优秀奖

「わたしと日本——歳月に埋もれた銃剣」

 郝顺(南京邮电大学

初めて日本に接触したのは、一本の歳月に埋もれた銃剣だった。

今でもぼんやりと覚えている。それは暖かい春風が吹き、辺り一面が青々とした草木に覆われた春の日のことだった。幼い頃の私は仲間と一緒に木の下で、ふわふわとした柔らかい土を掘って遊んでいた時、何か鋭いものにぶつけて、手を切ってしまった。えんえんと大声で泣いた私は血が流れ出た指をなめてさっさと家に帰っていった。

その日の夜、一体どんなもので指を切ったのか気になった私は、スコップを持って、月の光を頼りにその木の方へ歩いて行った。私はその「事故現場」に戻ると、すぐに掘り始めた。きっと鉄の棒やガラスあるいは鉄アングルだろうと思っていた私は、土の中から出てきた長い刀を見て、びっくりした。刀だった。その刀の刃は鋭くて、月の光の下で怪しく恐ろしい光を放った。

急いで家に帰って、その刀を父に見せた。それを見ると、父は「これは素晴らしい刀だ!」と言ってびっくりしていた。兵器に興味がある父は「これは、もしかしたら日本軍隊の銃剣だったのかもしれない。」と言った。初めて日本に接触した私はその銃剣を投げ出してしまった。そして、その銃剣は私の心に深く刻み込まれた。

「これは日本の銃剣だ。中国人の血に満ちた日本の銃剣だ。お前はよく覚えておくがいい。日本人は俺たちの仇だ。」父は荘重な口調で言って、その銃剣をくれた。父はまた「日本人に侵略された痛みをよく覚えておけ!」と命令した。まだ小さかった私は、その時初めて「仇」とは何かを知った。

大きくなるにつれて、日本に関する色々な本を読んだり、様々な番組やドラマを見るようになった。学校でも、日本に関する歴史や知識を先生から教えてもらった。私は日本をよく知り、その痛ましい歴史をもっと理解できるようになった。その銃剣はきれいに洗って本棚に置いた。その時、私は銃剣の泥は洗い流せるけど、中国人の心に残った痛みは絶対にきれいに洗い流すことはできないと思った。

私は大学に入ってから、毎日日本語を学習するとともに、日本についての知識も深まり、日本をよく理解できるようになった。時間が経つにつれて、日本に対する私の考えも知らず知らずのうちに変わってきた。その痛ましい歴史と本棚の上の銃剣に対して、以前よりもっと理性的な見方ができるようになった。歴史はもう歴史になったのだ。以前の痛ましい痛みも歴史になった。歴史はどうしても変わらないんだ。日本人は中国に侵略したが、日本人もまた痛ましい損失を被った。歴史を忘れることは許されないが、私達はこれから前向きに考えることができるでしょう。そして、両国はお互いに協力して発展すれば、もっと素晴らしい未来になるでしょう。

この日本の銃剣は中国の血涙史の象徴であるだけでなく、私の思想の発展を促した。この銃剣を子々孫々まで残しておきたい。そして、「むかしの日本人は中国人の仇だ。でも、現在の日本人だけでなく未来の日本人も中国人の仲間だ。」と言う気持ちを伝えたい。

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