为活而吃 为吃而活

社会に出てからというもの、朝ご飯を食べる習慣を失った。せわしいということもあるが、特に食べたいとも思わない。そんな無精者の関心をおおいに引く記事が、きのうの本紙朝刊に載っていた

进入社会以后,却失去了吃早饭的习惯。尽管有忙忙碌碌的一面,可也是因为并不想吃的缘故。昨天,本报晨刊刊登了一篇报道,想必能引起这些萎靡不振者的关注。

朝食を毎日きちんと食べる人や、逆にほとんど食べない人に比べ、食べたり食べなかったりで不規則な人の方が、メタボになりやすいのだという。東京慈恵医大の和田高士教授がまとめた研究でわかった

据说,与一些每天认真吃早饭的人,以及完全相反几乎不吃早饭的人相比,那些有时吃有时不吃,生活极不规律的人更容易罹患代谢综合征(metabolic syndrome)。这是东京慈惠医科大学教授和田高士先生告诉我们的研究结果。

食べるに越したことはないとわかっていても、朝食抜きを続けてきた身としては我田引水したくなる話である。むろん調査対象者の中では毎日食べる人が多数派であり、まったく食べない人はぐっと少ない

即使明明知道最好是吃早饭,可作为坚持不吃的人却总想要找借口为自己辩解。当然,在调查对象当中,每天吃早饭的人还是多数派,一点不吃者的数量要少得多。

食習慣は十人十色、時代によっても大きく移り変わる。最近、面白い本が登場した。編集者・ライターの畑中三応子(みおこ)さんによる『ファッションフード、あります。』(紀伊国屋書店)。日本の食べ物のはやりすたりの歴史を克明に描く

饮食习惯十人十个样,而且随着时代发展变化也很大。最近有一本很有意思的书出版问世,这就是即是编辑者又是执笔人的畑中三应子女士撰写的《时尚食品(fashion food),有啊。》(纪伊国屋书店出版)一书。该书明晰地表述了日本食物盛衰变迁的历史。

1970年代、食べるということの意味が変わった。そんな見立てを著者は示す。単に腹を満たすことから、レジャーとして、また情報として、食は消費されるようになった。「アタマでモノを食べる時代」である。ただそれも全盛期を過ぎた。いま、食への関心が低い層と、先鋭なグルメ層と、「日本人の食べ方は二極化している」という指摘が鋭い

在1970年代,吃的意义发生了变化,作者表达了这一见解。饮食从单纯填饱肚子转而变成作为一种休闲、一种信息的消费,这就是“用大脑吃饭的时代”。只不过它的全盛时期已经过去,她尖锐地指出,如今“日本人的吃饭方式出现了两极分化”,即对吃饭关心程度极低的阶层和领军的美食阶层。

生きるためには食べねばならない。が、ときには食べるために生きるのだとうそぶいてもみたい。贅沢をいうなと叱られてしまうだろうが。

为了生存必须吃饭,然而,我想提醒一句,有时我们也要为了吃而活着!尽管这么做有可能会遭受到不准蛊惑人心提倡奢侈的批判。

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