冲绳本土 不可分离

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いわゆる「てにをは」の使い方で意味はがらりと変わる。沖縄の集会を取材して、あらためて距離を感じたのは13年前だった。米軍普天間飛行場の県内移設に 反対する1万2千人が「沖縄を返せ」を合唱した。かつて祖国復帰運動の際、沖縄と本土のへだてなく連帯を託して歌われた歌だ。

因为所谓的“助词(てにをは)”的不同使用方法,语义将会随之发生截然不同的变化。13年前,在采访冲绳集会的过程中又一次感觉到存在于相互之间 的距离。集会上反对美军普天间机场县内移置的1万2千人齐声高唱“还我冲绳!”。这是一首在曾经开展的回归祖国运动中承载着冲绳和本土亲密无间之情广为传 唱的歌曲。

歌は末尾で「沖縄を返せ 沖縄を返せ」と繰り返す。ところが会場では「沖縄を返せ 沖縄に返せ」と歌われた。「を」が「に」に変わっただけだが、そこにはもう沖縄と本土の連帯感はない。

在歌曲的结尾处有一个“还我冲绳!还我冲绳!”的反复,可是在会场上高唱出的则是“还我冲绳!还给冲绳!(沖縄を返せ 沖縄に返せ)”。尽管只是由助词“を”改变成了助词“に”,可从中感觉到的却是冲绳和本土之间的亲密无间已经不复存在。

代わりに、島を自分たちに返せという、決然とした抗議があった。本土の記者として、歌声に縮こまった記憶は苦い。そして今、沖縄の不信は消えるどころか尖り、基地の押しつけを「差別」ととらえる意識が広まっているという。

取而代之的则是将岛屿还给我们自己这毅然决然的抗议。对于一名本土记者来说,因歌声而战栗的回忆是何等的苦涩。况且,时至今日冲绳人所怀有的不信任感非但没有消除,反而更为突出,视将基地强加于己的举措为“歧视”的意识则不断扩大。

本紙などの世論調査に、沖縄の2人に1人がそう答えていた。「いま沖縄は氷のように冷たい目で本土を見ている」と沖縄に住む作家仲村清司さんは言う。まなざしは「無関心という加担」への抗議にほかなるまい。

据本报等媒体的舆论调查表明,每2个冲绳人中就有1个会如此回答。居住在冲绳的作家仲村清司先生说:“当前,冲绳是以寒如坚冰的冷漠目光注视着本土”。眼神中除了抗议“漠不关心的负担”之外别无他物。

沖縄の本土復帰からきょうで40年になる。さる4月28日は、講和条約の発効で沖縄が日本から切り離されて60年の日でもあった。「屈辱の日」の呼び名が今も残るのを、どれだけの人が知っているだろう。

到今天,冲绳回归本土已经40年了。另外,不久之前的4月28日也是因媾和条约的生效冲绳从日本分离出去60周年的纪念日。不知道还有多少人仍然记得这一“屈辱之日”的称谓尚且存在。

「押しつけ憲法とか言ってますがね、沖縄はその憲法、押しつけてももらえなかった」。旧コザ市の市長だった大山朝常(ちょうじょう)さんの怒りが耳によみがえる。誰もが無関係ではありえない、島の歴史と今がある。

“都说这是一部强加于人的宪法,可即便是宪法要强加于我,我也无法接受!”曾任旧胡差市市长的大山朝常先生愤怒的话语今天仍在耳边萦绕。岛屿有它的历史与现实,并非与谁都毫无关系。

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