商売の世界では二八(=ニッパチ)といって、2月は8月と並んで売り上げの上がらない月とされている。

在买卖的世界里,有所谓的二八(=淡季),是指2月和8月是商品销量无法上涨的月份。

その心は何かというと、クリスマスから正月にかけて帰省年中行事 が続くだけでなく、年末年始に忘年会や新年会があって散財 することが多いので、その反動 として2月には消費支出が減少するというわけだ。2月は閏年でなければ28日しかないので、その分だけ売り上げが減るという理由もある。

要说为什么,是因为从圣诞到正月不仅仅有返乡和每年惯例的活动,还有年末年初的忘年会、新年会,花费比较多,所以相应的2月消费支出会有所减少。2月只要不是闰年,就只有28天,这也是销售额减少的理由。

2月3日の節分には豆まき や、近年では「恵方巻 」という太巻き寿司が販売されるし、2月14日のバレンタインデーにはチョコレートがよく売れる。とはいえ、年末年始のように大規模な移動が伴うわけではないし、好影響を受ける業界も限定される。

2月3日的节分要撒豆驱邪、以及近年来在出售的“惠方卷”这种特色寿司,2月14日的情人节巧克力会大卖。虽然这么说,但期间并不像年末年初会有大规模的移动,受到好影响的业界也有限。

今回は、2月の消費を盛り上げる ために導入されたバレンタインデーのチョコレートと節分の恵方巻といった、商業目的で導入され定着 していった「伝統」について考えてみたい。

这次,就来思考下为了提升2月的消费而引入的情人节巧克力和节分的惠方卷这些以商业为目的导入后固定下来的“传统”。

アメリカのバレンタインデーは?

美国的情人节是?

アメリカにもバレタインデー(Valentine’s Day)があることはあるが、もっぱら男性が女性に花を贈るのが一般的だ。日本のように、女性が好きな男性にチョコレートを贈るような習慣はまったくない。

美国也有情人节(Valentine’s Day),一般是男性专门赠予女生鲜花。而日本是女生赠予自己喜欢的男生巧克力,两者习俗完全不同。

バレンタインデーのチョコレートは、日本のチョコレート会社の「発明」である。しかも、「いつ・どこで・誰が」まで明確に分かっている。それは、いまからちょうど60年前の1958年(昭和33年)2月、少女の横顔シルエット で有名なメリーチョコレートカムパニーが、東京都内の百貨店の催事 で初めて販促 として始まったのだという。

情人节的巧克力是日本巧克力公司的“发明”。而且,“时间、地点、谁送”都是很明确的。这是在距今刚好60年前的1958年(昭和33年)2月,以少女的侧脸剪影出名的Mary's chocolate company在东京的百货店做促销活动开始的。

30年を1世代とすれば、60年は2世代になる。さすがに3世代にまたがって続いてきた「年中行事」となると、バレンタインデーのチョコレートはもはや「伝統」といってもよいのかもしれない。そう簡単に廃れることはないだろう。

30年作为1个世代的话,60年就是2个世代了。情人节的巧克力竟成为了进入第3个世代的一年中的惯例活动,已经可谓是“传统”了。是无法简单废除的。

ただし、それはあくまでも「日本型バレンタインデー」である。本来の意味を離れて土着化しているわけだ。現地化を意味する「ローカリゼーション」の成功事例として考えるべきものかもしれない。

不过这毕竟是“日本式情人节”。脱离了本来的意思,已然本土化。可理解为含有本土化意思的“局部化”的成功事例。

「恵方巻」に感じる違和感

对“惠方卷”感到违和感

2000年代に入ってからのことだと思うが、「恵方巻」がやたら宣伝されるようになり、コンビニはじめ流通各社がこぞって販促している。現在では、すでに豆まきよりも恵方巻を食べる習慣のほうが上回っているのだという。

这是进入2000年代后的事了,“惠方卷”被大肆宣传,以便利店为主各个流通公司一齐进行促销活动。现在,比起撒豆驱邪吃惠方卷的习惯更为人熟知。

恵方巻とは、太巻き寿司を縁起のいい方角にむけてかぶりつく風習だという。関西で発祥した慣習だと説明されることが多いが、あくまでも大阪ローカル の風習だったようだ。

惠方卷的习俗,即将粗卷寿司朝着有吉祥寓意的方向大口吃。多认为是关西发祥的习惯,至少是大阪当地的风俗。

恵方巻もまた「創られた伝統」

惠方卷也是“被创造的传统”

ネット検索して調べてみると、恵方巻の起源はさかのぼれば戦前にまでたどりつくようだ。だが、本格化するきっかけとなったのは、「石油ショック」後の1974年からだという。大阪の海苔店経営者たちが、節分のイベントで巻き寿司早食い競争を開始したのが直接の起源のようだ。真偽のほどは分からないが、まあ、起源というものは、そんなものかもしれない。

网络搜索调查后,发现惠方卷的起源能够追溯到战前。不过,普遍化的契机是“石油危机”后的1974年。大阪的海苔店经营者们在节分活动中开展谁吃卷寿司最快的比赛成为了直接的起源。虽然不知真假,但所谓起源,就是那么一回事。

ローカルの商売人たちが知恵を絞って創り出したイベント が、消費喚起の目的で積極的な販促を通じて全国レベルに転化していった。このプロセスは、東京生まれのバレンタインデーのチョコレートと同様だ。先にも見たように、バレンタインデーにチョコレートを贈る習慣は1958年以来である。節分の恵方巻もまた、伝統として定着し、確立していく可能性がある。

当地的生意人集中智慧创造的活动转变成了以唤起消费为目的,通过积极的销售活动推广至了全国。这个过程和东京诞生的情人节是一样的。之前提过,情人节赠送巧克力的习惯是1958年开始的。节分的惠方卷也有可能作为传统确定下来。

確かに、目的が商業目的であろうが政治目的であろうが、「伝統」は常に人為的に創られてきたものであると言うことができる。ただし、こうした商業目的で始まった伝統が生き残るかどうかについては、なんら保証はない。どんなに人気のある商品やサービスでも、消費者に飽きられると消えてしまう。長く生き続けるのはレア なことなのだ。

确实,无论是商业目的还是政治目的,“传统”可以说是一直都是人为创造出来的。不过以商业目的开始的传统是否能够流传下去就不能保证了。无论是多么有人气的商品或者服务,消费者觉得厌烦了便会消失。能够长时间持续的比较少。

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