質問

提问

友人の留学生が「美しいの人」「タバコを吸うの人」という言い方をよくします。なぜこのような言い方をするのでしょうか。

留学生朋友经常会说“美しいの人、タバコを吸うの人”,为何会产生这种说法呢?

回答

回答

母語からの影響

是因为受到了母语的影响

このような言い方が出てくる原因としては、母語(生まれていちばん最初に身につけた言語)の影響ということがまず考えられます。

会产生这种说法的原因,是因为受到了母语(出生时最初习得的语言)的影响。

日本語では、名詞が名詞を修飾するときには、「私+の+本」というように、「の」という「つなぎの語」が必要です。一方、形容詞(美しい)や動詞(吸う)が名詞(人)を修飾する場合、つなぎの語は要りません。形容詞・動詞にそのまま名詞をつなげて、「美しい+人」、「吸う+人」とすれば、それで十分です。

在日语中,用名词修饰名词时,就像“私+の+本”这样,“の”是必须要加的连接词。而另一方面,在用形容词(美しい)或动词(吸う)修饰名词时,就不需要连接词。形容词和动词直接加名词,变成“美しい+人、吸う+人”就可以了。

一方、中国語では、修飾する語が名詞であろうと動詞・形容詞であろうと、基本的に、修飾する語と修飾される語との間には“的”というつなぎの語が必要です。以下の例を見てください。

而且在中文中,修饰语不管是名词、动词还是形容词,一般都必须在修饰语和被修饰语之间加上连接词“的”。请看以下举例:

[名詞+“的”+名詞]
我《的》書(私の本)    私《の》本
[形容詞+“的”+名詞]
美麗《的》人(美しい人)    美しい《の》人
[動詞+“的”+名詞]
抽煙《的》人(タバコを吸う人)    吸う タバコ《の》人

名词+“的”+名词
我的书(私の本)    私《の》本
形容词+“的”+名词
美丽的人(美しい人)    美しい《の》人
动词+“的”+名词
抽烟的人(タバコを吸う人)    吸う タバコ《の》人

ですから、「美しいの人」「タバコを吸うの人」というような表現は、中国語の表現をそのまま一語一語日本語に置き換えることによって生じたものと考えることができます。

因此,美しいの人、タバコを吸うの人这类的表达方式,是根据中文的表达依葫芦画瓢直接转换成了日语而产生的。

韓国語を母語とする人も、「美しいの人」式の表現をすることがあります。韓国語では、動詞・形容詞が名詞を修飾する場合、動詞・形容詞の語尾が変化します。日本語でも、「静かだ」のような形容動詞が名詞を修飾する場合は「静かな場所」のように語尾が変化しますが、韓国語では、それと同じことが動詞・形容詞にも起こるわけです。そのため、韓国語を母語とする人は、日本語で例えば「美しい人」と言いたいときにも、「美しい」という語の語尾変化のかわりに、無意識的に「の」を挿入してしまうのかもしれません。

而以韩语为母语的人,也会有“美しいの人”式的表达。在韩语中,用动词、形容词修饰名词的时候,动词和形容词的词尾会发生变化。而在日语中,虽然也有像用“静かだ”这类形容动词修饰名词时,词尾发生变化而转换成“静かな場所”的,但韩语却是在动词、形容词中也会发生同样情况。因此,以韩语为母语的人,想要用日语表达“美しい人”时,作为“美しい”一词词尾变化的替代,可能就无意识地插入了“の”字。

このように、ある言語を学習するときに、母語の影響で誤りや不自然な表現が出てきてしまうことを「母語干渉」(さらに正確に言うと、「母語による負の干渉」)と言います。

像这样,在学习某种语言之时,受到母语影响而产生错误或不自然的表达方式,称之为“母语干扰”(更正确的说法是“母语的负面干扰”)。

表現の選び方の上にあらわれる干渉

在选择表达方式上出现的干扰

母語干渉は文法面だけでなく、「表現の選び方」といった側面にもあらわれることがあります。例えば、日本に来た留学生が先生にむかって、「今日の授業はとても上手でした。」というようなことを言って、先生を不愉快にさせてしまうような例です。

母语干扰不仅出现在语法方面,还有可能出现在“表达的选择方式”上。例如,来日本的留学生对着老师说,“今日の授業はとても上手でした。(你今天的课上得不错。)”这样的说法令老师非常不愉快。

日本では一般に、学生が教師の授業をほめることは失礼にあたると考えられることが多いのですが、文化によっては、相手が先生であっても、よいと思ったことは積極的にそれを認めて表現するのがいい、と考えられている場合があります。「今日の授業はとても上手でした」というせりふは、母語での賞賛表現をそのまま日本語に直訳してしまったものと考えられ、これも広い意味での母語干渉とみることができます。

在日本,一般来说,学生称赞老师的授课大多被认为是一种失礼的行为。但由于文化的差异,对方即便是老师,只要是觉得好的地方,积极地认可对方的表达被认为是很正常的。而“今日の授業はとても上手でした”这句话,是将用母语称赞的表达方式直译成了日语,这也是一种广泛意义上的母语干扰。

日本語母語話者に見られる母語干渉の例も挙げてみましょう。

再来看个被日语母语者受到母语干扰的例子吧。

かつてあるアメリカ人の先生が、英会話のクラスで日本人の学生一人一人に “How are you?” と話しかけたところ、全員が “Fine, thank you, and you?” と答えてきて面食らったという話を聞いたことがあります。なぜ先生は、ここで面食らってしまうのでしょうか。

曾经某个美国老师,在英语会话班上,对每一个日本学生说了“How are you?”结果所有人都回答“Fine, thank you, and you?”而不知所措的趣闻。那么,为何老师会觉得不知所措呢?

日本語の「あいさつ」には、「こういう時にはこう言う」という定型的な「決まり文句」があって、場面に応じてその決まり文句を口にしていればとりあえず無難、というところがあります。例えば、「お世話になっております」と言われたら、「いいえこちらこそ」と(たとえそう思っていなくても)答える、というようなことです。一方、英語にはそのような定型表現は多くはありません。それよりは、その場その場にふさわしく、かつほかの人とは違った(決まりきった言い方ではない)表現を、会話の当事者自身が考え出していくのがよいと考えられているようです。

日语中的“打招呼”方式,有着“这个时候这样说”的固定搭配语句。只要在相应场合说出固定语句,基本就无可非议。例如,别人说“お世話になっております(承蒙关照)”,只要回答“いいえこちらこそ(不客气,彼此彼此)”(就算并不是这么想的)就可以了。另一方面,英语里没有那么多的固定表达。而且,要与当时的情景相符合,且与他人不一样(不是刻板的说法)的表达,是会话的当事人自己思考得出的才行。

先ほどのアメリカ人の先生の違和感は、英語では返答の一例でしかない “Fine, thank you, and you?” を、日本人の学生がいかにも「決まり文句」であるかのように使ってしまったところから生じたものと言えるでしょう。

上文中提到的美国老师的困惑,就是对英语回答只有这一句“Fine, thank you, and you?”的日本学生,完全只使用“固定语句”而产生的吧。

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