灾后复兴 重绘蓝图

に続いて世にあふれるのは再の字である。生活の再建、産業の再興、地域の再生……。これらは深く結びつく。人がいなければ商いができず、街は生き返らない。他方、病院や学校のない土地に人は帰らない

接着绊之后世间充斥着一个再字。生活再建、产业再兴、地区再生······而且,它们之间联系紧密,没有人经不了商,城市也恢复不了生机。可另一方面,不建有医院学校的地区,人也回不去。

2年前の震災は、もともと過疎と高齢化が進む地方を広く襲った。「阪神」との違いである。流出した人口はたやすく回復せず、若い世代ほど戻りにくい。仮にそれが地域の未来図だったとしても、津波が歳月を早送りした形だ

与“阪神大地震”不同,2年前的那场震灾侵袭的原本就是人口疏散和老龄化程度比较高的地区。流出的人口不容易回流,而且越是年轻人越难以回归。假设这是一幅该地区的未来蓝图的话,那一场海啸则以快进的方式呈现了它的结果。

国土を強くすると言うけれど、無人の地を守る大堤防に意味はない。三菱総研の白戸智さんが語る。「元に戻せば、そこからまた衰退が始まるだけ。消費地と直結した農水産ビジネスなど、地域再生の先進モデルにすべきでしょう」

都说要强化国土,可是在那无人之地修筑大型堤坝其实毫无意义。三菱总合研究所的白户智先生说,“让人口回流,只能在那里又开始一次衰退。我看应该搞一些与消费地区直接挂钩的农产水产品等商务体系,建立一个地区再生的先进模式。”

みんなで復興を考える時に、人かコンクリートかといった単純化は無用だろう。「民主党政権の初動がひどかった」「原発を乱造したのは自民党だ」。そんな後ろ向きの「内輪もめ」もいい加減にしたい

当集思广益灾后复兴问题时,单纯地纠结在人或者混凝土等方面是徒劳的。诸如“民主党政权的初始行动做得太差劲!”“乱建核电站的是你们自民党!”,希望类似这样朝后看的“内讧”适可而止。

「確かなものがどこかにあって、そこに身を委ねていれば大丈夫という感覚が消えた」。青森・恐山(おそれざん)の禅僧南直哉(みなみじきさい)さんの言葉である。あるのは、しなければいけないことの山山山。南さんは「政治家は『できること』『したいこと』しか言わない」と、為政者の覚悟をただす

青森・恐山的一位禅僧南直哉先生说“在某处存在着一个实实在在的可依靠的东西,我们可以委身于它获得保护,这种感觉已经荡然无存。”而有的只是必须翻越的一座又一座高山。南先生还抨击为政者要改变认识,他说,“政治家总是只说那些‘能做的事情’‘想做的事情’”

東北の再起は、人口減の日本が生きる道を探る先例となる。前向きに捉えれば、白紙から別の絵を描く機会でもある。ならば、自分のこととして考えたい。未来図は、まだ描き直せる。

重振东北将成为一个探索人口出生率走低的日本生存道路的先例,如果能够以向前看的态势来抓,也可能成为一次在白纸上另绘蓝图的机会。若如此,希望作为一件涉及自身的事情加以考虑,未来的蓝图还是可以重新绘制的。

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