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鬼と聞いて現代人が思い浮かべるのは、まず節分の鬼であろう。二本の角を生やし、髪は赤茶けた巻き毛で、口には牙が生え、トラの皮のを締めている。これが春の訪れとともにやってきて、人間たちに悪さをするというので、人びとは「鬼は外」と叫びながら、厄除けの豆を投げつけて鬼を退散させ、自分たちの無事を祈るのである。

一谈起鬼,首先浮现在现代人眼前的,应该就是立春节分的鬼吧。头上生两角,毛发是褐红色的卷发,嘴里露出獠牙,腰间系着虎皮兜裆布。由于这种鬼每年春天来时出现,给人们带来灾厄,因此人们一边念着“鬼在外”,一边投撒驱邪的豆子驱赶鬼类,祈求消灾免难。

秋田のなまはげは節分ではなく、大晦日の夜に現れるが、やはり上に述べたような鬼の特徴を有している。ただし褌を締める変わりに蓑をかぶっているが。

不过,秋田地区的“生剥”不是在立春那天现身,而是出现在除夕夜,但还是具备上述鬼类的特征。只是由腰系兜裆布改为身披蓑衣。

このように、鬼は現代人にとっては、年中行事の一齣で出会うメルヘンチックな産物に過ぎなくなってしまったが、かつての我々の祖先たちにとっては、日常生活の中で大きな意味合いを持ったものであった。

如上所述,鬼对现代人来说不过是一种幻想的产物,只不过在每年的节分仪式中会面,然而,在我们过去祖先的意识里,鬼在日常生活中具有很重要的意义。

日本人は古来、朝廷が編集した書かれた神話としての記紀のほかに、地方ごとに独自の口誦伝承を伝えてきた。それらは「昔話」あるいは「昔語り」として、世代から世代へと語り継がれ、その一部は「日本霊異記」や「宇治拾遺物語」を始めとした説話集に収録された。

自古以来,除了朝廷主持编撰的神话“记纪(《古事记》和《日本书纪》”以外,每个地方也都有着自己独自口传的民间传说。这些传说便是“昔话”或“昔语”,它们代代相传,其中的一部分被收录进了《日本灵异记》或《宇治拾遗物语》等说话集里。

こうした昔話を読むと、鬼をテーマにした「鬼むかし」とよばれるジャンルのものがもっとも多いことに気づかされる。昔話は、記紀とは別の次元で日本人の神話的なイメージを凝縮しているものと思われるので、そこに鬼が頻繁にでてくるというのは、日本人と鬼とが古来深い因縁で結びついていることを感じさせるのである。

翻开此类“昔话”你会发现,以鬼为主题、被称作“鬼昔话”的题材是最多的。昔话与《记纪》(《古事记》与《日本书纪》)神话不同,它浓缩了日本人的神话心象风景。鬼频繁出现于其中,就正告诉我们,日本人自古以来就和鬼结下了很深的缘分。

そもそもその鬼というものが、日本人にとって何をさしていたかについては、柳田国男や折口信夫らの研究を通じて、死者の霊魂、それも祖霊を意味していたとする見解が有力になっている。

话说回来,鬼这种东西,对日本人来说到底意味着什么呢?柳田国男和折口信夫对这个问题进行研究后,提出了一种较确凿的见解,即认为鬼是死者的灵魂,也就是祖灵。

柳田国男

魂というものは、人が死んでも滅びることはなく、死者の遺骸の周りを漂いつつ、しばらくは死者に縁あるものの近くにある。そして機会があればほかの生き物に生き移って、違う形で甦ることもあれば、場合によっては、生前の怨念がたたって生者に災厄をもたらすこともある。鬼は、死者の霊魂のうちで、この祟りをもたらす荒ぶる霊魂を形象化したものだといえるのである。

关于日本人的灵魂观,笔者已经在其他地方展开过论述,这里就再度阐述一下观点,人类的灵魂并不会在人死后消失,而会在死者的遗体附近徘徊一阵,在与死者身前有关的事物周围逗留。之后只要有了机会,就会转移到其它生物身上,以和以前不同的形态重生,而在某些情况下,生前留下的怨念也会作祟,给生者带来灾厄。在死者的灵魂中,“鬼”正是作祟的恶灵被形象化后的产物。

古代の日本人は「おに」という言葉に、「鬼」という漢字を当てたが、漢語の「鬼」はそもそも「霊魂」を意味する言葉である。「おに」は漢語の「穏―おん」が転化したとする俗説があるが、それは順序が逆な説といえる。もともと日本の「おに」が意味の近接性から漢語の「鬼」と表記されたのであって、漢語の音が日本語の「おに」という言葉に転化したのではない。

古时候,日本人用汉字“鬼”来标记“おに”一词,而在汉语中,“鬼”原本是表示“灵魂”的词。也有一般说法认为,“おに”是从汉语“穏(おん)”转化而来的,不过这种说法却颠倒了顺序,日本的“おに”原本是因为在意义上接近而被标记为汉字“鬼”,并非是汉语的发音转化成日语的“おに”。

古来日本人の文化的伝統において、祖霊との関わりほど重要なものはなかった。日本人が一年の節々に催すさまざまな行事には、この祖霊が決定的な役割を果たしている。上述した節分の行事やなまはげ、また各地の伝統的な祭事は殆どが、この祖霊を迎える行事に端を発している。神道などはこの祖霊とのかかわりを体系化したものともいえるのである。

在古代日本人的文化传统中,与祖灵之间的纽带被看得极其重要。日本人一年节令里举行的各种仪式中,祖灵起到决定性作用。比如前述立春节分的仪式和“生剥”,以及各地的传统祭神活动,大部分源自迎接祖灵的仪式。可以说,对祖先的一套祭祀仪式被系统化后,所形成的体系便是神道。

祖霊の中でも、日本人をもっとも悩ましたのは、荒ぶる魂であった。この荒ぶる魂が、日本人の生業たる農耕に災いをもたらすとき、それは疫病神となった。日本人は世界の中に農耕民族として登場して以来、この疫病神に悩まされ続けてきたのであり、疫病神の怒りを静めるために、さまざまな努力を重ねてきた。京都の祇園祭をはじめ、今日でも日本各地に残っている伝統行事の多くは、その起源を厄払いにもっている。

在祖灵中,最令日本人棘手的便是恶灵了。当恶灵给日本人赖以为生的农耕带来灾害时,它就成为了瘟神。农耕民族的日本人自出现在世界舞台上以来,就一直为这种瘟神苦恼,为了安抚瘟神的愤怒,他们想尽方法。比如京都的祇园祭,以及至今流传日本各地的传统仪式,其大部分都起源于祓禳的仪式。

こうした荒ぶる死霊、あるいは疫病神としての鬼については、日本書紀にも言及がある。斉明天皇七年の条に、天皇の葬儀にあたって、蘇我入鹿の霊が出てくる。

朝倉山の上において、鬼ありて、大いなる笠を着て、喪の儀を臨み観る

入鹿は斉明天皇が重詐する以前の皇極天皇であった時に、大化の改新に際して殺されたために、しばしば天皇に祟りをした。また、少し下った時代の菅原道真は、死後怨霊となって都に出没し、自分を陥れた者たちに祟りをもたらし続けた。

《日本书纪》中,对这些作为恶灵或瘟神的鬼也有记载。比如齐明天皇七年一节中就提到,苏我入鹿的灵魂在天皇的葬礼中出现。

“朝仓山上有一鬼,头戴大斗笠,来观帝葬。”

苏我入鹿是齐明天皇即位前的皇极天皇时的权臣,由于在大化改新中被谋害,时常对天皇作祟。而时代稍后的菅原道真死后也化为怨灵现身京城,不断给陷害自己的仇家带来厄运。

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