猪濑知事 宣布辞职

人間観察の達人だった17世紀フランスの文人ラ・ロシュフコーが言っている。「他人に対して賢明であることは、自分自身に対して賢明であるよりもたやすい」。似た日本のことわざは「岡目八目」だろうか。自分を第三者の目で眺めることは、誰にとっても難しい

堪称观察人达人的17世纪法国文人拉·罗什福柯(François VI, duc deLa Rochefoucauld)说过,“对他人采用明智之举,远比对自己本身采用明智之举要容易得多”。与此相似的日本谚语恐怕该是“岡目八目(okamehachimoku,旁观者清之意)”了吧。以第三者的客观目光观察自己,这对谁来说都不是件容易的事。

こうも言う。「時として人は、他人と自分が別人であるのと同じくらいに自分自身と別人になる」。5千万円問題をめぐる猪瀬直樹・東京都知事のこの間の釈明を、二つの言葉を重ねながら聞いていた

也有这么说的,“有时,人要把自己看成是他人,这样你就能像看待他人那样看待自己。”在听到围绕着5千万日元问题猪濑直树东京都知事日前所作的辩解时,往往会用这两句话进行对照。

作家として日本の権力構造に迫った眼力も、自らを見るときには霞がかかったようだった。追及の鋭さは、攻守が変わるや言い訳と開き直りに変容した。作家猪瀬氏だったら到底許さない、知事猪瀬氏の責任逃れに思われた

其实,作为作家对日本的权力结构所采用的咄咄逼人的目光在观察自己的时候也会模糊不清。当攻守关系发生变化时,穷追猛打的锐气立刻就变成了强词夺理的坚守与辩解。可舆论认为这是猪濑知事逃避责任之举,即便是过去作为作家的猪濑对此也绝不会允许。

発覚後の経緯は、ありがちな筋といえる。1幕目では、問題は認めるが小さく見せようとする。2幕で火消しの言い逃れを連発。そのために3幕で傷口をいっそう広げ、終幕で進退きわまり、降参

被发现之后的所作所为可以说是司空见惯的那些伎俩。第1幕,承认问题的存在,但轻描淡写;第2幕,一味地大事化小企图蒙混过关;因此,等到了第3幕,伤口则进一步扩大,最后一幕陷入进退两难的绝境,交枪投降。

お決まりの展開を知らぬ人ではなかったろうに、と思う。たとえばの話だが、一つウソを言えば、ウソをつき通すのに別の20のウソが必要になると西洋の古言にいう。責任は知事を辞めても帳消しになるわけではない

正如西方的一则古训所说的那样,一个谎言若要把它圆下去的话,就必须另外再准备20个谎言才能应付。尽管他并不是一个不知道注定会如此发展的人,可是他不一定明白,责任是不会因为辞去知事一职而烟消云散的。

辞任会見では「今後は作家として恩返ししたい」と語った。ならば最初の取材対象は「猪瀬知事」に決めてはどうだろう。「徳洲会マネー」も含めた深くて骨太のテーマは、作家の血を沸きたたせよう。読みたい人は多いはずだ。

在辞职宣布会上他说,“今后打算以作家的身份回报社会。”果真如此的话,那么第一个采访对象定为“猪濑知事”如何?这一也包括“德洲会金钱贿赂”内容的严重明晰的题目注定会使作家血液沸腾。很多人也想一读为快。

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