行侠仗义 招牌明星

「エー、遊びのを申し上げます」。五代目古今亭志ん生の「お直し」はこうして始まる。この高座が評価されて、1956年度の芸術祭賞を受けた。悪所とも呼ばれた遊郭が舞台なのに、である

“哎······说一段游兴的段子。”五代古今亭志生的落语段子“加时”就是这么开始的。这一段子的表演评价颇高,并获得了1956年度的艺术祭奖。有舆论不以为然,说是一个将被称为恶所的花街柳巷端上舞台的段子居然还······

文部省も意外なことをすると思ったのか、まくらで志ん生はいう。「どういうもんですかな、ええ。ですね、大臣さんも」。万人向けの作品とはいえない。人間の業を描いて凄惨ですらある。それを笑いにした名人芸を畏怖すべきなのだろう

志生在开篇中戏说道,横是你觉得文部省也意外地干出格的事?“到底是咋回事啊?哎,兴许也精通此道吧,大臣老爷他。”当然,不能说这是一部谁都适合的作品,甚至还捎带一点描写人之本能细节的凄惨。将这一类内容搞成笑料的名人技艺或许真应该敬畏。

古い挿話を思い出させてくれたのは、高倉健さんのおとといの記者会見である。文化勲章の親授式を終え、来し方を振り返って語った。200本以上という膨大な数の映画に出演してきたが、「ほとんどが前科者をやりました」と

让我想起这段陈旧轶闻的是高仓健先生前天的记者见面会。文化勋章亲授典礼结束后,在回顾所走过的道路时他谈到,已出演了数量庞大的200多部电影,可“演的几乎都是有前科的人。”

たしかに東映時代の高倉さんは任侠路線を支える看板スターだった。♪背中で泣いてる 唐獅子牡丹……の世界である。「そういう役が多かったのに、一生懸命やっているとちゃんと見ていてもらえるんだなあと、素直にそのことを思いました」

确实,东映时代的高仓先生就是一位支撑着行侠仗义英雄好汉戏路的招牌明星。♪人后垂泪,唐狮子牡丹······的世界。“实事求是地说,此类角色确实很多,但只要你认认真真地去演,还是会得到观众认可的。”

「昭和残侠(ざんきょう)伝」や「網走番外地」に通い詰めた方も多かろう。義理と人情をにかけつつ、我慢の末に殴り込む。みんなの健さんは〈着流し姿がぴたりと決まり、三白眼侠客らしい鋭さを出して〉いた(日下部五朗『シネマの極道』)

反复套用“昭和遗侠传”及“网走番外地”的手法恐怕也很多,在权衡道义与人情的过程中,忍受的结果总是一场殴斗。大家心目中的阿健就是“适合那种轻装简从侠肝义胆的形象,三白眼突显侠客的锐气”(摘引自日下部五郎著《胶片的极道》)

人の世の悪を減らすことはできるかもしれないが、人間の業は残るだろう。高倉さんの言を借りるなら、「役の人物の生き様」を通して、私たちも「社会を知り世界を観」るのだ。

也许我们能够减少人世间的丑恶,可是人的本能恐怕无法去除。倘若借用高仓先生的措辞来说的话就是,通过“戏中人物的生活”,我们也“了解社会,观察世界”。

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