选自《精彩日文晨读II-触动心底的幸福》
腕の中の情け 長い年月、石を彫ってきたので、私は年齢の割に腕の力が強い。 大学の先生をしていた頃は、ラグビー部のコンパで、酒の勢いもあって、学生たちと腕相撲をやった。一人にも負けなかった。 「強いだろう」と言ったら、「年寄りをいたわったのですよ」と答えていたが、本当のところは分からない。腕相撲は腕の筋力だけではない、要領がある。 私は20年前から、犬を連れて散步するのを日課のようにしている。途中で児童公園にある鉄棒にぶら下がって、腕をグイと曲げて、頭が鉄棒の上に出る位置まで体を持ち上げる。その姿勢のままで、体全体を前後に振る、時計の振り子のように、1、2、3、4、と数えながら20回まで続ける。その途中で腕を伸ばしたら、もう上がらないので20回まで、頑張って続ける。 雨上がりの日に行ったら、鉄棒に雨の雫がたまっていて、手が滑って落っこちそうだった。5回ほどで止めた。 その時、隣の空地の飯場のおじさんが現れた。「旦那、今日はもう止めたのかね」と言った。「手が滑ってダメですよ」と言ったら、嬉しそうな顔をして帰っていった。あのおじさんは、私の鉄棒体操をいつも見ていたらしい。私が帰った後に、きっと自分で試していたに違いない。彼は回数を覚えていたのだから。 ここは児童公園だから、若いお母さん方がいつも集まっている。お母さん方が見ている時は、なぜか私の鉄棒は楽にできる。尊敬の目差しを期待しているのではないか。 だが、若い夫婦がいる時には、私は鉄棒体操をやらないことにしている。 その奥さんに「あんたもやってみてよ」と言われて、ご主人ができないと気の毒だ。 武士の情けと言うものだ。
腕中的慈悲 因为常年从事石雕工作,所以我虽然上了年纪,但是手腕还蛮有力气的。 在大学教书那会儿,有一次橄榄球社团聚会,我借着酒劲儿,跟学生掰起了腕子,他们谁都没有掰过我。 我沾沾自喜地说,“怎么样,厉害吧!”学生们还不服气,硬说是给我这个老人家面子。其实啊,掰腕子不但需要手腕的力量,还要讲究技巧。 我从二十年前开始,就每天坚持牵着狗散步。途中会路过一个儿童公园,里面有单杠什么的锻炼器械。我就钻进去,双手抓住横杠,腕子一用力把身子悬起,脑袋伸到横杠的上面。然后保持这样的姿势,将身体前后摆动。一、二、三、四……我一边数着数,一边把身体像钟摆一样前后摆着,一直坚持到二十次。中途一旦腕子卸了力气,就不容易再拔上去了,所以我就努力的坚持到二十次。 雨过天晴的日子,横杠上会挂着雨珠,一不小心,手就会滑下来。所以只能在五次左右就停下来。 这时,附近空地工棚里的一个大叔走过来对我说,“小伙子,怎么,今天就做这么几个了?”“手太滑,做不了了。”听完我的话,他就面带诡笑地走了。我猜那个大叔应该是一直以来都在看我做单杠的。并且等我走后。他自己也一定会去试着做做。因为看样子,他是记着我每次做的数的。 这是个儿童公园,所以经常回来一些年轻的妈妈们。被他们看的时候,也不知道从哪儿来的力气,我会做得特别轻松。大概是期盼着他们崇拜的眼神吧。 但是,如果是年轻的夫妇在的时候,我就不去做。 因为万一妻子对丈夫说,“喂,你也去试试。”而万一那丈夫又做不了的话,那也太可怜了。 也许这就是“武士的慈悲”吧。