春色满园 樱花盛开

北の先住民の中には、雪の色をいくつかに言い分ける人々がいるそうだ。豊かな氷雪の文化は、白さえも「薄切り」にしてしまう。ならば、日本人の目が利く色はどのあたりだろう。春の花に振り分けられる、白から赤にかけての一帯とにらんだ

据说在北方的先民中有人能分别说出雪的不同层次的颜色,可见即便是单纯的一种白,丰富的冰雪文化也能再将它“细微划分”。若确实如此,那么日本人所欣赏的色彩又在哪一色段呢?我们的目光都集中在被春花细分化了的由白而红逐步转化的色段之处。

まずは紅白の両端を梅が固め、間を椿や桃が埋める。そして今、南の花道から現れた桜前線が舞台の真ん中にどっかと座り、北上の間合いを計っている。赤と白の間には、灰桜、撫子珊瑚色、薄紅梅(うすこうばい)など、和色の名が目白押しだ

首先,梅花占据了这一色段的两端红与白,期间茶花及桃花作了填补,目前,则由从南方花路出现的樱花前锋堂而皇之地坐镇在舞台正中,并掐算着北上的时机。在这红与白的区间里,紧密地排列着诸如灰樱、瞿麦花、珊瑚色、浅红梅等渐变的和式色彩名。

きのうの朝、近所の庭木でウグイスを聴いた。気象庁が発表した通り、桜並木はほぼ満開である。関東までの開花がいつになく早いのは、冬がきっちり寒く、春がしっかり暖かいためらしい。気温のめりはりが、桜を揺り起こす

昨天清晨,我在附近的庭院树上听到了黄莺的鸣叫。正如气象厅所通报的那样,道边的樱树正繁花盛开。之所以甚至连关东地区的开花期都提前到异乎寻常的时日,似乎与去冬的严寒冷以及今春的骤暖不无关系。是气温的先抑后扬唤醒的樱树。

本来めでたい花だが、明るく咲きながら、せかされるように散る様が、かつては兵士と重ねられた。同じ営みがあの春以来、改めて鎮魂の色を帯びる。人と苦楽を共にしてきたこの花木に、私たちはもろもろを託す

原本祥和喜气的花朵,一旦盛开又是那么的明快朗朗,可急切切随风飘落的凋谢场景曾让人联想到了士兵。自有着同样生态过程的那年春天以来,重新又附带上了些慰灵的色彩。在这些与人同甘苦共欢乐的花木上,承载着我们各种各样的精神寄托。

〈目を閉じて、ありったけのピンク色を思い出してみる〉。小欄を任されて間もなく、母の日にそう書き出したことがある。〈ありがとうは、何色(なにいろ)でもいい〉と。移ろう季節に寄り添い、はや七つ目の春。思い浮かぶ花色はずいぶん増えた

〈双目微闭,冥思苦想,粉红系列,色彩多样〉当我被委派到敝栏目工作后不久,在一个母亲节写就了这一首诗句,〈若要感谢,并无制限,任何花色,心意一片〉。随着斗转星移季节变换,一转眼已经是第七个春天。当然,浮现在脑海里的花色也随之增加了许多。

〈どんみりと桜に午時(ひる)の日影かな〉惟然(いぜん)。「ありがとう」がよく似合う花の下、今年も浮かれる人がいて、祈る人がいる。淡くかすんで、桜色としか言いようのない花の下で。

〈樱花呈暗色,恰逢正午时,疑是光影至,心情谁人知〉(广濑)惟然创作。今年,来到这与“感谢之情”十分协调贴切的花卉之下的,有喜气洋洋的人,也有为亲人祈祷的人。他们聚集在这淡雅且如云似霞的,只能用樱花色表述的花卉之下,抒发宣泄着各自的情感。

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