尊重他人 须勇要智

自分のことを大切に思う。自分自身に価値を見いだす。そんな心の動きを自尊感情という。多少なりともそれを持てないと生きづらいが、往々「自分はダメだ」と落ち込むのもまた人間である

看重自己,发现自身的价值,这总心理活动被称之为自尊感情。尽管不多少具有些这样的特质则难以生存,可往往另一个极端,认为“自己不行”的颓丧也是人之常情。

といったことを考えたのは、最近ヘイトスピーチ(憎悪表現)が議論の的になっているからだ。人種や国籍で人を差別し、侮蔑し、貶める。例えば「韓国人を殺せ」などと、どぎつい言葉を発しながら在日韓国・朝鮮人の多い街中を練り歩く

之所以这么认为,是因为最近hate speech(憎恶表达)成为了争论中心的缘故。他们在人种及国籍方面对人采取歧视、侮辱和蔑视的态度。例如,高喊着“杀死韩国人!”的刺激性口号,在旅日韩国・朝鲜人集中的街道上游行。

あまりのエスカレートに国会の論戦でも取り上げられた。谷垣法相は「品格ある国家、成熟した社会」という方向と正反対だと嘆いた。安倍首相も言った。彼らは「結果として自分たちを辱めている」

由于过度升级甚至还被国会辩论引用为例。谷垣法务相因此而哀叹道,这是与“有品位的国家,成熟的社会”这一大方向背道而驰的行为。安倍首相也表示说,他们这么做“最终结果是在侮辱自己。”

仲間うちと違う属性を持つ人たちを攻撃し、その尊厳を傷つけることで優越感を持つ。満足を覚える。それは彼らの自尊感情の歪みのなせる業か。それともそれを持てないが故に代償を求めているのか

攻击那些拥有与伙伴关系不同属性的人,从挫伤他们的感情中获得优越感,体会满足。不知道这是否就是他们自尊感情的扭曲表现?还是正因为无法拥有才寻求补偿?

司馬遼太郎の短いエッセーに「常人の国」がある。わが母校、わが社、わが民族……。「わが」と限定されると〈人間の情念はにわかに揮発性のガスを帯びる〉。ガスの素(もと)になるのは自己愛である。〈人はそれを共有して吸うとき、甘美になる〉

司马辽太郎的短篇随笔中一篇题为“常人国度”的文章认为,一味地用“我们”来限定,例如我们的母校、我们的公司、我们的民族……,会使〈人的情感理念带有挥发性气场〉,而这种气场的根本就是自爱。〈当人共同享用并吸收它的时候,会有甜美感。〉

ヘイトスピーチをたしなめる首相も、歴史認識をめぐる問題ではこの気体を吸い込んでいないだろうか。本当の誇り、自尊の心は、過去を謙虚に直視するところから生まれるだろう。常人の国であるためには「勇気と英知」がいると司馬は書いている。

但是,在有关历史问题的认识上,批评憎恶表达的首相是不是也吸收了这种气场呢?真正自豪、自尊的心理产生于谦虚地直面过去。司马在文章中写道,建设常人的国度需要“勇气和智慧”。

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