灾后除污 任重道远

底魚たちの悲しみ」を書いたのは去年の2月である。大海を泳ぎ回る仲間と違い、海底に棲み着く魚は環境に身を任すしかない。水が汚れれば同じように汚れ、海が死んだら事切れる

去年2月曾经写过一篇文章“海底鱼们的悲哀”。它们与遨游在大海里的同伴们不同,是栖息在海底,只能委身于环境的鱼类。水质遭到污染,它们就会被同样污染,直到海洋死了它们的生命才会终结。

先ごろ福島第一原発の専用港で採れたアイナメから、1キロあたり51万ベクレルの放射性セシウムが出た。基準の5100倍、過去最高の値である。事故現場や周囲に積もった放射性物質は海に至り、食物連鎖の先で口を開ける底魚にたまる。悲しみはいよいよ深い

前不久从福岛第一核电站专用港口捕获到的大泷六线鱼(Hexagrammos otakii)中检测出每公斤含有51万贝克勒尔的核辐射物质铯。相当于基准量的5100倍,为过去最高值。这是由于聚集在事故现场以及周围地区的核辐射物质进入了海洋,堆积到了生活于食物链最前端的海底鱼身上,而且悲剧呈日趋严重的趋势。

宅地や農地の除染は雪に阻まれ、福島県土の7割に及ぶ森林の浄化はめどが立たない。なお15万の県民が避難先で暮らし、古里に戻る望みは薄らいでゆく。山海を汚し、住民を苛む放射能のしつこさに比べ、人間の忘れやすさはどうだろう

民居及农田的除污受到了降雪的阻碍,占福岛县土地7成的森林地区,其净化工作遥遥无期,15万县民仍生活在避难所,回归故里的愿望越来越渺茫。与那些污染了高山海洋,祸害了当地居民的核辐射物质的执着相比,人类的健忘令人情何以堪?

全原発の停止を目ざす民主党の方針を覆し、安倍政権は再稼働に前のめりだ。安全より経済成長に重きを置くかのように、政府の審議会から脱原発派が次々と外されている

安倍政权推翻了以全面终止核电站运营的民主党方针,采取扶持政策准备重启核电。或许这是看重经济增长而不是安全的原因,于是那些主张脱离核电一派的人员被排挤出了政府审议会。

最終処分地が定まらない使用済み燃料、放射性廃棄物について、脚本家の倉本聰さんが毎日新聞で語っていた。「ごみを出すことに慣れきり、反省がなくなった……未来というごみ箱に核のごみを捨てているわけです。それでは我々の子孫はたまらない」

关于尚且不能最后决定处置地的用毕燃料及核辐射废弃物的问题,剧作家仓本聪先生在每日新闻上撰文批评说,“对于弃置垃圾已见多不怪,反省也越来越淡······这是要将核垃圾最终扔进未来这个垃圾箱里。可是这么做,我们的子孙后代将无法承受。”

原子力への姿勢は、つまるところ自然や未来への畏怖が決めるのかもしれない。きのう東京であった脱原発集会には、以前より少ないが結構な数が参加した。この2年、畏(おそ)れの感度を保てた人々だ。強風が太くする幹もある。

对于原子能的态度也许说明了一个问题,人只有到了走投无路的时候,对于自然及未来的敬畏之情才能够起作用。昨天在东京举行了脱离核电集会,虽然出席的人数不如之前,但仍然有不少人参加,他们都是这2年来一直能够抱持着敬畏之情的人们。俗话说的好,大风之下也有越刮越粗壮的树干!

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