中泽启治 与世长辞

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戦後しばらく、原爆をめぐる表現は占領軍にきびしく検閲された。そんな中でまっ先に、むごさを歌に詠んで発行した一人に正田篠枝さんがいた。〈大き骨は先生ならむそのそばに小さきあたまの骨あつまれり〉。自らも広島で被爆した歌人は1965年に他界している

战后很长一段时间,关于原子弹爆炸的表述曾受到占领军的严格审查。其间,以和歌形式表达程度之惨烈,并发行于世的是正田篠枝先生。〈累累白骨现眼前,有大有小非一般,老师遗骨是大块,小块头骨聚一边〉。在广岛亲身遭到原子弹爆炸的歌人于1965年便离开了这个世界。

その翌年に、漫画家の中沢啓治さんの母親も亡くなった。やはり広島で被爆し、後遺症に苦しんだ母は、骨さえ残さなかった。火葬のあとは、白い破片と粉のようなものがあるだけだったという

第二年,漫画家中泽启治先生的母亲也与世长辞。同样在广岛遭到原子弹爆炸,并痛苦于后遗症的母亲,最后竟连遗骨都没能留下。据说在火化之后,只留下了犹如白色碎片及粉末似的东西。

人が生きたことの、最も素朴な証しが骨だろう。「原爆は大事な大事なおふくろの骨まで奪っていくのか」。たぎる怒りが、被爆体験から逃げていた心を揺さぶる。自伝的漫画「はだしのゲン」はそうして生まれた

遗骨恐怕是人曾经存活于世最为朴素的证据了吧。“难道原子弹爆炸竟然将我最最重要的母亲的遗骨都夺走了吗?”按耐不住的激愤撼动了有幸逃过原子弹爆炸一劫的侥幸情绪。自传体漫画“赤脚的原”就是在这种情况下诞生的。

小1だった中沢さんは爆心に近い校門前で炸裂に遭った。「小さき骨」にならずにすんだのは奇跡でしかない。だが父、姉、弟を亡くし、妹も栄養失調で失った。自伝を描くのに絞った勇気と涙は、いかほどだったかと思う

还是小学1年级学生的中泽先生在离原子弹爆炸中心很近的校门口遭遇了爆炸,之所以没有成为“小块遗骨”,那只好说是奇迹。然而,却失去了父亲、姐姐和弟弟,妹妹也因为营养失调而去世。我们可以从中感受到,为了描述这一段自传,他需要付出多么大的勇气,需要流淌多少眼泪啊。

「ゲン」は絵本も含めて1千万部を超え、18カ国語に翻訳された。生前最後の本になった『はだしのゲン わたしの遺書』(朝日学生新聞社)でささやかな喜びを述べている。国内の図書館で、表紙が手垢でぼろぼろになってベニヤ板で留めてある「ゲン」を見たそうだ

包括连环画册在内,“原”总共发行了超过1千万册,并被翻译成了18国语言。在其生前最后一部著作《赤脚的原 我的遗书》(朝日学生新闻社出版)中,描述了些许的喜悦。听说在国内的图书馆,甚至还看到了封面满是手垢,已经非常破旧只能贴在三合板上保留下来的“原”。

「うれしくてね。作者冥利に尽きます」。73歳の訃報に、多くの読者が胸に刻み直すことだろう。原爆の悲惨と、それでも麦のように伸びて生きる少年の姿を。

“真的很高兴,享受到了作者难能可贵恩惠”,当接到73岁作者的讣告时,众多的读者心中定会留下新的印象。这就是连同原子弹爆炸的悲惨,还有所历经的苦难,却仍然像麦子似地成长壮大的少年身影。

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