迷途知返 悬崖勒马

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モリアオガエルは樹木にのような卵塊を産みつける。繁殖地として国の天然記念物に指定されている福島県川内村の平伏(へぶす)沼で、産卵が最盛期を迎えたそうだ。原発禍で避難を強いられた村は、カエルにちなんだ「かえる かわうち」を合言葉に帰村と復興をめざしている。

绿叶树蛙(Rhacophorus arboreus)总是将泡沫般的卵块产在树上。作为它们的繁殖地,在被指定为国家天然纪念物的 福岛县川内村平伏湿地听说正迎来了它们产卵的旺季。就是这个因为核电站事故而被迫外出避难的村落,想借用日语青蛙的谐音,以“kaeru kawauti(复兴川内之意)”为努力方向,开始落实返回并复兴村落的工作。

カラララ・カラララ・クックックッとモリアオガエルは鳴くという。カエル族の鳴き声は擬音多彩で、たとえば詩人の三好達治は「けりけり」と表した。これ は春の初蛙(はつかわず)。同じく那珂太郎氏は夏の合唱を「ぎよぎよ」。俳人臼田亜浪(あろう)に〈けくけく蛙かろかろ蛙夜一夜〉の句がある。

据说,绿叶树蛙的叫声是咔啦啦啦啦,咔啦啦啦啦,酷、酷、酷。表现蛙族的叫声往往采用丰富多彩的拟声词,例如诗人三好达治就用“恺利恺利”来表现。 其实这是春天的初蛙。与此雷同,那珂太郎先生则采用了“咕哇、咕哇”来描写这盛夏的这场大合唱。甚至于俳句诗人臼田亚浪先生还有一首描写蛙类的俳 句,<咕咕呱呱小青蛙,房前水田是我家,捕捉害虫我能手,夜夜高唱月光下>

そして「(かえる)の詩人」の草野心平。「けくっくけくっく」と鳴くかと思うと「ぐりけっぷぐりけっぷ」と鳴いて奔放自在だ。川内村を愛し、名誉村民でもあった心平さんに「婆さん蛙ミミミの挨拶」という短詩があったのを思い出す。

还有被誉为“青蛙诗人”的草野心平,刚发现他采用“恺酷恺酷恺酷酷”来描述叫声,可又得悉使用了“咕噜噜、咕噜噜”,真可谓奔放自由。我想起来了,这位热爱川内村,同时也是名誉村民的心平先生还有一首短诗,“面对青蛙笑哈哈,是我老太不用怕”。

〈地球さま。/永いことお世話さまでした。/さやうならで御座(ござ)います。/ありがたう御座いました。/さやうならで御座います。/さやうなら。〉

<我的地球啊/多年来让你费心啦/我们就此分手了/多谢多谢/再见了/再见!>

この世の去りぎわ、命をもらって生かされた天地(あめつち)への、老蛙の素朴な感謝が人間にはこたえる。身一つで命を全うする他の生き物と違い、収奪し、汚染し、破壊して鬼っ子さながら。ひとり人間だけが「直し方の分からないものを壊し続け」ている。

就在离开这世界之时,面对养育自己的天地,老蛙一片质朴的感谢之情感动了我们人类。与一身负全命的其他生物不同,又是争夺,又是污染,还要进行破坏的这个鬼东西,只有一个个的人在不断地“破坏着不知如何修补的外界事物”。

「持続可能」の一語を、リオ+20の会議後も胸に刻みたい。「万物の霊長」と自尊しての勝手放題、そろそろ真に目覚めねば、蛙に合わせる顔もない。

希望在里约+20会议之后,“可持续”一词仍要铭刻于心。自尊为“万物之灵长”的人类如果一味地随心所欲,而不悬崖勒马有所醒悟的话,那就连与青蛙会面的脸面都没有了。

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