変簡単に聞こえますが、そうした心の経過には、
潮の
満干と同じように、色々の
高低があったのです。私はKの動かない様子を見て、それにさまざまの意味を付け加えました。奥さんとお嬢さんの言語動作を観察して、二人の心がはたしてそこに現われている通りなのだろうかと
疑ってもみました。そうして人間の胸の中に装置された複雑な器械が、時計の針のように、
明瞭に
偽りなく、
盤上の数字を指し
得るものだろうかと考えました。要するに私は同じ事をこうも取り、ああも取りした
揚句、
漸くここに落ち付いたものと思って下さい。更にむずかしくいえば、落ち付くなどという言葉は、この際決して使われた義理でなかったのかも知れません。
その
内学校がまた始まりました。私たちは時間の同じ日には連れ立って
宅を出ます。都合がよければ帰る時にもやはりいっしょに帰りました。外部から見たKと私は、何にも前と違ったところがないように親しくなったのです。けれども腹の中では、
各自に
各自の事を勝手に考えていたに違いありません。ある日私は突然往来でKに肉薄しました。私が第一に聞いたのは、この間の自白が私だけに限られているか、または奥さんやお嬢さんにも通じているかの点にあったのです。私のこれから取るべき態度は、この問いに対する彼の答え次第で
極めなければならないと、私は思ったのです。すると彼は
外の人にはまだ
誰にも打ち明けていないと明言しました。私は事情が自分の推察通りだったので、内心
嬉しがりました。私はKの私より横着なのをよく知っていました。彼の度胸にも
敵わないという自覚があったのです。けれども一方ではまた妙に彼を信じていました。学資の事で
養家を三年も
欺いていた彼ですけれども、彼の信用は私に対して少しも損われていなかったのです。私はそれがためにかえって彼を信じ出したくらいです。だからいくら疑い深い私でも、明白な彼の答えを腹の中で否定する気は起りようがなかったのです。
私はまた彼に向って、彼の恋をどう取り扱うつもりかと尋ねました。それが単なる自白に過ぎないのか、またはその自白についで、実際的の効果をも収める気なのかと問うたのです。しかるに彼はそこになると、何にも答えません。黙って下を向いて歩き出します。私は彼に
隠し立てをしてくれるな、すべて思った通りを話してくれと頼みました。彼は何も私に隠す必要はないと
判然断言しました。しかし私の知ろうとする点には、
一言の返事も与えないのです。私も往来だからわざわざ立ち留まって
底まで突き留める訳にいきません。ついそれなりにしてしまいました。
「ある日私は久しぶりに学校の図書館に入りました。私は広い机の片隅で窓から射す光線を半身に受けながら、新着の外国雑誌を、あちらこちらと
引っ
繰り返して見ていました。私は担任教師から専攻の学科に関して、次の週までにある事項を調べて来いと命ぜられたのです。しかし私に必要な事柄がなかなか見付からないので、私は二度も三度も雑誌を借り替えなければなりませんでした。最後に私はやっと自分に必要な論文を探し出して、一心にそれを読み出しました。すると突然幅の広い机の向う側から小さな声で私の名を呼ぶものがあります。私はふと眼を上げてそこに立っているKを見ました。Kはその上半身を机の上に折り曲げるようにして、彼の顔を私に近付けました。ご承知の通り図書館では
他の人の邪魔になるような大きな声で話をする訳にゆかないのですから、Kのこの
所作は誰でもやる普通の事なのですが、私はその時に限って、一種変な心持がしました。
Kは低い声で勉強かと聞きました。私はちょっと調べものがあるのだと答えました。それでもKはまだその顔を私から放しません。同じ低い調子でいっしょに散歩をしないかというのです。私は少し待っていればしてもいいと答えました。彼は待っているといったまま、すぐ私の前の空席に腰をおろしました。すると私は気が散って急に雑誌が読めなくなりました。何だかKの胸に
一物があって、談判でもしに来られたように思われて仕方がないのです。私はやむをえず読みかけた雑誌を伏せて、立ち上がろうとしました。Kは落ち付き払ってもう済んだのかと聞きます。私はどうでもいいのだと答えて、雑誌を返すと共に、Kと図書館を出ました。
二人は別に行く所もなかったので、
竜岡町から
池の
端へ出て、
上野の公園の中へ入りました。その時彼は例の事件について、突然向うから口を切りました。前後の様子を
綜合して考えると、Kはそのために私をわざわざ散歩に
引っ
張り
出したらしいのです。けれども彼の態度はまだ実際的の方面へ向ってちっとも進んでいませんでした。彼は私に向って、ただ漠然と、どう思うというのです。どう思うというのは、そうした恋愛の
淵に
陥った彼を、どんな眼で私が
眺めるかという質問なのです。
一言でいうと、彼は現在の自分について、私の批判を求めたいようなのです。そこに私は彼の
平生と異なる点を確かに認める事ができたと思いました。たびたび繰り返すようですが、彼の天性は
他の思わくを
憚かるほど弱くでき上ってはいなかったのです。こうと信じたら一人でどんどん進んで行くだけの度胸もあり勇気もある男なのです。
養家事件でその特色を強く胸の
裏に
彫り付けられた私が、これは様子が違うと明らかに意識したのは当然の結果なのです。
私がKに向って、この際
何んで私の批評が必要なのかと尋ねた時、彼はいつもにも似ない
悄然とした口調で、自分の弱い人間であるのが実際恥ずかしいといいました。そうして迷っているから自分で自分が分らなくなってしまったので、私に公平な批評を求めるより
外に仕方がないといいました。私は
隙かさず迷うという意味を聞き
糺しました。彼は進んでいいか
退いていいか、それに迷うのだと説明しました。私はすぐ一歩先へ出ました。そうして退こうと思えば退けるのかと彼に聞きました。すると彼の言葉がそこで不意に行き詰りました。彼はただ苦しいといっただけでした。実際彼の表情には苦しそうなところがありありと見えていました。もし相手がお嬢さんでなかったならば、私はどんなに彼に都合のいい返事を、その
渇き切った顔の上に
慈雨の如く
注いでやったか分りません。私はそのくらいの美しい同情をもって生れて来た人間と自分ながら信じています。しかしその時の私は違っていました。
「私はちょうど他流試合でもする人のようにKを注意して見ていたのです。私は、私の眼、私の心、私の
身体、すべて私という名の付くものを五
分の
隙間もないように用意して、Kに向ったのです。罪のないKは穴だらけというよりむしろ明け放しと評するのが適当なくらいに無用心でした。私は彼自身の手から、彼の保管している
要塞の地図を受け取って、彼の眼の前でゆっくりそれを
眺める事ができたも同じでした。
Kが理想と現実の間に
彷徨してふらふらしているのを発見した私は、ただ
一打で彼を倒す事ができるだろうという点にばかり眼を着けました。そうしてすぐ彼の
虚に付け込んだのです。私は彼に向って急に厳粛な改まった態度を示し出しました。無論策略からですが、その態度に相応するくらいな緊張した気分もあったのですから、自分に
滑稽だの
羞恥だのを感ずる余裕はありませんでした。私はまず「精神的に向上心のないものは
馬鹿だ」といい放ちました。これは二人で
房州を旅行している際、Kが私に向って使った言葉です。私は彼の使った通りを、彼と同じような口調で、再び彼に投げ返したのです。しかし決して
復讐ではありません。私は復讐以上に残酷な意味をもっていたという事を自白します。私はその
一言でKの前に横たわる恋の
行手を
塞ごうとしたのです。
Kは
真宗寺に生れた男でした。しかし彼の傾向は中学時代から決して生家の
宗旨に近いものではなかったのです。教義上の区別をよく知らない私が、こんな事をいう資格に乏しいのは承知していますが、私はただ
男女に関係した点についてのみ、そう認めていたのです。Kは昔から
精進という言葉が好きでした。私はその言葉の中に、
禁欲という意味も
籠っているのだろうと解釈していました。しかし後で実際を聞いて見ると、それよりもまだ厳重な意味が含まれているので、私は驚きました。道のためにはすべてを犠牲にすべきものだというのが彼の第一信条なのですから、
摂欲や
禁欲は無論、たとい欲を離れた恋そのものでも道の
妨害になるのです。Kが自活生活をしている時分に、私はよく彼から彼の主張を聞かされたのでした。その
頃からお嬢さんを思っていた私は、勢いどうしても彼に反対しなければならなかったのです。私が反対すると、彼はいつでも気の毒そうな顔をしました。そこには同情よりも
侮蔑の方が余計に現われていました。
こういう過去を二人の間に通り抜けて来ているのですから、精神的に向上心のないものは馬鹿だという言葉は、Kに取って痛いに違いなかったのです。しかし前にもいった通り、私はこの一言で、彼が
折角積み上げた過去を
蹴散らしたつもりではありません。かえってそれを今まで通り積み重ねて行かせようとしたのです。それが道に達しようが、天に届こうが、私は構いません。私はただKが急に生活の方向を転換して、私の利害と衝突するのを恐れたのです。要するに私の言葉は単なる利己心の発現でした。
「精神的に向上心のないものは、馬鹿だ」
私は二度同じ言葉を繰り返しました。そうして、その言葉がKの上にどう影響するかを見詰めていました。
「馬鹿だ」とやがてKが答えました。「僕は馬鹿だ」
Kはぴたりとそこへ立ち
留まったまま動きません。彼は地面の上を見詰めています。私は思わずぎょっとしました。私にはKがその
刹那に
居直り強盗のごとく感ぜられたのです。しかしそれにしては彼の声がいかにも力に乏しいという事に気が付きました。私は彼の
眼遣いを参考にしたかったのですが、彼は最後まで私の顔を見ないのです。そうして、
徐々とまた歩き出しました。
「私はKと並んで足を運ばせながら、彼の口を出る次の言葉を腹の中で
暗に待ち受けました。あるいは待ち伏せといった方がまだ適当かも知れません。その時の私はたといKを
騙し打ちにしても構わないくらいに思っていたのです。しかし私にも教育相当の良心はありますから、もし誰か私の
傍へ来て、お前は
卑怯だと
一言私語いてくれるものがあったなら、私はその瞬間に、はっと我に立ち帰ったかも知れません。もしKがその人であったなら、私はおそらく彼の前に赤面したでしょう。ただKは私を
窘めるには余りに正直でした。余りに単純でした。余りに人格が善良だったのです。目のくらんだ私は、そこに敬意を払う事を忘れて、かえってそこに付け込んだのです。そこを利用して彼を打ち倒そうとしたのです。
Kはしばらくして、私の名を呼んで私の方を見ました。今度は私の方で自然と足を留めました。するとKも留まりました。私はその時やっとKの眼を
真向に見る事ができたのです。Kは私より
背の高い男でしたから、私は勢い彼の顔を見上げるようにしなければなりません。私はそうした態度で、
狼のごとき心を罪のない羊に向けたのです。
「もうその話は
止めよう」と彼がいいました。彼の眼にも彼の言葉にも変に悲痛なところがありました。私はちょっと
挨拶ができなかったのです。するとKは、「
止めてくれ」と今度は頼むようにいい直しました。私はその時彼に向って残酷な答を与えたのです。
狼が
隙を見て羊の
咽喉笛へ
食い付くように。
「
止めてくれって、僕がいい出した事じゃない、もともと君の方から持ち出した話じゃないか。しかし君が止めたければ、止めてもいいが、ただ口の先で止めたって仕方があるまい。君の心でそれを止めるだけの覚悟がなければ。一体君は君の平生の主張をどうするつもりなのか」
私がこういった時、
背の高い彼は自然と私の前に
萎縮して小さくなるような感じがしました。彼はいつも話す通り
頗る
強情な男でしたけれども、一方ではまた人一倍の正直者でしたから、自分の矛盾などをひどく非難される場合には、決して平気でいられない
質だったのです。私は彼の様子を見てようやく安心しました。すると彼は
卒然「覚悟?」と聞きました。そうして私がまだ何とも答えない先に「覚悟、――覚悟ならない事もない」と付け加えました。彼の調子は
独言のようでした。また夢の中の言葉のようでした。
二人はそれぎり話を切り上げて、
小石川の宿の方に足を向けました。割合に風のない暖かな日でしたけれども、何しろ冬の事ですから、公園のなかは
淋しいものでした。ことに霜に打たれて
蒼味を失った杉の
木立の
茶褐色が、薄黒い空の中に、
梢を並べて
聳えているのを振り返って見た時は、寒さが背中へ
噛り付いたような心持がしました。我々は夕暮の
本郷台を急ぎ足でどしどし通り抜けて、また向うの
岡へ
上るべく小石川の谷へ下りたのです。私はその
頃になって、ようやく
外套の下に
体の
温味を感じ出したぐらいです。
急いだためでもありましょうが、我々は帰り
路にはほとんど口を聞きませんでした。
宅へ帰って食卓に向った時、奥さんはどうして遅くなったのかと尋ねました。私はKに誘われて
上野へ行ったと答えました。奥さんはこの寒いのにといって驚いた様子を見せました。お嬢さんは上野に何があったのかと聞きたがります。私は何もないが、ただ散歩したのだという返事だけしておきました。
平生から無口なKは、いつもよりなお黙っていました。奥さんが話しかけても、お嬢さんが笑っても、
碌な
挨拶はしませんでした。それから
飯を
呑み込むように
掻き込んで、私がまだ席を立たないうちに、自分の
室へ引き取りました。
「その
頃は
覚醒とか新しい生活とかいう
文字のまだない時分でした。しかしKが古い自分をさらりと投げ出して、
一意に新しい方角へ走り出さなかったのは、現代人の考えが彼に欠けていたからではないのです。彼には投げ出す事のできないほど
尊い過去があったからです。彼はそのために
今日まで生きて来たといってもいいくらいなのです。だからKが一直線に愛の目的物に向って猛進しないといって、決してその愛の
生温い事を証拠立てる訳にはゆきません。いくら
熾烈な感情が燃えていても、彼はむやみに動けないのです。前後を忘れるほどの衝動が起る機会を彼に与えない以上、Kはどうしてもちょっと踏み
留まって自分の過去を振り返らなければならなかったのです。そうすると過去が指し示す
路を今まで通り歩かなければならなくなるのです。その上彼には現代人のもたない
強情と我慢がありました。私はこの双方の点においてよく彼の心を見抜いていたつもりなのです。
上野から帰った晩は、私に取って比較的安静な
夜でした。私はKが
室へ引き上げたあとを追い懸けて、彼の机の
傍に
坐り込みました。そうして取り留めもない世間話をわざと彼に仕向けました。彼は迷惑そうでした。私の眼には勝利の色が多少輝いていたでしょう、私の声にはたしかに得意の響きがあったのです。私はしばらくKと一つ火鉢に手を
翳した
後、自分の室に帰りました。
外の事にかけては何をしても彼に及ばなかった私も、その時だけは恐るるに足りないという自覚を彼に対してもっていたのです。
私はほどなく穏やかな眠りに落ちました。しかし突然私の名を呼ぶ声で眼を覚ましました。見ると、間の
襖が二
尺ばかり
開いて、そこにKの黒い影が立っています。そうして彼の室には
宵の通りまだ
燈火が
点いているのです。急に世界の変った私は、少しの
間口を
利く事もできずに、ぼうっとして、その光景を
眺めていました。
その時Kはもう寝たのかと聞きました。Kはいつでも遅くまで起きている男でした。私は黒い
影法師のようなKに向って、何か用かと聞き返しました。Kは大した用でもない、ただもう寝たか、まだ起きているかと思って、便所へ行ったついでに聞いてみただけだと答えました。Kは
洋燈の
灯を背中に受けているので、彼の顔色や眼つきは、全く私には分りませんでした。けれども彼の声は不断よりもかえって落ち付いていたくらいでした。
Kはやがて開けた襖をぴたりと立て切りました。私の室はすぐ元の
暗闇に帰りました。私はその暗闇より静かな夢を見るべくまた眼を閉じました。私はそれぎり何も知りません。しかし
翌朝になって、
昨夕の事を考えてみると、何だか不思議でした。私はことによると、すべてが夢ではないかと思いました。それで
飯を食う時、Kに聞きました。Kはたしかに襖を開けて私の名を呼んだといいます。なぜそんな事をしたのかと尋ねると、別に
判然した返事もしません。調子の抜けた頃になって、近頃は熟睡ができるのかとかえって向うから私に問うのです。私は何だか変に感じました。
その日ちょうど同じ時間に講義の始まる時間割になっていたので、二人はやがていっしょに
宅を出ました。
今朝から昨夕の事が気に
掛っている私は、途中でまたKを
追窮しました。けれどもKはやはり私を満足させるような答えをしません。私はあの事件について何か話すつもりではなかったのかと念を押してみました。Kはそうではないと強い調子でいい切りました。
昨日上野で「その話はもう
止めよう」といったではないかと注意するごとくにも聞こえました。Kはそういう点に掛けて鋭い自尊心をもった男なのです。ふとそこに気のついた私は突然彼の用いた「覚悟」という言葉を連想し出しました。すると今までまるで気にならなかったその二字が妙な力で私の頭を
抑え始めたのです。
「Kの果断に富んだ性格は
私によく知れていました。彼のこの事件についてのみ
優柔な訳も私にはちゃんと
呑み込めていたのです。つまり私は一般を心得た上で、例外の場合をしっかり
攫まえたつもりで得意だったのです。ところが「覚悟」という彼の言葉を、頭のなかで
何遍も
咀嚼しているうちに、私の得意はだんだん色を失って、しまいにはぐらぐら
揺き始めるようになりました。私はこの場合もあるいは彼にとって例外でないのかも知れないと思い出したのです。すべての疑惑、
煩悶、
懊悩、を一度に解決する最後の手段を、彼は胸のなかに
畳み込んでいるのではなかろうかと
疑り始めたのです。そうした新しい光で覚悟の二字を
眺め返してみた私は、はっと驚きました。その時の私がもしこの驚きをもって、もう
一返彼の口にした覚悟の内容を公平に
見廻したらば、まだよかったかも知れません。悲しい事に私は
片眼でした。私はただKがお嬢さんに対して進んで行くという意味にその言葉を解釈しました。果断に富んだ彼の性格が、恋の方面に発揮されるのがすなわち彼の覚悟だろうと
一図に思い込んでしまったのです。
私は私にも最後の決断が必要だという声を心の耳で聞きました。私はすぐその声に応じて勇気を振り起しました。私はKより先に、しかもKの知らない
間に、事を運ばなくてはならないと覚悟を
極めました。私は黙って機会を
覘っていました。しかし二日
経っても三日経っても、私はそれを
捕まえる事ができません。私はKのいない時、またお嬢さんの留守な折を待って、奥さんに談判を開こうと考えたのです。しかし片方がいなければ、片方が邪魔をするといった
風の日ばかり続いて、どうしても「今だ」と思う好都合が出て来てくれないのです。私はいらいらしました。
一週間の
後私はとうとう堪え切れなくなって
仮病を
遣いました。奥さんからもお嬢さんからも、K自身からも、起きろという催促を受けた私は、
生返事をしただけで、十時
頃まで
蒲団を
被って寝ていました。私はKもお嬢さんもいなくなって、家の
内がひっそり静まった頃を
見計らって寝床を出ました。私の顔を見た奥さんは、すぐどこが悪いかと尋ねました。
食物は
枕元へ運んでやるから、もっと寝ていたらよかろうと忠告してもくれました。
身体に異状のない私は、とても寝る気にはなれません。顔を洗っていつもの通り茶の間で
飯を食いました。その時奥さんは
長火鉢の
向側から給仕をしてくれたのです。私は
朝飯とも
午飯とも片付かない
茶椀を手に持ったまま、どんな風に問題を切り出したものだろうかと、そればかりに
屈托していたから、外観からは実際気分の
好くない病人らしく見えただろうと思います。
私は飯を
終って
烟草を吹かし出しました。私が立たないので奥さんも火鉢の
傍を離れる訳にゆきません。
下女を呼んで
膳を下げさせた上、
鉄瓶に水を
注したり、火鉢の
縁を
拭いたりして、私に調子を合わせています。私は奥さんに特別な用事でもあるのかと問いました。奥さんはいいえと答えましたが、今度は向うでなぜですと聞き返して来ました。私は実は少し話したい事があるのだといいました。奥さんは何ですかといって、私の顔を見ました。奥さんの調子はまるで私の気分にはいり込めないような軽いものでしたから、私は次に出すべき文句も少し渋りました。
私は仕方なしに言葉の上で、
好い加減にうろつき
廻った末、Kが
近頃何かいいはしなかったかと奥さんに聞いてみました。奥さんは思いも寄らないという風をして、「何を?」とまた反問して来ました。そうして私の答える前に、「あなたには何かおっしゃったんですか」とかえって向うで聞くのです。
「Kから聞かされた打ち明け話を、奥さんに伝える気のなかった私は、「いいえ」といってしまった後で、すぐ自分の
嘘を
快からず感じました。仕方がないから、別段何も頼まれた覚えはないのだから、Kに関する用件ではないのだといい直しました。奥さんは「そうですか」といって、
後を待っています。私はどうしても切り出さなければならなくなりました。私は突然「奥さん、お嬢さんを私に下さい」といいました。奥さんは私の予期してかかったほど驚いた様子も見せませんでしたが、それでも
少時返事ができなかったものと見えて、黙って私の顔を
眺めていました。一度いい出した私は、いくら顔を見られても、それに
頓着などはしていられません。「下さい、ぜひ下さい」といいました。「私の妻としてぜひ下さい」といいました。奥さんは年を取っているだけに、私よりもずっと落ち付いていました。「上げてもいいが、あんまり急じゃありませんか」と聞くのです。私が「急に
貰いたいのだ」とすぐ答えたら笑い出しました。そうして「よく考えたのですか」と念を押すのです。私はいい出したのは突然でも、考えたのは突然でないという訳を強い言葉で説明しました。
それからまだ二つ三つの問答がありましたが、私はそれを忘れてしまいました。男のように
判然したところのある奥さんは、普通の女と違ってこんな場合には大変心持よく話のできる人でした。「
宜ござんす、差し上げましょう」といいました。「差し上げるなんて
威張った口の
利ける境遇ではありません。どうぞ貰って下さい。ご存じの通り父親のない
憐れな子です」と
後では向うから頼みました。
話は簡単でかつ
明瞭に片付いてしまいました。最初からしまいまでにおそらく十五分とは
掛らなかったでしょう。奥さんは何の条件も持ち出さなかったのです。親類に相談する必要もない、後から断ればそれで沢山だといいました。本人の
意嚮さえたしかめるに及ばないと明言しました。そんな点になると、学問をした私の方が、かえって形式に
拘泥するくらいに思われたのです。親類はとにかく、当人にはあらかじめ話して承諾を
得るのが順序らしいと私が注意した時、奥さんは「大丈夫です。本人が不承知の所へ、私があの子をやるはずがありませんから」といいました。
自分の
室へ帰った私は、事のあまりに訳もなく進行したのを考えて、かえって変な気持になりました。はたして大丈夫なのだろうかという疑念さえ、どこからか頭の底に
這い込んで来たくらいです。けれども大体の上において、私の未来の運命は、これで定められたのだという観念が私のすべてを新たにしました。
私は
午頃また茶の間へ出掛けて行って、奥さんに、
今朝の話をお嬢さんに
何時通じてくれるつもりかと尋ねました。奥さんは、自分さえ承知していれば、いつ話しても構わなかろうというような事をいうのです。こうなると何だか私よりも相手の方が男みたようなので、私はそれぎり引き込もうとしました。すると奥さんが私を引き留めて、もし早い方が希望ならば、今日でもいい、
稽古から帰って来たら、すぐ話そうというのです。私はそうしてもらう方が都合が
好いと答えてまた自分の室に帰りました。しかし黙って自分の机の前に
坐って、二人のこそこそ話を遠くから聞いている私を想像してみると、何だか落ち付いていられないような気もするのです。私はとうとう帽子を
被って表へ出ました。そうしてまた坂の下でお嬢さんに行き合いました。何にも知らないお嬢さんは私を見て驚いたらしかったのです。私が帽子を
脱って「今お帰り」と尋ねると、向うではもう病気は
癒ったのかと不思議そうに聞くのです。私は「ええ癒りました、癒りました」と答えて、ずんずん
水道橋の方へ曲ってしまいました。
「私は
猿楽町から
神保町の通りへ出て、
小川町の方へ曲りました。私がこの
界隈を歩くのは、いつも古本屋をひやかすのが目的でしたが、その日は
手摺れのした書物などを
眺める気が、どうしても起らないのです。私は歩きながら絶えず
宅の事を考えていました。私には
先刻の奥さんの記憶がありました。それからお嬢さんが宅へ帰ってからの想像がありました。私はつまりこの二つのもので歩かせられていたようなものです。その上私は時々往来の真中で我知らずふと立ち留まりました。そうして今頃は奥さんがお嬢さんにもうあの話をしている時分だろうなどと考えました。また
或る時は、もうあの話が済んだ頃だとも思いました。
私はとうとう
万世橋を渡って、
明神の坂を上がって、
本郷台へ来て、それからまた
菊坂を下りて、しまいに
小石川の谷へ下りたのです。私の歩いた距離はこの三区に
跨がって、いびつな円を
描いたともいわれるでしょうが、私はこの長い散歩の間ほとんどKの事を考えなかったのです。今その時の私を回顧して、なぜだと自分に聞いてみても
一向分りません。ただ不思議に思うだけです。私の心がKを忘れ
得るくらい、一方に緊張していたとみればそれまでですが、私の良心がまたそれを許すべきはずはなかったのですから。
Kに対する私の良心が復活したのは、私が宅の
格子を開けて、玄関から
坐敷へ通る時、すなわち例のごとく彼の
室を抜けようとした瞬間でした。彼はいつもの通り机に向って書見をしていました。彼はいつもの通り書物から眼を放して、私を見ました。しかし彼はいつもの通り今帰ったのかとはいいませんでした。彼は「病気はもう
癒いのか、医者へでも行ったのか」と聞きました。私はその
刹那に、彼の前に手を突いて、
詫まりたくなったのです。しかも私の受けたその時の衝動は決して弱いものではなかったのです。もしKと私がたった二人
曠野の真中にでも立っていたならば、私はきっと良心の命令に従って、その場で彼に謝罪したろうと思います。しかし奥には人がいます。私の自然はすぐそこで食い留められてしまったのです。そうして悲しい事に永久に復活しなかったのです。
夕飯の時Kと私はまた顔を合せました。何にも知らないKはただ沈んでいただけで、少しも疑い深い眼を私に向けません。何にも知らない奥さんはいつもより
嬉しそうでした。私だけがすべてを知っていたのです。私は鉛のような飯を食いました。その時お嬢さんはいつものようにみんなと同じ食卓に並びませんでした。奥さんが催促すると、次の室で
只今と答えるだけでした。それをKは不思議そうに聞いていました。しまいにどうしたのかと奥さんに尋ねました。奥さんは
大方極りが悪いのだろうといって、ちょっと私の顔を見ました。Kはなお不思議そうに、なんで極りが悪いのかと
追窮しに
掛かりました。奥さんは微笑しながらまた私の顔を見るのです。
私は食卓に着いた初めから、奥さんの
顔付で、事の
成行をほぼ推察していました。しかしKに説明を与えるために、私のいる前で、それを
悉く話されては
堪らないと考えました。奥さんはまたそのくらいの事を平気でする女なのですから、私はひやひやしたのです。幸いにKはまた元の沈黙に帰りました。
平生より多少機嫌のよかった奥さんも、とうとう私の恐れを
抱いている点までは話を進めずにしまいました。私はほっと
一息して室へ帰りました。しかし私がこれから先Kに対して取るべき態度は、どうしたものだろうか、私はそれを考えずにはいられませんでした。私は色々の弁護を自分の胸で
拵えてみました。けれどもどの弁護もKに対して面と向うには足りませんでした、
卑怯な私はついに自分で自分をKに説明するのが
厭になったのです。
「私はそのまま二、三日過ごしました。その二、三日の間Kに対する絶えざる不安が私の胸を重くしていたのはいうまでもありません。私はただでさえ何とかしなければ、彼に済まないと思ったのです。その上奥さんの調子や、お嬢さんの態度が、始終私を突ッつくように
刺戟するのですから、私はなお
辛かったのです。どこか男らしい気性を
具えた奥さんは、いつ私の事を食卓でKに
素ぱ抜かないとも限りません。それ以来ことに目立つように思えた私に対するお嬢さんの
挙止動作も、Kの心を曇らす不審の種とならないとは断言できません。私は何とかして、私とこの家族との間に成り立った新しい関係を、Kに知らせなければならない位置に立ちました。しかし倫理的に弱点をもっていると、自分で自分を認めている私には、それがまた至難の事のように感ぜられたのです。
私は仕方がないから、奥さんに頼んでKに改めてそういってもらおうかと考えました。無論私のいない時にです。しかしありのままを告げられては、直接と間接の区別があるだけで、
面目のないのに変りはありません。といって、
拵え事を話してもらおうとすれば、奥さんからその理由を
詰問されるに
極っています。もし奥さんにすべての事情を打ち明けて頼むとすれば、私は好んで自分の弱点を自分の愛人とその母親の前に
曝け出さなければなりません。
真面目な私には、それが私の未来の信用に関するとしか思われなかったのです。結婚する前から恋人の信用を失うのは、たとい一
分一
厘でも、私には堪え切れない不幸のように見えました。
要するに私は正直な
路を歩くつもりで、つい足を滑らした馬鹿ものでした。もしくは
狡猾な男でした。そうしてそこに気のついているものは、今のところただ天と私の心だけだったのです。しかし立ち直って、もう一歩前へ踏み出そうとするには、今滑った事をぜひとも周囲の人に知られなければならない
窮境に
陥ったのです。私はあくまで滑った事を隠したがりました。同時に、どうしても前へ出ずにはいられなかったのです。私はこの間に
挟まってまた
立ち
竦みました。
五、六日
経った
後、奥さんは突然私に向って、Kにあの事を話したかと聞くのです。私はまだ話さないと答えました。するとなぜ話さないのかと、奥さんが私を
詰るのです。私はこの問いの前に固くなりました。その時奥さんが私を驚かした言葉を、私は今でも忘れずに覚えています。
「道理で
妾が話したら変な顔をしていましたよ。あなたもよくないじゃありませんか。
平生あんなに親しくしている間柄だのに、黙って知らん顔をしているのは」
私はKがその時何かいいはしなかったかと奥さんに聞きました。奥さんは別段何にもいわないと答えました。しかし私は進んでもっと
細かい事を尋ねずにはいられませんでした。奥さんは
固より何も隠す訳がありません。大した話もないがといいながら、一々Kの様子を語って聞かせてくれました。
奥さんのいうところを
綜合して考えてみると、Kはこの最後の打撃を、最も落ち付いた驚きをもって迎えたらしいのです。Kはお嬢さんと私との間に結ばれた新しい関係について、最初はそうですかとただ
一口いっただけだったそうです。しかし奥さんが、「あなたも喜んで下さい」と述べた時、彼ははじめて奥さんの顔を見て微笑を
洩らしながら、「おめでとうございます」といったまま席を立ったそうです。そうして茶の間の
障子を開ける前に、また奥さんを振り返って、「結婚はいつですか」と聞いたそうです。それから「何かお祝いを上げたいが、私は金がないから上げる事ができません」といったそうです。奥さんの前に
坐っていた私は、その話を聞いて胸が
塞るような苦しさを覚えました。
「勘定して見ると奥さんがKに話をしてからもう二日余りになります。その間Kは私に対して少しも以前と異なった様子を見せなかったので、私は全くそれに気が付かずにいたのです。彼の超然とした態度はたとい外観だけにもせよ、敬服に
値すべきだと私は考えました。彼と私を頭の中で並べてみると、彼の方が
遥かに立派に見えました。「おれは策略で勝っても人間としては負けたのだ」という感じが私の胸に渦巻いて起りました。私はその時さぞKが
軽蔑している事だろうと思って、一人で顔を
赧らめました。しかし今更Kの前に出て、恥を
掻かせられるのは、私の自尊心にとって大いな苦痛でした。
私が進もうか
止そうかと考えて、ともかくも
翌日まで待とうと決心したのは土曜の晩でした。ところがその晩に、Kは自殺して死んでしまったのです。私は今でもその光景を思い出すと
慄然とします。いつも
東枕で寝る私が、その晩に限って、偶然西枕に
床を敷いたのも、何かの
因縁かも知れません。私は枕元から吹き込む寒い風でふと眼を覚ましたのです。見ると、いつも立て切ってあるKと私の
室との
仕切の
襖が、この間の晩と同じくらい
開いています。けれどもこの間のように、Kの黒い姿はそこには立っていません。私は暗示を受けた人のように、床の上に
肱を突いて起き上がりながら、
屹とKの室を
覗きました。
洋燈が暗く
点っているのです。それで床も敷いてあるのです。しかし
掛蒲団は
跳返されたように
裾の方に重なり合っているのです。そうしてK自身は向うむきに
突ッ
伏しているのです。
私はおいといって声を掛けました。しかし何の答えもありません。おいどうかしたのかと私はまたKを呼びました。それでもKの
身体は
些とも動きません。私はすぐ起き上って、
敷居際まで行きました。そこから彼の室の様子を、暗い
洋燈の光で
見廻してみました。
その時私の受けた第一の感じは、Kから突然恋の自白を聞かされた時のそれとほぼ同じでした。私の眼は彼の室の中を
一目見るや
否や、あたかも
硝子で作った義眼のように、動く能力を失いました。私は
棒立ちに
立ち
竦みました。それが
疾風のごとく私を通過したあとで、私はまたああ
失策ったと思いました。もう取り返しが付かないという黒い光が、私の未来を貫いて、一瞬間に私の前に横たわる全生涯を
物凄く照らしました。そうして私はがたがた
顫え出したのです。
それでも私はついに私を忘れる事ができませんでした。私はすぐ机の上に置いてある手紙に眼を着けました。それは予期通り私の
名宛になっていました。私は夢中で封を切りました。しかし中には私の予期したような事は何にも書いてありませんでした。私は私に取ってどんなに
辛い文句がその中に書き
列ねてあるだろうと予期したのです。そうして、もしそれが奥さんやお嬢さんの眼に触れたら、どんなに軽蔑されるかも知れないという恐怖があったのです。私はちょっと眼を通しただけで、まず助かったと思いました。(
固より
世間体の上だけで助かったのですが、その世間体がこの場合、私にとっては非常な重大事件に見えたのです。)
手紙の内容は簡単でした。そうしてむしろ抽象的でした。自分は
薄志弱行で到底
行先の望みがないから、自殺するというだけなのです。それから今まで私に世話になった礼が、ごくあっさりとした文句でその
後に付け加えてありました。世話ついでに死後の
片付方も頼みたいという言葉もありました。奥さんに迷惑を掛けて済まんから
宜しく
詫をしてくれという句もありました。国元へは私から知らせてもらいたいという依頼もありました。必要な事はみんな
一口ずつ書いてある中にお嬢さんの名前だけはどこにも見えません。私はしまいまで読んで、すぐKがわざと回避したのだという事に気が付きました。しかし私のもっとも痛切に感じたのは、最後に
墨の余りで書き添えたらしく見える、もっと早く死ぬべきだのになぜ今まで生きていたのだろうという意味の文句でした。
私は
顫える手で、手紙を巻き収めて、再び封の中へ入れました。私はわざとそれを
皆なの眼に着くように、元の通り机の上に置きました。そうして振り返って、
襖に
迸っている血潮を始めて見たのです。
「私は突然Kの頭を
抱えるように両手で少し持ち上げました。私はKの
死顔が
一目見たかったのです。しかし
俯伏しになっている彼の顔を、こうして下から
覗き込んだ時、私はすぐその手を放してしまいました。
慄としたばかりではないのです。彼の頭が非常に重たく感ぜられたのです。私は上から今
触った冷たい耳と、
平生に変らない
五分刈の濃い髪の毛を
少時眺めていました。私は少しも泣く気にはなれませんでした。私はただ恐ろしかったのです。そうしてその恐ろしさは、眼の前の光景が官能を
刺激して起る単調な恐ろしさばかりではありません。私は
忽然と冷たくなったこの友達によって暗示された運命の恐ろしさを深く感じたのです。
私は何の
分別もなくまた私の
室に帰りました。そうして八畳の中をぐるぐる
廻り始めました。私の頭は無意味でも当分そうして動いていろと私に命令するのです。私はどうかしなければならないと思いました。同時にもうどうする事もできないのだと思いました。座敷の中をぐるぐる廻らなければいられなくなったのです。
檻の中へ入れられた
熊のような態度で。
私は時々奥へ行って奥さんを起そうという気になります。けれども女にこの恐ろしい有様を見せては悪いという心持がすぐ私を
遮ります。奥さんはとにかく、お嬢さんを驚かす事は、とてもできないという強い意志が私を
抑えつけます。私はまたぐるぐる廻り始めるのです。
私はその間に自分の室の
洋燈を
点けました。それから時計を折々見ました。その時の時計ほど
埒の
明かない遅いものはありませんでした。私の起きた時間は、正確に分らないのですけれども、もう
夜明に
間もなかった事だけは明らかです。ぐるぐる
廻りながら、その夜明を待ち
焦れた私は、永久に暗い夜が続くのではなかろうかという思いに悩まされました。
我々は七時前に起きる習慣でした。学校は八時に始まる事が多いので、それでないと授業に間に合わないのです。
下女はその関係で六時頃に起きる訳になっていました。しかしその日私が下女を起しに行ったのはまだ六時前でした。すると奥さんが今日は日曜だといって注意してくれました。奥さんは私の足音で眼を覚ましたのです。私は奥さんに眼が覚めているなら、ちょっと私の
室まで来てくれと頼みました。奥さんは寝巻の上へ
不断着の羽織を
引っ
掛けて、私の
後に
跟いて来ました。私は室へはいるや
否や、今まで
開いていた仕切りの
襖をすぐ立て切りました。そうして奥さんに飛んだ事ができたと小声で告げました。奥さんは何だと聞きました。私は
顋で隣の室を指すようにして、「驚いちゃいけません」といいました。奥さんは
蒼い顔をしました。「奥さん、Kは自殺しました」と私がまたいいました。奥さんはそこに
居竦まったように、私の顔を見て黙っていました。その時私は突然奥さんの前へ手を突いて頭を下げました。「済みません。私が悪かったのです。あなたにもお嬢さんにも済まない事になりました」と
詫まりました。私は奥さんと向い合うまで、そんな言葉を口にする気はまるでなかったのです。しかし奥さんの顔を見た時不意に我とも知らずそういってしまったのです。Kに詫まる事のできない私は、こうして奥さんとお嬢さんに
詫びなければいられなくなったのだと思って下さい。つまり私の自然が
平生の私を出し抜いてふらふらと
懺悔の口を開かしたのです。奥さんがそんな深い意味に、私の言葉を解釈しなかったのは私にとって幸いでした。蒼い顔をしながら、「不慮の出来事なら仕方がないじゃありませんか」と慰めるようにいってくれました。しかしその顔には驚きと
怖れとが、
彫り付けられたように、
硬く筋肉を
攫んでいました。
「私は奥さんに気の毒でしたけれども、また立って今閉めたばかりの
唐紙を開けました。その時Kの
洋燈に油が尽きたと見えて、
室の中はほとんど
真暗でした。私は引き返して自分の洋燈を手に持ったまま、入口に立って奥さんを顧みました。奥さんは私の後ろから隠れるようにして、四畳の中を
覗き込みました。しかしはいろうとはしません。そこはそのままにしておいて、雨戸を開けてくれと私にいいました。
それから
後の奥さんの態度は、さすがに軍人の
未亡人だけあって要領を得ていました。私は医者の所へも行きました。また警察へも行きました。しかしみんな奥さんに命令されて行ったのです。奥さんはそうした
手続の済むまで、誰もKの部屋へは
入れませんでした。
Kは小さなナイフで
頸動脈を切って
一息に死んでしまったのです。
外に
創らしいものは何にもありませんでした。私が夢のような薄暗い
灯で見た唐紙の血潮は、彼の
頸筋から一度に
迸ったものと知れました。私は
日中の光で明らかにその
迹を再び
眺めました。そうして人間の血の
勢いというものの
劇しいのに驚きました。
奥さんと私はできるだけの
手際と工夫を用いて、Kの
室を掃除しました。彼の血潮の大部分は、幸い彼の
蒲団に吸収されてしまったので、畳はそれほど汚れないで済みましたから、後始末は
[#「後始末は」は底本では「後始未は」]まだ楽でした。二人は彼の
死骸を私の室に入れて、不断の通り寝ている
体に横にしました。私はそれから彼の実家へ電報を打ちに出たのです。
私が帰った時は、Kの
枕元にもう線香が立てられていました。室へはいるとすぐ
仏臭い
烟で鼻を
撲たれた私は、その烟の中に
坐っている女二人を認めました。私がお嬢さんの顔を見たのは、
昨夜来この時が始めてでした。お嬢さんは泣いていました。奥さんも眼を赤くしていました。事件が起ってからそれまで泣く事を忘れていた私は、その時ようやく悲しい気分に誘われる事ができたのです。私の胸はその悲しさのために、どのくらい
寛ろいだか知れません。苦痛と恐怖でぐいと握り締められた私の心に、
一滴の
潤を与えてくれたものは、その時の悲しさでした。
私は黙って二人の
傍に坐っていました。奥さんは私にも線香を上げてやれといいます。私は線香を上げてまた黙って坐っていました。お嬢さんは私には何ともいいません。たまに奥さんと
一口二口言葉を
換わす事がありましたが、それは当座の用事についてのみでした。お嬢さんにはKの生前について語るほどの余裕がまだ出て来なかったのです。私はそれでも
昨夜の
物凄い有様を見せずに済んでまだよかったと心のうちで思いました。若い美しい人に恐ろしいものを見せると、
折角の美しさが、そのために破壊されてしまいそうで私は
怖かったのです。私の恐ろしさが私の髪の毛の末端まで来た時ですら、私はその考えを度外に置いて行動する事はできませんでした。私には
綺麗な花を罪もないのに
妄りに
鞭うつと同じような不快がそのうちに
籠っていたのです。
国元からKの父と兄が出て来た時、私はKの遺骨をどこへ
埋めるかについて自分の意見を述べました。私は彼の生前に
雑司ヶ谷近辺をよくいっしょに散歩した事があります。Kにはそこが大変気に入っていたのです。それで私は
笑談半分に、そんなに好きなら死んだらここへ埋めてやろうと約束した覚えがあるのです。私も今その約束通りKを雑司ヶ谷へ
葬ったところで、どのくらいの
功徳になるものかとは思いました。けれども私は私の生きている限り、Kの墓の前に
跪いて月々私の
懺悔を新たにしたかったのです。今まで構い付けなかったKを、私が万事世話をして来たという義理もあったのでしょう、Kの父も兄も私のいう事を聞いてくれました。
「Kの葬式の帰り
路に、私はその友人の一人から、Kがどうして自殺したのだろうという質問を受けました。事件があって以来私はもう何度となくこの質問で苦しめられていたのです。奥さんもお嬢さんも、国から出て来たKの父兄も、通知を出した知り合いも、彼とは何の縁故もない新聞記者までも、必ず同様の質問を私に掛けない事はなかったのです。私の良心はそのたびにちくちく刺されるように痛みました。そうして私はこの質問の裏に、早くお前が殺したと白状してしまえという声を聞いたのです。
私の答えは誰に対しても同じでした。私はただ彼の私
宛で書き残した手紙を繰り返すだけで、
外に
一口も附け加える事はしませんでした。葬式の帰りに同じ問いを掛けて、同じ答えを得たKの友人は、
懐から一枚の新聞を出して私に見せました。私は歩きながらその友人によって指し示された箇所を読みました。それにはKが父兄から勘当された結果
厭世的な考えを起して自殺したと書いてあるのです。私は何にもいわずに、その新聞を
畳んで友人の手に帰しました。友人はこの
外にもKが気が狂って自殺したと書いた新聞があるといって教えてくれました。忙しいので、ほとんど新聞を読む暇がなかった私は、まるでそうした方面の知識を欠いていましたが、腹の中では始終気にかかっていたところでした。私は何よりも
宅のものの迷惑になるような記事の出るのを恐れたのです。ことに名前だけにせよお嬢さんが引合いに出たら
堪らないと思っていたのです。私はその友人に
外に何とか書いたのはないかと聞きました。友人は自分の眼に着いたのは、ただその二種ぎりだと答えました。
私が今おる家へ
引っ
越したのはそれから間もなくでした。奥さんもお嬢さんも前の所にいるのを
厭がりますし、私もその
夜の記憶を毎晩繰り返すのが苦痛だったので、相談の上移る事に
極めたのです。
移って二カ月ほどしてから私は無事に大学を卒業しました。卒業して半年も
経たないうちに、私はとうとうお嬢さんと結婚しました。外側から見れば、万事が予期通りに運んだのですから、
目出度といわなければなりません。奥さんもお嬢さんもいかにも幸福らしく見えました。私も幸福だったのです。けれども私の幸福には黒い影が
随いていました。私はこの幸福が最後に私を悲しい運命に連れて行く導火線ではなかろうかと思いました。
結婚した時お嬢さんが、――もうお嬢さんではありませんから、
妻といいます。――妻が、何を思い出したのか、二人でKの
墓参りをしようといい出しました。私は意味もなくただぎょっとしました。どうしてそんな事を急に思い立ったのかと聞きました。妻は二人
揃ってお参りをしたら、Kがさぞ喜ぶだろうというのです。私は何事も知らない妻の顔をしけじけ
眺めていましたが、妻からなぜそんな顔をするのかと問われて始めて気が付きました。
私は妻の望み通り二人連れ立って
雑司ヶ谷へ行きました。私は新しいKの墓へ水をかけて洗ってやりました。妻はその前へ線香と花を立てました。二人は頭を下げて、合掌しました。妻は定めて私といっしょになった
顛末を述べてKに喜んでもらうつもりでしたろう。私は腹の中で、ただ自分が悪かったと繰り返すだけでした。
その時妻はKの墓を
撫でてみて立派だと評していました。その墓は大したものではないのですけれども、私が自分で石屋へ行って
見立てたりした
因縁があるので、妻はとくにそういいたかったのでしょう。私はその新しい墓と、新しい私の妻と、それから地面の下に
埋められたKの新しい白骨とを思い比べて、運命の
冷罵を感ぜずにはいられなかったのです。私はそれ以後決して妻といっしょにKの墓参りをしない事にしました。
「私の亡友に対するこうした感じはいつまでも続きました。実は私も初めからそれを恐れていたのです。年来の希望であった結婚すら、不安のうちに式を挙げたといえばいえない事もないでしょう。しかし自分で自分の先が見えない人間の事ですから、ことによるとあるいはこれが私の心持を一転して新しい生涯に
入る
端緒になるかも知れないとも思ったのです。ところがいよいよ夫として朝夕
妻と顔を合せてみると、私の
果敢ない希望は手厳しい現実のために
脆くも破壊されてしまいました。私は妻と顔を合せているうちに、
卒然Kに
脅かされるのです。つまり妻が中間に立って、Kと私をどこまでも結び付けて離さないようにするのです。妻のどこにも不足を感じない私は、ただこの一点において彼女を遠ざけたがりました。すると女の胸にはすぐそれが
映ります。映るけれども、理由は
解らないのです。私は時々妻からなぜそんなに考えているのだとか、何か気に入らない事があるのだろうとかいう
詰問を受けました。笑って済ませる時はそれで
差支えないのですが、時によると、妻の
癇も
高じて来ます。しまいには「あなたは私を嫌っていらっしゃるんでしょう」とか、「何でも私に隠していらっしゃる事があるに違いない」とかいう
怨言も聞かなくてはなりません。私はそのたびに苦しみました。
私は
一層思い切って、ありのままを妻に打ち明けようとした事が何度もあります。しかしいざという間際になると自分以外のある力が不意に来て私を
抑え付けるのです。私を理解してくれるあなたの事だから、説明する必要もあるまいと思いますが、話すべき筋だから話しておきます。その時分の私は妻に対して
己れを飾る気はまるでなかったのです。もし私が亡友に対すると同じような善良な心で、妻の前に
懺悔の言葉を並べたなら、妻は
嬉し涙をこぼしても私の罪を許してくれたに違いないのです。それをあえてしない私に利害の打算があるはずはありません。私はただ妻の記憶に暗黒な一点を
印するに忍びなかったから打ち明けなかったのです。純白なものに
一雫の
印気でも
容赦なく振り掛けるのは、私にとって大変な苦痛だったのだと解釈して下さい。
一年
経ってもKを忘れる事のできなかった私の心は常に不安でした。私はこの不安を
駆逐するために書物に
溺れようと
力めました。私は猛烈な
勢をもって勉強し始めたのです。そうしてその結果を世の中に
公にする日の来るのを待ちました。けれども無理に目的を
拵えて、無理にその目的の達せられる日を待つのは
嘘ですから不愉快です。私はどうしても書物のなかに心を
埋めていられなくなりました。私はまた腕組みをして世の中を
眺めだしたのです。
妻はそれを
今日に困らないから心に
弛みが出るのだと観察していたようでした。妻の家にも親子二人ぐらいは
坐っていてどうかこうか暮して行ける財産がある上に、私も職業を求めないで
差支えのない境遇にいたのですから、そう思われるのももっともです。私も幾分かスポイルされた気味がありましょう。しかし私の動かなくなった原因の主なものは、全くそこにはなかったのです。
叔父に
欺かれた当時の私は、
他の頼みにならない事をつくづくと感じたには相違ありませんが、
他を悪く取るだけあって、自分はまだ確かな気がしていました。世間はどうあろうともこの
己は立派な人間だという信念がどこかにあったのです。それがKのために
美事に破壊されてしまって、自分もあの叔父と同じ人間だと意識した時、私は急にふらふらしました。
他に
愛想を尽かした私は、自分にも愛想を尽かして動けなくなったのです。
「書物の中に自分を
生埋めにする事のできなかった私は、酒に魂を
浸して、
己れを忘れようと試みた時期もあります。私は酒が好きだとはいいません。けれども飲めば飲める
質でしたから、ただ量を頼みに心を
盛り
潰そうと
力めたのです。この
浅薄な方便はしばらくするうちに私をなお
厭世的にしました。私は
爛酔の
真最中にふと自分の位置に気が付くのです。自分はわざとこんな
真似をして己れを
偽っている
愚物だという事に気が付くのです。すると
身振いと共に眼も心も
醒めてしまいます。時にはいくら飲んでもこうした仮装状態にさえ
入り込めないでむやみに沈んで行く場合も出て来ます。その上技巧で愉快を買った
後には、きっと
沈鬱な反動があるのです。私は自分の最も愛している
妻とその母親に、いつでもそこを見せなければならなかったのです。しかも彼らは彼らに自然な立場から私を解釈して
掛ります。
妻の母は時々
気拙い事を妻にいうようでした。それを妻は私に隠していました。しかし自分は自分で、単独に私を責めなければ気が済まなかったらしいのです。責めるといっても、決して強い言葉ではありません。妻から何かいわれたために、私が激した
例はほとんどなかったくらいですから。妻はたびたびどこが気に入らないのか遠慮なくいってくれと頼みました。それから私の未来のために酒を
止めろと忠告しました。ある時は泣いて「あなたはこの
頃人間が違った」といいました。それだけならまだいいのですけれども、「Kさんが生きていたら、あなたもそんなにはならなかったでしょう」というのです。私はそうかも知れないと答えた事がありましたが、私の答えた意味と、妻の了解した意味とは全く違っていたのですから、私は心のうちで悲しかったのです。それでも私は妻に何事も説明する気にはなれませんでした。
私は時々妻に
詫まりました。それは多く酒に酔って遅く帰った
翌日の朝でした。妻は笑いました。あるいは黙っていました。たまにぽろぽろと涙を落す事もありました。私はどっちにしても自分が不愉快で
堪らなかったのです。だから私の妻に詫まるのは、自分に詫まるのとつまり同じ事になるのです。私はしまいに酒を
止めました。妻の忠告で止めたというより、自分で
厭になったから止めたといった方が適当でしょう。
酒は止めたけれども、何もする気にはなりません。仕方がないから書物を読みます。しかし読めば読んだなりで、
打ち
遣って置きます。私は妻から何のために勉強するのかという質問をたびたび受けました。私はただ苦笑していました。しかし腹の底では、世の中で自分が最も信愛しているたった一人の人間すら、自分を理解していないのかと思うと、悲しかったのです。理解させる手段があるのに、理解させる勇気が出せないのだと思うとますます悲しかったのです。私は
寂寞でした。どこからも切り離されて世の中にたった一人住んでいるような気のした事もよくありました。
同時に私はKの死因を繰り返し繰り返し考えたのです。その当座は頭がただ恋の一字で支配されていたせいでもありましょうが、私の観察はむしろ簡単でしかも直線的でした。Kは
正しく失恋のために死んだものとすぐ
極めてしまったのです。しかし段々落ち付いた気分で、同じ現象に向ってみると、そう
容易くは解決が着かないように思われて来ました。現実と理想の衝突、――それでもまだ不充分でした。私はしまいにKが私のようにたった一人で
淋しくって仕方がなくなった結果、急に
所決したのではなかろうかと疑い出しました。そうしてまた
慄としたのです。私もKの歩いた
路を、Kと同じように
辿っているのだという
予覚が、折々風のように私の胸を
横過り始めたからです。
「その内
妻の母が病気になりました。医者に見せると
到底癒らないという診断でした。私は力の及ぶかぎり懇切に看護をしてやりました。これは病人自身のためでもありますし、また愛する妻のためでもありましたが、もっと大きな意味からいうと、ついに人間のためでした。私はそれまでにも何かしたくって
堪らなかったのだけれども、何もする事ができないのでやむをえず
懐手をしていたに違いありません。世間と切り離された私が、始めて自分から手を出して、幾分でも
善い事をしたという自覚を得たのはこの時でした。私は
罪滅しとでも名づけなければならない、一種の気分に支配されていたのです。
母は死にました。私と
妻はたった二人ぎりになりました。妻は私に向って、これから世の中で頼りにするものは一人しかなくなったといいました。自分自身さえ頼りにする事のできない私は、妻の顔を見て思わず涙ぐみました。そうして妻を不幸な女だと思いました。また不幸な女だと口へ出してもいいました。妻はなぜだと聞きます。妻には私の意味が
解らないのです。私もそれを説明してやる事ができないのです。妻は泣きました。私が
不断からひねくれた考えで彼女を観察しているために、そんな事もいうようになるのだと
恨みました。
母の亡くなった
後、私はできるだけ妻を親切に取り扱ってやりました。ただ、当人を愛していたからばかりではありません。私の親切には
箇人を離れてもっと広い背景があったようです。ちょうど妻の母の看護をしたと同じ意味で、私の心は動いたらしいのです。妻は満足らしく見えました。けれどもその満足のうちには、私を理解し得ないために起るぼんやりした
稀薄な点がどこかに含まれているようでした。しかし妻が私を理解し得たにしたところで、この物足りなさは増すとも減る
気遣いはなかったのです。女には大きな人道の立場から来る愛情よりも、多少義理をはずれても自分だけに集注される親切を
嬉しがる性質が、男よりも強いように思われますから。
妻はある時、男の心と女の心とはどうしてもぴたりと一つになれないものだろうかといいました。私はただ若い時ならなれるだろうと
曖昧な返事をしておきました。妻は自分の過去を振り返って
眺めているようでしたが、やがて
微かな
溜息を
洩らしました。
私の胸にはその時分から時々恐ろしい影が
閃きました。初めはそれが偶然
外から襲って来るのです。私は驚きました。私はぞっとしました。しかししばらくしている
中に、私の心がその
物凄い閃きに応ずるようになりました。しまいには外から来ないでも、自分の胸の底に生れた時から
潜んでいるもののごとくに思われ出して来たのです。私はそうした心持になるたびに、自分の頭がどうかしたのではなかろうかと
疑ってみました。けれども私は医者にも誰にも
診てもらう気にはなりませんでした。
私はただ人間の罪というものを深く感じたのです。その感じが私をKの墓へ
毎月行かせます。その感じが私に妻の母の看護をさせます。そうしてその感じが妻に優しくしてやれと私に命じます。私はその感じのために、知らない
路傍の人から
鞭うたれたいとまで思った事もあります、こうした階段を段々経過して行くうちに、人に鞭うたれるよりも、自分で自分を鞭うつべきだという気になります。自分で自分を鞭うつよりも、自分で自分を殺すべきだという考えが起ります。私は仕方がないから、死んだ気で生きて行こうと決心しました。
私がそう決心してから
今日まで何年になるでしょう。私と妻とは元の通り仲好く暮して来ました。私と妻とは決して不幸ではありません、幸福でした。しかし私のもっている一点、私に取っては容易ならんこの一点が、妻には常に暗黒に見えたらしいのです。それを思うと、私は
妻に対して非常に気の毒な気がします。
「死んだつもりで生きて行こうと決心した私の心は、時々外界の
刺戟で
躍り上がりました。しかし私がどの方面かへ切って出ようと思い立つや
否や、恐ろしい力がどこからか出て来て、私の心をぐいと握り締めて少しも動けないようにするのです。そうしてその力が私にお前は何をする資格もない男だと
抑え付けるようにいって聞かせます。すると私はその
一言で
直ぐたりと
萎れてしまいます。しばらくしてまた立ち上がろうとすると、また締め付けられます。私は歯を食いしばって、何で
他の邪魔をするのかと怒鳴り付けます。不可思議な力は
冷やかな声で笑います。自分でよく知っているくせにといいます。私はまたぐたりとなります。
波瀾も曲折もない単調な生活を続けて来た私の内面には、常にこうした苦しい戦争があったものと思って下さい。
妻が見て
歯痒がる前に、私自身が
何層倍歯痒い思いを重ねて来たか知れないくらいです。私がこの
牢屋の
中に
凝としている事がどうしてもできなくなった時、またその牢屋をどうしても突き破る事ができなくなった時、
必竟私にとって一番楽な努力で
遂行できるものは自殺より
外にないと私は感ずるようになったのです。あなたはなぜといって眼を
□るかも知れませんが、いつも私の心を握り締めに来るその不可思議な恐ろしい力は、私の活動をあらゆる方面で食い留めながら、死の道だけを自由に私のために開けておくのです。動かずにいればともかくも、少しでも動く以上は、その道を歩いて進まなければ私には進みようがなくなったのです。
私は
今日に至るまですでに二、三度運命の導いて行く最も楽な方向へ進もうとした事があります。しかし私はいつでも妻に心を
惹かされました。そうしてその妻をいっしょに連れて行く勇気は無論ないのです。妻にすべてを打ち明ける事のできないくらいな私ですから、自分の運命の
犠牲として、妻の
天寿を奪うなどという
手荒な
所作は、考えてさえ恐ろしかったのです。私に私の宿命がある通り、妻には妻の
廻り合せがあります、二人を
一束にして火に
燻べるのは、無理という点から見ても、痛ましい極端としか私には思えませんでした。
同時に私だけがいなくなった
後の妻を想像してみるといかにも
不憫でした。母の死んだ時、これから世の中で頼りにするものは私より外になくなったといった彼女の
述懐を、私は
腸に
沁み込むように記憶させられていたのです。私はいつも
躊躇しました。妻の顔を見て、
止してよかったと思う事もありました。そうしてまた
凝と
竦んでしまいます。そうして妻から時々物足りなそうな眼で
眺められるのです。
記憶して下さい。私はこんな
風にして生きて来たのです。始めてあなたに
鎌倉で会った時も、あなたといっしょに郊外を散歩した時も、私の気分に大した変りはなかったのです。私の後ろにはいつでも黒い影が
括ッ
付いていました。私は
妻のために、命を引きずって世の中を歩いていたようなものです。あなたが卒業して国へ帰る時も同じ事でした。九月になったらまたあなたに会おうと約束した私は、
嘘を
吐いたのではありません。全く会う気でいたのです。秋が去って、冬が来て、その冬が尽きても、きっと会うつもりでいたのです。
すると夏の暑い盛りに
明治天皇が
崩御になりました。その時私は明治の精神が天皇に始まって天皇に終ったような気がしました。最も強く明治の影響を受けた私どもが、その
後に生き残っているのは
必竟時勢遅れだという感じが
烈しく私の胸を打ちました。私は
明白さまに妻にそういいました。妻は笑って取り合いませんでしたが、何を思ったものか、突然私に、では
殉死でもしたらよかろうと
調戯いました。
「私は殉死という言葉をほとんど忘れていました。
平生使う必要のない字だから、記憶の底に沈んだまま、腐れかけていたものと見えます。妻の
笑談を聞いて始めてそれを思い出した時、私は妻に向ってもし自分が殉死するならば、明治の精神に殉死するつもりだと答えました。私の答えも無論笑談に過ぎなかったのですが、私はその時何だか古い不要な言葉に新しい意義を盛り得たような心持がしたのです。
それから約一カ月ほど
経ちました。
御大葬の夜私はいつもの通り書斎に
坐って、
相図の
号砲を聞きました。私にはそれが明治が永久に去った報知のごとく聞こえました。後で考えると、それが
乃木大将の永久に去った報知にもなっていたのです。私は号外を手にして、思わず妻に殉死だ殉死だといいました。
私は新聞で乃木大将の死ぬ前に書き残して行ったものを読みました。
西南戦争の時敵に旗を
奪られて以来、申し訳のために死のう死のうと思って、つい
今日まで生きていたという意味の句を見た時、私は思わず指を折って、乃木さんが死ぬ覚悟をしながら生きながらえて来た
年月を勘定して見ました。西南戦争は明治十年ですから、明治四十五年までには三十五年の距離があります。乃木さんはこの三十五年の
間死のう死のうと思って、死ぬ機会を待っていたらしいのです。私はそういう人に取って、生きていた三十五年が苦しいか、また刀を腹へ突き立てた
一刹那が苦しいか、どっちが苦しいだろうと考えました。
それから二、三日して、私はとうとう自殺する決心をしたのです。私に乃木さんの死んだ理由がよく
解らないように、あなたにも私の自殺する訳が明らかに
呑み込めないかも知れませんが、もしそうだとすると、それは時勢の推移から来る人間の相違だから仕方がありません。あるいは
箇人のもって生れた性格の相違といった方が
確かかも知れません。私は私のできる限りこの不可思議な私というものを、あなたに解らせるように、今までの叙述で
己れを
尽したつもりです。
私は
妻を残して行きます。私がいなくなっても妻に衣食住の心配がないのは
仕合せです。私は妻に残酷な
驚怖を与える事を好みません。私は妻に血の色を見せないで死ぬつもりです。妻の知らない
間に、こっそりこの世からいなくなるようにします。私は死んだ後で、妻から
頓死したと思われたいのです。気が狂ったと思われても満足なのです。
私が死のうと決心してから、もう十日以上になりますが、その大部分はあなたにこの長い自叙伝の一節を書き残すために使用されたものと思って下さい。始めはあなたに会って話をする気でいたのですが、書いてみると、かえってその方が自分を
判然描き出す事ができたような心持がして
嬉しいのです。私は
酔興に書くのではありません。私を生んだ私の過去は、人間の経験の一部分として、私より
外に誰も語り得るものはないのですから、それを
偽りなく書き残して置く私の努力は、人間を知る上において、あなたにとっても、外の人にとっても、徒労ではなかろうと思います。
渡辺華山は
邯鄲という
画を
描くために、死期を一週間繰り延べたという話をつい
先達て聞きました。
他から見たら余計な事のようにも解釈できましょうが、当人にはまた当人相応の要求が心の
中にあるのだからやむをえないともいわれるでしょう。私の努力も単にあなたに対する約束を果たすためばかりではありません。
半ば以上は自分自身の要求に動かされた結果なのです。
しかし私は今その要求を果たしました。もう何にもする事はありません。この手紙があなたの手に落ちる
頃には、私はもうこの世にはいないでしょう。とくに死んでいるでしょう。妻は十日ばかり前から
市ヶ谷の
叔母の所へ行きました。叔母が病気で手が足りないというから私が勧めてやったのです。私は妻の留守の
間に、この長いものの大部分を書きました。時々妻が帰って来ると、私はすぐそれを隠しました。
私は私の過去を善悪ともに
他の参考に供するつもりです。しかし妻だけはたった一人の例外だと承知して下さい。私は妻には何にも知らせたくないのです。妻が
己れの過去に対してもつ記憶を、なるべく純白に保存しておいてやりたいのが私の
唯一の希望なのですから、私が死んだ
後でも、妻が生きている以上は、あなた限りに打ち明けられた私の秘密として、すべてを腹の中にしまっておいて下さい。」