日语文学作品赏析《坊っちゃん》(1)
作者:夏目漱石
来源:青空文库
2010-01-06 00:00
一
親譲 りの無鉄砲 で子供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰 を抜 かした事がある。なぜそんな無闇 をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談 に、いくら威張 っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃 したからである。小使 に負ぶさって帰って来た時、おやじが大きな眼 をして二階ぐらいから飛び降りて腰を抜かす奴 があるかと云 ったから、この次は抜かさずに飛んで見せますと答えた。
親類のものから西洋製のナイフを貰 って奇麗 な刃 を日に翳 して、友達 に見せていたら、一人が光る事は光るが切れそうもないと云った。切れぬ事があるか、何でも切ってみせると受け合った。そんなら君の指を切ってみろと注文したから、何だ指ぐらいこの通りだと右の手の親指の甲 をはすに切り込 んだ。幸 ナイフが小さいのと、親指の骨が堅 かったので、今だに親指は手に付いている。しかし創痕 は死ぬまで消えぬ。
庭を東へ二十歩に行き尽 すと、南上がりにいささかばかりの菜園があって、真中 に栗 の木が一本立っている。これは命より大事な栗だ。実の熟する時分は起き抜けに背戸 を出て落ちた奴を拾ってきて、学校で食う。菜園の西側が山城屋 という質屋の庭続きで、この質屋に勘太郎 という十三四の倅 が居た。勘太郎は無論弱虫である。弱虫の癖 に四つ目垣を乗りこえて、栗を盗 みにくる。ある日の夕方折戸 の蔭 に隠 れて、とうとう勘太郎を捕 まえてやった。その時勘太郎は逃 げ路 を失って、一生懸命 に飛びかかってきた。向 うは二つばかり年上である。弱虫だが力は強い。鉢 の開いた頭を、こっちの胸へ宛 ててぐいぐい押 した拍子 に、勘太郎の頭がすべって、おれの袷 の袖 の中にはいった。邪魔 になって手が使えぬから、無暗に手を振 ったら、袖の中にある勘太郎の頭が、右左へぐらぐら靡 いた。しまいに苦しがって袖の中から、おれの二の腕 へ食い付いた。痛かったから勘太郎を垣根へ押しつけておいて、足搦 をかけて向うへ倒 してやった。山城屋の地面は菜園より六尺がた低い。勘太郎は四つ目垣を半分崩 して、自分の領分へ真逆様 に落ちて、ぐうと云った。勘太郎が落ちるときに、おれの袷の片袖がもげて、急に手が自由になった。その晩母が山城屋に詫 びに行ったついでに袷の片袖も取り返して来た。
この外いたずらは大分やった。大工の兼公 と肴屋 の角 をつれて、茂作 の人参畠 をあらした事がある。人参の芽が出揃 わぬ処 へ藁 が一面に敷 いてあったから、その上で三人が半日相撲 をとりつづけに取ったら、人参がみんな踏 みつぶされてしまった。古川 の持っている田圃 の井戸 を埋 めて尻 を持ち込まれた事もある。太い孟宗 の節を抜いて、深く埋めた中から水が湧 き出て、そこいらの稲 にみずがかかる仕掛 であった。その時分はどんな仕掛か知らぬから、石や棒 ちぎれをぎゅうぎゅう井戸の中へ挿 し込んで、水が出なくなったのを見届けて、うちへ帰って飯を食っていたら、古川が真赤 になって怒鳴 り込んで来た。たしか罰金 を出して済んだようである。
おやじはちっともおれを可愛 がってくれなかった。母は兄ばかり贔屓 にしていた。この兄はやに色が白くって、芝居 の真似 をして女形 になるのが好きだった。おれを見る度にこいつはどうせ碌 なものにはならないと、おやじが云った。乱暴で乱暴で行く先が案じられると母が云った。なるほど碌なものにはならない。ご覧の通りの始末である。行く先が案じられたのも無理はない。ただ懲役 に行かないで生きているばかりである。
母が病気で死ぬ二三日 前台所で宙返りをしてへっついの角で肋骨 を撲 って大いに痛かった。母が大層怒 って、お前のようなものの顔は見たくないと云うから、親類へ泊 りに行っていた。するととうとう死んだと云う報知 が来た。そう早く死ぬとは思わなかった。そんな大病なら、もう少し大人 しくすればよかったと思って帰って来た。そうしたら例の兄がおれを親不孝だ、おれのために、おっかさんが早く死んだんだと云った。口惜 しかったから、兄の横っ面を張って大変叱 られた。
母が死んでからは、おやじと兄と三人で暮 していた。おやじは何にもせぬ男で、人の顔さえ見れば貴様は駄目 だ駄目だと口癖のように云っていた。何が駄目なんだか今に分らない。妙 なおやじがあったもんだ。兄は実業家になるとか云ってしきりに英語を勉強していた。元来女のような性分で、ずるいから、仲がよくなかった。十日に一遍 ぐらいの割で喧嘩 をしていた。ある時将棋 をさしたら卑怯 な待駒 をして、人が困ると嬉 しそうに冷やかした。あんまり腹が立ったから、手に在った飛車を眉間 へ擲 きつけてやった。眉間が割れて少々血が出た。兄がおやじに言付 けた。おやじがおれを勘当 すると言い出した。
その時はもう仕方がないと観念して先方の云う通り勘当されるつもりでいたら、十年来召し使っている清 という下女が、泣きながらおやじに詫 まって、ようやくおやじの怒 りが解けた。それにもかかわらずあまりおやじを怖 いとは思わなかった。かえってこの清と云う下女に気の毒であった。この下女はもと由緒 のあるものだったそうだが、瓦解 のときに零落 して、つい奉公 までするようになったのだと聞いている。だから婆 さんである。この婆さんがどういう因縁 か、おれを非常に可愛がってくれた。不思議なものである。母も死ぬ三日前に愛想 をつかした――おやじも年中持て余している――町内では乱暴者の悪太郎と爪弾 きをする――このおれを無暗に珍重 してくれた。おれは到底 人に好かれる性 でないとあきらめていたから、他人から木の端 のように取り扱 われるのは何とも思わない、かえってこの清のようにちやほやしてくれるのを不審 に考えた。清は時々台所で人の居ない時に「あなたは真 っ直 でよいご気性だ」と賞 める事が時々あった。しかしおれには清の云う意味が分からなかった。好 い気性なら清以外のものも、もう少し善くしてくれるだろうと思った。清がこんな事を云う度におれはお世辞は嫌 いだと答えるのが常であった。すると婆さんはそれだから好いご気性ですと云っては、嬉しそうにおれの顔を眺 めている。自分の力でおれを製造して誇 ってるように見える。少々気味がわるかった。
母が死んでから清はいよいよおれを可愛がった。時々は小供心になぜあんなに可愛がるのかと不審に思った。つまらない、廃 せばいいのにと思った。気の毒だと思った。それでも清は可愛がる。折々は自分の小遣 いで金鍔 や紅梅焼 を買ってくれる。寒い夜などはひそかに蕎麦粉 を仕入れておいて、いつの間にか寝 ている枕元 へ蕎麦湯を持って来てくれる。時には鍋焼饂飩 さえ買ってくれた。ただ食い物ばかりではない。靴足袋 ももらった。鉛筆 も貰った、帳面も貰った。これはずっと後の事であるが金を三円ばかり貸してくれた事さえある。何も貸せと云った訳ではない。向うで部屋へ持って来てお小遣いがなくてお困りでしょう、お使いなさいと云ってくれたんだ。おれは無論入らないと云ったが、是非使えと云うから、借りておいた。実は大変嬉しかった。その三円を蝦蟇口 へ入れて、懐 へ入れたなり便所へ行ったら、すぽりと後架 の中へ落 してしまった。仕方がないから、のそのそ出てきて実はこれこれだと清に話したところが、清は早速竹の棒を捜 して来て、取って上げますと云った。しばらくすると井戸端 でざあざあ音がするから、出てみたら竹の先へ蝦蟇口の紐 を引き懸 けたのを水で洗っていた。それから口をあけて壱円札 を改めたら茶色になって模様が消えかかっていた。清は火鉢で乾 かして、これでいいでしょうと出した。ちょっとかいでみて臭 いやと云ったら、それじゃお出しなさい、取り換 えて来て上げますからと、どこでどう胡魔化 したか札の代りに銀貨を三円持って来た。この三円は何に使ったか忘れてしまった。今に返すよと云ったぎり、返さない。今となっては十倍にして返してやりたくても返せない。
清が物をくれる時には必ずおやじも兄も居ない時に限る。おれは何が嫌いだと云って人に隠れて自分だけ得をするほど嫌いな事はない。兄とは無論仲がよくないけれども、兄に隠して清から菓子 や色鉛筆を貰いたくはない。なぜ、おれ一人にくれて、兄さんには遣 らないのかと清に聞く事がある。すると清は澄 したものでお兄様 はお父様 が買ってお上げなさるから構いませんと云う。これは不公平である。おやじは頑固 だけれども、そんな依怙贔負 はせぬ男だ。しかし清の眼から見るとそう見えるのだろう。全く愛に溺 れていたに違 いない。元は身分のあるものでも教育のない婆さんだから仕方がない。単にこればかりではない。贔負目は恐ろしいものだ。清はおれをもって将来立身出世して立派なものになると思い込んでいた。その癖勉強をする兄は色ばかり白くって、とても役には立たないと一人できめてしまった。こんな婆さんに逢 っては叶 わない。自分の好きなものは必ずえらい人物になって、嫌いなひとはきっと落ち振れるものと信じている。おれはその時から別段何になると云う了見 もなかった。しかし清がなるなると云うものだから、やっぱり何かに成れるんだろうと思っていた。今から考えると馬鹿馬鹿 しい。ある時などは清にどんなものになるだろうと聞いてみた事がある。ところが清にも別段の考えもなかったようだ。ただ手車 へ乗って、立派な玄関 のある家をこしらえるに相違 ないと云った。
それから清はおれがうちでも持って独立したら、一所 になる気でいた。どうか置いて下さいと何遍も繰 り返して頼んだ。おれも何だかうちが持てるような気がして、うん置いてやると返事だけはしておいた。ところがこの女はなかなか想像の強い女で、あなたはどこがお好き、麹町 ですか麻布 ですか、お庭へぶらんこをおこしらえ遊ばせ、西洋間は一つでたくさんですなどと勝手な計画を独りで並 べていた。その時は家なんか欲しくも何ともなかった。西洋館も日本建 も全く不用であったから、そんなものは欲しくないと、いつでも清に答えた。すると、あなたは欲がすくなくって、心が奇麗だと云ってまた賞めた。清は何と云っても賞めてくれる。
母が死んでから五六年の間はこの状態で暮していた。おやじには叱られる。兄とは喧嘩をする。清には菓子を貰う、時々賞められる。別に望みもない。これでたくさんだと思っていた。ほかの小供も一概 にこんなものだろうと思っていた。ただ清が何かにつけて、あなたはお可哀想 だ、不仕合 だと無暗に云うものだから、それじゃ可哀想で不仕合せなんだろうと思った。その外に苦になる事は少しもなかった。ただおやじが小遣いをくれないには閉口した。
母が死んでから六年目の正月におやじも卒中で亡くなった。その年の四月におれはある私立の中学校を卒業する。六月に兄は商業学校を卒業した。兄は何とか会社の九州の支店に口があって行 かなければならん。おれは東京でまだ学問をしなければならない。兄は家を売って財産を片付けて任地へ出立 すると云い出した。おれはどうでもするがよかろうと返事をした。どうせ兄の厄介 になる気はない。世話をしてくれるにしたところで、喧嘩をするから、向うでも何とか云い出すに極 っている。なまじい保護を受ければこそ、こんな兄に頭を下げなければならない。牛乳配達をしても食ってられると覚悟 をした。兄はそれから道具屋を呼んで来て、先祖代々の瓦落多 を二束三文 に売った。家屋敷 はある人の周旋 である金満家に譲った。この方は大分金になったようだが、詳 しい事は一向知らぬ。おれは一ヶ月以前から、しばらく前途の方向のつくまで神田の小川町 へ下宿していた。清は十何年居たうちが人手に渡 るのを大いに残念がったが、自分のものでないから、仕様がなかった。あなたがもう少し年をとっていらっしゃれば、ここがご相続が出来ますものをとしきりに口説いていた。もう少し年をとって相続が出来るものなら、今でも相続が出来るはずだ。婆さんは何 も知らないから年さえ取れば兄の家がもらえると信じている。
兄とおれはかように分れたが、困ったのは清の行く先である。兄は無論連れて行ける身分でなし、清も兄の尻にくっ付いて九州下 りまで出掛ける気は毛頭なし、と云ってこの時のおれは四畳半 の安下宿に籠 って、それすらもいざとなれば直ちに引き払 わねばならぬ始末だ。どうする事も出来ん。清に聞いてみた。どこかへ奉公でもする気かねと云ったらあなたがおうちを持って、奥 さまをお貰いになるまでは、仕方がないから、甥 の厄介になりましょうとようやく決心した返事をした。この甥は裁判所の書記でまず今日には差支 えなく暮していたから、今までも清に来るなら来いと二三度勧めたのだが、清はたとい下女奉公はしても年来住み馴 れた家 の方がいいと云って応じなかった。しかし今の場合知らぬ屋敷へ奉公易 えをして入らぬ気兼 を仕直すより、甥の厄介になる方がましだと思ったのだろう。それにしても早くうちを持ての、妻 を貰えの、来て世話をするのと云う。親身 の甥よりも他人のおれの方が好きなのだろう。
九州へ立つ二日前兄が下宿へ来て金を六百円出してこれを資本にして商買 をするなり、学資にして勉強をするなり、どうでも随意 に使うがいい、その代りあとは構わないと云った。兄にしては感心なやり方だ、何の六百円ぐらい貰わんでも困りはせんと思ったが、例に似ぬ淡泊 な処置が気に入ったから、礼を云って貰っておいた。兄はそれから五十円出してこれをついでに清に渡してくれと云ったから、異議なく引き受けた。二日立って新橋の停車場 で分れたぎり兄にはその後一遍も逢わない。
おれは六百円の使用法について寝ながら考えた。商買をしたって面倒 くさくって旨 く出来るものじゃなし、ことに六百円の金で商買らしい商買がやれる訳でもなかろう。よしやれるとしても、今のようじゃ人の前へ出て教育を受けたと威張れないからつまり損になるばかりだ。資本などはどうでもいいから、これを学資にして勉強してやろう。六百円を三に割って一年に二百円ずつ使えば三年間は勉強が出来る。三年間一生懸命にやれば何か出来る。それからどこの学校へはいろうと考えたが、学問は生来 どれもこれも好きでない。ことに語学とか文学とか云うものは真平 ご免 だ。新体詩などと来ては二十行あるうちで一行も分らない。どうせ嫌いなものなら何をやっても同じ事だと思ったが、幸い物理学校の前を通り掛 ったら生徒募集の広告が出ていたから、何も縁だと思って規則書をもらってすぐ入学の手続きをしてしまった。今考えるとこれも親譲りの無鉄砲から起 った失策だ。
三年間まあ人並 に勉強はしたが別段たちのいい方でもないから、席順はいつでも下から勘定 する方が便利であった。しかし不思議なもので、三年立ったらとうとう卒業してしまった。自分でも可笑 しいと思ったが苦情を云う訳もないから大人しく卒業しておいた。
卒業してから八日目に校長が呼びに来たから、何か用だろうと思って、出掛けて行ったら、四国辺のある中学校で数学の教師が入る。月給は四十円だが、行ってはどうだという相談である。おれは三年間学問はしたが実を云うと教師になる気も、田舎 へ行く考えも何もなかった。もっとも教師以外に何をしようと云うあてもなかったから、この相談を受けた時、行きましょうと即席 に返事をした。これも親譲りの無鉄砲が祟 ったのである。
引き受けた以上は赴任 せねばならぬ。この三年間は四畳半に蟄居 して小言はただの一度も聞いた事がない。喧嘩もせずに済んだ。おれの生涯のうちでは比較的呑気 な時節であった。しかしこうなると四畳半も引き払わなければならん。生れてから東京以外に踏み出したのは、同級生と一所に鎌倉 へ遠足した時ばかりである。今度は鎌倉どころではない。大変な遠くへ行かねばならぬ。地図で見ると海浜で針の先ほど小さく見える。どうせ碌な所ではあるまい。どんな町で、どんな人が住んでるか分らん。分らんでも困らない。心配にはならぬ。ただ行くばかりである。もっとも少々面倒臭い。
家を畳 んでからも清の所へは折々行った。清の甥というのは存外結構な人である。おれが行 くたびに、居 りさえすれば、何くれと款待 なしてくれた。清はおれを前へ置いて、いろいろおれの自慢 を甥に聞かせた。今に学校を卒業すると麹町辺へ屋敷を買って役所へ通うのだなどと吹聴 した事もある。独りで極 めて一人 で喋舌 るから、こっちは困 まって顔を赤くした。それも一度や二度ではない。折々おれが小さい時寝小便をした事まで持ち出すには閉口した。甥は何と思って清の自慢を聞いていたか分らぬ。ただ清は昔風 の女だから、自分とおれの関係を封建 時代の主従 のように考えていた。自分の主人なら甥のためにも主人に相違ないと合点 したものらしい。甥こそいい面 の皮だ。
いよいよ約束が極まって、もう立つと云う三日前に清を尋 ねたら、北向きの三畳に風邪 を引いて寝ていた。おれの来たのを見て起き直るが早いか、坊 っちゃんいつ家 をお持ちなさいますと聞いた。卒業さえすれば金が自然とポッケットの中に湧いて来ると思っている。そんなにえらい人をつらまえて、まだ坊っちゃんと呼ぶのはいよいよ馬鹿気ている。おれは単簡に当分うちは持たない。田舎へ行くんだと云ったら、非常に失望した容子 で、胡麻塩 の鬢 の乱れをしきりに撫 でた。あまり気の毒だから「行 く事は行くがじき帰る。来年の夏休みにはきっと帰る」と慰 めてやった。それでも妙な顔をしているから「何を見やげに買って来てやろう、何が欲しい」と聞いてみたら「越後 の笹飴 が食べたい」と云った。越後の笹飴なんて聞いた事もない。第一方角が違う。「おれの行く田舎には笹飴はなさそうだ」と云って聞かしたら「そんなら、どっちの見当です」と聞き返した。「西の方だよ」と云うと「箱根 のさきですか手前ですか」と問う。随分持てあました。
出立の日には朝から来て、いろいろ世話をやいた。来る途中 小間物屋で買って来た歯磨 と楊子 と手拭 をズックの革鞄 に入れてくれた。そんな物は入らないと云ってもなかなか承知しない。車を並べて停車場へ着いて、プラットフォームの上へ出た時、車へ乗り込んだおれの顔をじっと見て「もうお別れになるかも知れません。随分ご機嫌 よう」と小さな声で云った。目に涙 が一杯 たまっている。おれは泣かなかった。しかしもう少しで泣くところであった。汽車がよっぽど動き出してから、もう大丈夫 だろうと思って、窓から首を出して、振り向いたら、やっぱり立っていた。何だか大変小さく見えた。
二
ぶうと云 って汽船がとまると、艀 が岸を離 れて、漕 ぎ寄せて来た。船頭は真 っ裸 に赤ふんどしをしめている。野蛮 な所だ。もっともこの熱さでは着物はきられまい。日が強いので水がやに光る。見つめていても眼 がくらむ。事務員に聞いてみるとおれはここへ降りるのだそうだ。見るところでは大森 ぐらいな漁村だ。人を馬鹿 にしていらあ、こんな所に我慢 が出来るものかと思ったが仕方がない。威勢 よく一番に飛び込んだ。続 づいて五六人は乗ったろう。外に大きな箱 を四つばかり積み込んで赤ふんは岸へ漕ぎ戻 して来た。陸 へ着いた時も、いの一番に飛び上がって、いきなり、磯 に立っていた鼻たれ小僧 をつらまえて中学校はどこだと聞いた。小僧はぼんやりして、知らんがの、と云った。気の利かぬ田舎 ものだ。猫 の額ほどな町内の癖 に、中学校のありかも知らぬ奴 があるものか。ところへ妙 な筒 っぽうを着た男がきて、こっちへ来いと云うから、尾 いて行ったら、港屋とか云う宿屋へ連れて来た。やな女が声を揃 えてお上がりなさいと云うので、上がるのがいやになった。門口へ立ったなり中学校を教えろと云ったら、中学校はこれから汽車で二里ばかり行かなくっちゃいけないと聞いて、なお上がるのがいやになった。おれは、筒っぽうを着た男から、おれの革鞄 を二つ引きたくって、のそのそあるき出した。宿屋のものは変な顔をしていた。
停車場はすぐ知れた。切符 も訳なく買った。乗り込んでみるとマッチ箱のような汽車だ。ごろごろと五分ばかり動いたと思ったら、もう降りなければならない。道理で切符が安いと思った。たった三銭である。それから車を傭 って、中学校へ来たら、もう放課後で誰 も居ない。宿直はちょっと用達 に出たと小使 が教えた。随分 気楽な宿直がいるものだ。校長でも尋 ねようかと思ったが、草臥 れたから、車に乗って宿屋へ連れて行けと車夫に云い付けた。車夫は威勢よく山城屋 と云ううちへ横付けにした。山城屋とは質屋の勘太郎 の屋号と同じだからちょっと面白く思った。
何だか二階の楷子段 の下の暗い部屋へ案内した。熱くって居られやしない。こんな部屋はいやだと云ったらあいにくみんな塞 がっておりますからと云いながら革鞄を抛 り出したまま出て行った。仕方がないから部屋の中へはいって汗 をかいて我慢 していた。やがて湯に入れと云うから、ざぶりと飛び込んで、すぐ上がった。帰りがけに覗 いてみると涼 しそうな部屋がたくさん空いている。失敬な奴だ。嘘 をつきゃあがった。それから下女が膳 を持って来た。部屋は熱 つかったが、飯は下宿のよりも大分旨 かった。給仕をしながら下女がどちらからおいでになりましたと聞くから、東京から来たと答えた。すると東京はよい所でございましょうと云ったから当 り前だと答えてやった。膳を下げた下女が台所へいった時分、大きな笑い声が聞 えた。くだらないから、すぐ寝 たが、なかなか寝られない。熱いばかりではない。騒々 しい。下宿の五倍ぐらいやかましい。うとうとしたら清 の夢 を見た。清が越後 の笹飴 を笹ぐるみ、むしゃむしゃ食っている。笹は毒だからよしたらよかろうと云うと、いえこの笹がお薬でございますと云 って旨そうに食っている。おれがあきれ返って大きな口を開いてハハハハと笑ったら眼が覚めた。下女が雨戸を明けている。相変らず空の底が突 き抜 けたような天気だ。
道中 をしたら茶代をやるものだと聞いていた。茶代をやらないと粗末 に取り扱われると聞いていた。こんな、狭 くて暗い部屋へ押 し込めるのも茶代をやらないせいだろう。見すぼらしい服装 をして、ズックの革鞄と毛繻子 の蝙蝠傘 を提げてるからだろう。田舎者の癖に人を見括 ったな。一番茶代をやって驚 かしてやろう。おれはこれでも学資のあまりを三十円ほど懐 に入れて東京を出て来たのだ。汽車と汽船の切符代と雑費を差し引いて、まだ十四円ほどある。みんなやったってこれからは月給を貰 うんだから構わない。田舎者はしみったれだから五円もやれば驚 ろいて眼を廻 すに極 っている。どうするか見ろと済 して顔を洗って、部屋へ帰って待ってると、夕べの下女が膳を持って来た。盆 を持って給仕をしながら、やににやにや笑ってる。失敬な奴だ。顔のなかをお祭りでも通りゃしまいし。これでもこの下女の面 よりよっぽど上等だ。飯を済ましてからにしようと思っていたが、癪 に障 ったから、中途 で五円札 を一枚 出して、あとでこれを帳場へ持って行けと云ったら、下女は変な顔をしていた。それから飯を済ましてすぐ学校へ出懸 けた。靴 は磨 いてなかった。
学校は昨日 車で乗りつけたから、大概 の見当は分っている。四つ角を二三度曲がったらすぐ門の前へ出た。門から玄関 までは御影石 で敷 きつめてある。きのうこの敷石の上を車でがらがらと通った時は、無暗 に仰山 な音がするので少し弱った。途中から小倉 の制服を着た生徒にたくさん逢 ったが、みんなこの門をはいって行く。中にはおれより背が高くって強そうなのが居る。あんな奴を教えるのかと思ったら何だか気味が悪 るくなった。名刺 を出したら校長室へ通した。校長は薄髯 のある、色の黒い、目の大きな狸 のような男である。やにもったいぶっていた。まあ精出して勉強してくれと云って、恭 しく大きな印の捺 った、辞令を渡 した。この辞令は東京へ帰るとき丸めて海の中へ抛り込 んでしまった。校長は今に職員に紹介 してやるから、一々その人にこの辞令を見せるんだと云って聞かした。余計な手数だ。そんな面倒 な事をするよりこの辞令を三日間職員室へ張り付ける方がましだ。
教員が控所 へ揃 うには一時間目の喇叭 が鳴らなくてはならぬ。大分時間がある。校長は時計を出して見て、追々 ゆるりと話すつもりだが、まず大体の事を呑 み込んでおいてもらおうと云って、それから教育の精神について長いお談義を聞かした。おれは無論いい加減に聞いていたが、途中からこれは飛んだ所へ来たと思った。校長の云うようにはとても出来ない。おれみたような無鉄砲 なものをつらまえて、生徒の模範 になれの、一校の師表 と仰 がれなくてはいかんの、学問以外に個人の徳化を及 ぼさなくては教育者になれないの、と無暗に法外な注文をする。そんなえらい人が月給四十円で遥々 こんな田舎へくるもんか。人間は大概似たもんだ。腹が立てば喧嘩 の一つぐらいは誰でもするだろうと思ってたが、この様子じゃめったに口も聞けない、散歩も出来ない。そんなむずかしい役なら雇 う前にこれこれだと話すがいい。おれは嘘 をつくのが嫌 いだから、仕方がない、だまされて来たのだとあきらめて、思い切りよく、ここで断 わって帰っちまおうと思った。宿屋へ五円やったから財布 の中には九円なにがししかない。九円じゃ東京までは帰れない。茶代なんかやらなければよかった。惜 しい事をした。しかし九円だって、どうかならない事はない。旅費は足りなくっても嘘をつくよりましだと思って、到底 あなたのおっしゃる通りにゃ、出来ません、この辞令は返しますと云ったら、校長は狸のような眼をぱちつかせておれの顔を見ていた。やがて、今のはただ希望である、あなたが希望通り出来ないのはよく知っているから心配しなくってもいいと云いながら笑った。そのくらいよく知ってるなら、始めから威嚇 さなければいいのに。
そう、こうする内に喇叭が鳴った。教場の方が急にがやがやする。もう教員も控所へ揃いましたろうと云うから、校長に尾いて教員控所へはいった。広い細長い部屋の周囲に机を並 べてみんな腰 をかけている。おれがはいったのを見て、みんな申し合せたようにおれの顔を見た。見世物じゃあるまいし。それから申し付けられた通り一人一人 の前へ行って辞令を出して挨拶 をした。大概 は椅子 を離れて腰をかがめるばかりであったが、念の入ったのは差し出した辞令を受け取って一応拝見をしてそれを恭 しく返却 した。まるで宮芝居の真似 だ。十五人目に体操 の教師へと廻って来た時には、同じ事を何返もやるので少々じれったくなった。向 うは一度で済む。こっちは同じ所作 を十五返繰り返している。少しはひとの了見 も察してみるがいい。
挨拶をしたうちに教頭のなにがしと云うのが居た。これは文学士だそうだ。文学士と云えば大学の卒業生だからえらい人なんだろう。妙 に女のような優しい声を出す人だった。もっとも驚いたのはこの暑いのにフランネルの襯衣 を着ている。いくらか薄 い地には相違 なくっても暑いには極ってる。文学士だけにご苦労千万な服装 をしたもんだ。しかもそれが赤シャツだから人を馬鹿 にしている。あとから聞いたらこの男は年が年中赤シャツを着るんだそうだ。妙な病気があった者だ。当人の説明では赤は身体 に薬になるから、衛生のためにわざわざ誂 らえるんだそうだが、入らざる心配だ。そんならついでに着物も袴 も赤にすればいい。それから英語の教師に古賀 とか云う大変顔色の悪 るい男が居た。大概顔の蒼 い人は瘠 せてるもんだがこの男は蒼くふくれている。昔 小学校へ行く時分、浅井 の民 さんと云う子が同級生にあったが、この浅井のおやじがやはり、こんな色つやだった。浅井は百姓 だから、百姓になるとあんな顔になるかと清に聞いてみたら、そうじゃありません、あの人はうらなりの唐茄子 ばかり食べるから、蒼くふくれるんですと教えてくれた。それ以来蒼くふくれた人を見れば必ずうらなりの唐茄子を食った酬 いだと思う。この英語の教師もうらなりばかり食ってるに違 いない。もっともうらなりとは何の事か今もって知らない。清に聞いてみた事はあるが、清は笑って答えなかった。大方清も知らないんだろう。それからおれと同じ数学の教師に堀田 というのが居た。これは逞 しい毬栗坊主 で、叡山 の悪僧 と云うべき面構 である。人が叮寧 に辞令を見せたら見向きもせず、やあ君が新任の人か、ちと遊びに来給 えアハハハと云った。何がアハハハだ。そんな礼儀 を心得ぬ奴の所へ誰が遊びに行くものか。おれはこの時からこの坊主に山嵐 という渾名 をつけてやった。漢学の先生はさすがに堅 いものだ。昨日お着きで、さぞお疲れで、それでもう授業をお始めで、大分ご励精 で、――とのべつに弁じたのは愛嬌 のあるお爺 さんだ。画学の教師は全く芸人風だ。べらべらした透綾 の羽織を着て、扇子 をぱちつかせて、お国はどちらでげす、え? 東京? そりゃ嬉 しい、お仲間が出来て……私 もこれで江戸 っ子ですと云った。こんなのが江戸っ子なら江戸には生れたくないもんだと心中に考えた。そのほか一人一人についてこんな事を書けばいくらでもある。しかし際限がないからやめる。
挨拶が一通り済んだら、校長が今日はもう引き取ってもいい、もっとも授業上の事は数学の主任と打ち合せをしておいて、明後日 から課業を始めてくれと云った。数学の主任は誰かと聞いてみたら例の山嵐であった。忌々 しい、こいつの下に働くのかおやおやと失望した。山嵐は「おい君どこに宿 ってるか、山城屋か、うん、今に行って相談する」と云い残して白墨 を持って教場へ出て行った。主任の癖に向うから来て相談するなんて不見識な男だ。しかし呼び付けるよりは感心だ。
それから学校の門を出て、すぐ宿へ帰ろうと思ったが、帰ったって仕方がないから、少し町を散歩してやろうと思って、無暗に足の向く方をあるき散らした。県庁も見た。古い前世紀の建築である。兵営も見た。麻布 の聯隊 より立派でない。大通りも見た。神楽坂 を半分に狭くしたぐらいな道幅 で町並 はあれより落ちる。二十五万石の城下だって高の知れたものだ。こんな所に住んでご城下だなどと威張 ってる人間は可哀想 なものだと考えながらくると、いつしか山城屋の前に出た。広いようでも狭いものだ。これで大抵 は見尽 したのだろう。帰って飯でも食おうと門口をはいった。帳場に坐 っていたかみさんが、おれの顔を見ると急に飛び出してきてお帰り……と板の間へ頭をつけた。靴 を脱 いで上がると、お座敷 があきましたからと下女が二階へ案内をした。十五畳 の表二階で大きな床 の間 がついている。おれは生れてからまだこんな立派な座敷へはいった事はない。この後いつはいれるか分らないから、洋服を脱いで浴衣 一枚になって座敷の真中 へ大の字に寝てみた。いい心持ちである。
昼飯を食ってから早速清へ手紙をかいてやった。おれは文章がまずい上に字を知らないから手紙を書くのが大嫌 いだ。またやる所もない。しかし清は心配しているだろう。難船して死にやしないかなどと思っちゃ困るから、奮発 して長いのを書いてやった。その文句はこうである。
「きのう着いた。つまらん所だ。十五畳の座敷に寝ている。宿屋へ茶代を五円やった。かみさんが頭を板の間へすりつけた。夕べは寝られなかった。清が笹飴を笹ごと食う夢を見た。来年の夏は帰る。今日学校へ行ってみんなにあだなをつけてやった。校長は狸、教頭は赤シャツ、英語の教師はうらなり、数学は山嵐、画学はのだいこ。今にいろいろな事を書いてやる。さようなら」
手紙をかいてしまったら、いい心持ちになって眠気 がさしたから、最前のように座敷の真中へのびのびと大の字に寝た。今度は夢も何も見ないでぐっすり寝た。この部屋かいと大きな声がするので目が覚めたら、山嵐がはいって来た。最前は失敬、君の受持ちは……と人が起き上がるや否や談判を開かれたので大いに狼狽 した。受持ちを聞いてみると別段むずかしい事もなさそうだから承知した。このくらいの事なら、明後日は愚 、明日 から始めろと云ったって驚ろかない。授業上の打ち合せが済んだら、君はいつまでこんな宿屋に居るつもりでもあるまい、僕 がいい下宿を周旋 してやるから移りたまえ。外のものでは承知しないが僕が話せばすぐ出来る。早い方がいいから、今日見て、あす移って、あさってから学校へ行けば極りがいいと一人で呑み込んでいる。なるほど十五畳敷にいつまで居る訳にも行くまい。月給をみんな宿料 に払 っても追っつかないかもしれぬ。五円の茶代を奮発 してすぐ移るのはちと残念だが、どうせ移る者なら、早く引き越 して落ち付く方が便利だから、そこのところはよろしく山嵐に頼 む事にした。すると山嵐はともかくもいっしょに来てみろと云うから、行った。町はずれの岡の中腹にある家で至極閑静 だ。主人は骨董 を売買するいか銀と云う男で、女房 は亭主 よりも四つばかり年嵩 の女だ。中学校に居た時ウィッチと云う言葉を習った事があるがこの女房はまさにウィッチに似ている。ウィッチだって人の女房だから構わない。とうとう明日から引き移る事にした。帰りに山嵐は通町 で氷水を一杯奢 った。学校で逢った時はやに横風 な失敬な奴だと思ったが、こんなにいろいろ世話をしてくれるところを見ると、わるい男でもなさそうだ。ただおれと同じようにせっかちで肝癪持 らしい。あとで聞いたらこの男が一番生徒に人望があるのだそうだ。
親類のものから西洋製のナイフを
庭を東へ二十歩に行き
この外いたずらは大分やった。大工の
おやじはちっともおれを
母が病気で死ぬ
母が死んでからは、おやじと兄と三人で
その時はもう仕方がないと観念して先方の云う通り勘当されるつもりでいたら、十年来召し使っている
母が死んでから清はいよいよおれを可愛がった。時々は小供心になぜあんなに可愛がるのかと不審に思った。つまらない、
清が物をくれる時には必ずおやじも兄も居ない時に限る。おれは何が嫌いだと云って人に隠れて自分だけ得をするほど嫌いな事はない。兄とは無論仲がよくないけれども、兄に隠して清から
それから清はおれがうちでも持って独立したら、
母が死んでから五六年の間はこの状態で暮していた。おやじには叱られる。兄とは喧嘩をする。清には菓子を貰う、時々賞められる。別に望みもない。これでたくさんだと思っていた。ほかの小供も
母が死んでから六年目の正月におやじも卒中で亡くなった。その年の四月におれはある私立の中学校を卒業する。六月に兄は商業学校を卒業した。兄は何とか会社の九州の支店に口があって
兄とおれはかように分れたが、困ったのは清の行く先である。兄は無論連れて行ける身分でなし、清も兄の尻にくっ付いて九州
九州へ立つ二日前兄が下宿へ来て金を六百円出してこれを資本にして
おれは六百円の使用法について寝ながら考えた。商買をしたって
三年間まあ
卒業してから八日目に校長が呼びに来たから、何か用だろうと思って、出掛けて行ったら、四国辺のある中学校で数学の教師が入る。月給は四十円だが、行ってはどうだという相談である。おれは三年間学問はしたが実を云うと教師になる気も、
引き受けた以上は
家を
いよいよ約束が極まって、もう立つと云う三日前に清を
出立の日には朝から来て、いろいろ世話をやいた。来る
二
ぶうと
停車場はすぐ知れた。
何だか二階の
学校は
教員が
そう、こうする内に喇叭が鳴った。教場の方が急にがやがやする。もう教員も控所へ揃いましたろうと云うから、校長に尾いて教員控所へはいった。広い細長い部屋の周囲に机を
挨拶をしたうちに教頭のなにがしと云うのが居た。これは文学士だそうだ。文学士と云えば大学の卒業生だからえらい人なんだろう。
挨拶が一通り済んだら、校長が今日はもう引き取ってもいい、もっとも授業上の事は数学の主任と打ち合せをしておいて、
それから学校の門を出て、すぐ宿へ帰ろうと思ったが、帰ったって仕方がないから、少し町を散歩してやろうと思って、無暗に足の向く方をあるき散らした。県庁も見た。古い前世紀の建築である。兵営も見た。
昼飯を食ってから早速清へ手紙をかいてやった。おれは文章がまずい上に字を知らないから手紙を書くのが
「きのう着いた。つまらん所だ。十五畳の座敷に寝ている。宿屋へ茶代を五円やった。かみさんが頭を板の間へすりつけた。夕べは寝られなかった。清が笹飴を笹ごと食う夢を見た。来年の夏は帰る。今日学校へ行ってみんなにあだなをつけてやった。校長は狸、教頭は赤シャツ、英語の教師はうらなり、数学は山嵐、画学はのだいこ。今にいろいろな事を書いてやる。さようなら」
手紙をかいてしまったら、いい心持ちになって
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