生活保障 保障生活

このあいだに続いて堀口大学にお出まし願う。仏文学の翻訳で知られる氏に、批評家グールモンの短章の訳がある。その一文をかつて読み、ノートに書きとめた。「女を悪く云う男の大部分は或る一人の女の悪口を云って居るのである」

接着上一会,希望堀口大学再出面一次。以翻译法国文学而著称的这位先生曾经翻译过评论家格尔蒙(Remy de Gourmont)的一篇短文。我曾经读过这篇文章,还将它抄写在了笔记本上,记得有这么一句,“说女人坏话的男人,大部分就说某一个女人的坏话。”

卓見だと思う。人はごく狭い知見や印象で全体を語りがちだ。だから文中の「女」は何にでも取り換えがきく。たとえば若者、オジサン、アメリカ人、医者、新聞記者……そして生活保護受給者もまた、しかりではないだろうか

真是至理名言,因为人往往以一己之狭窄的见解及印象对整体做出评价,所以,文章中的“女人”可以替换成其他任何词。比如,年轻人、大叔、美国人、医生、新闻记者······以及生活保障接受者恐怕也属于这一范畴吧。

去年、お笑いタレントの母親の受給問題をきっかけにバッシングが起きた。あれなど、一人を悪く言うことで全体をあげつらう一例だったろう。働かない、ギャンブルで浪費している、といった後ろ指も、一部への批判が全体への色眼鏡になっているようで気にかかる

去年,由于某一个节目嘉宾母亲的不正当接受生活保障的问题,以此为起因发生了一场群起而攻之的大批判。这个那个的,因为批评某一个人而引发了对全体的抨击,这恐怕可以算作实例之一吧。不工作,还赌博,太浪费了,等等背后戳人脊梁骨的现象也是一种由点盖面,从对一部分人的批评变成了观察整体时的有色眼镜,这种情况不免令人担忧。

行きつくところと言うべきか、兵庫県小野市が議会に条例案を提出した。受給者がパチンコなどで浪費しているのを見つけた市民に通報を義務づけるのだという。耳を疑ったがエープリルフールにはまだ間がある

不知是不是可以说是走投无路,兵库县小野市向议会提交了一份条例方案,据说,其中规定发现接受生活保障者有玩弹子房等浪费现象的市民负有举报的义务。我真怀疑自己的耳朵是否听错了,而且距离愚人节还尚有时日。

筆者と違う意見もあろう。だが、そもそも誰が受給者なのか一般市民には分からない。効果は疑わしいうえ、小野市だけでなく全国で色眼鏡が濃くなりかねない

想必也会有与笔者不同的意见。但是,问题是谁是生活保障接受者,一般市民原本就不知道。效果令人怀疑就不用说了,而且,不仅是小野市很有可能在全国范围内加深了这副有色眼镜的颜色。

生活保護の切り下げについて、受給する女性が声欄に寄せていた。「受給者は楽しみを持ってはいけないのでしょうか。貧しい気持ちを持ったまま、暗く生きていかねばならないのでしょうか」。身に染(し)む声ほど小さく震える。

有关削减生活保障问题,一位女性接受者给呼声栏目投了稿,她说,“难道接受者就不能有自己的兴趣爱好吗?必须以穷困潦倒的心态过着暗无天日的生活吗?”声声沁人心脾,句句发人深省。

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