就像真的回到江户时代一样!
让我们跟随考证专家山田老师一起解读江户豆知识,探究“江户种种”吧!

【场景还原】

咲「!吉十郎とは、あ、あの坂東吉十郎様で!?」

咲:“!吉十郎就是,那、那个坂东吉十郎大人吗!?”

【豆知识】

坂東吉十郎というのは、実在の歌舞伎役者なんだけれど、唯一この方の存在が確認できるのは、天保時代(1830年~1843年)に描かれた2枚の浮世絵の中だけ。天保時代にそういう名の歌舞伎役者が実在していたというのは、はっきりとした事実なんだけど、それ以外には文献的資料が残っていないから、彼がいつ生まれていつ亡くなって、どんなキャラクターだったのかというのは正直なところわからないの。でも、浮世絵を見ると、脇のいい役を押さえているから、主役クラスにはなれなかったかもしれないけれど、江戸を魅了した“渋くていい脇役”だったんじゃないかと推測されるわね。

坂东吉十郎虽然是历史上真正存在的歌舞伎演员,但是唯一能证明他存在过的只不过是天保时代(1830年—1843年)的两幅浮世绘而已。天保时代确实有叫这个名字的歌舞伎演员,但是因为除此之外再也没有留下什么文献资料,所以他的生卒年月,扮演角色等等都不得而知了。不过从浮世绘来看,他扮演的都是比较主要的配角,可能并没有成为过主角。即时这样我们应该还是能推测出:他是江户时代一位即朴素而又有雅兴的配角吧。

ちなみに、吉十郎が芝居小屋の中の布団部屋に住んでいたのをみて、“歌舞伎役者というのはみんな芝居小屋の中に住んでいたんだ”と思った人もいるかもしれないけれどそれは間違いで、江戸歌舞伎の役者はなんせトップの名題(なだい)クラスともなると「年間に千両稼ぐ」というぐらいだから、ある種のお金持ちなの(※その日の演目を紹介したものを『名題看板』といい、名題看板に名が載るような役者のことを『名題(役者)』という)。

顺便一提,可能有许多观众看到吉十郎以戏棚子的铺盖卷儿为家,就误以为“所有的歌舞伎演员都是住在戏棚子里的”。其实不尽然。江户时代的歌舞伎演员,一旦进入了名角儿的行列,一年就可以挣得一千两左右的薪酬,某种程度来说就是有钱人了。(介绍当天演出的展板叫做“名角儿展板”,而那些名字被写在展板上的演员就被称作“名角儿演员”。)

だから、ちゃんといい屋敷を建てて自分もそこに住み、弟子の一部を住まわせて生活しているというのが本来あるべき姿なんだけれど…吉十郎がそういう生活をしていないのは、身持ちを崩してカミさんにも出て行かれたみたいなシチュエーションを誇張するため。地方をまわる時に楽屋へ寝泊まりするということはあったけれど、劇場に寝泊まりするというのは本来ありえないことで、ああやって全員が住んでいるわけじゃないのよ。

所以,他们一定会建造一栋自己居住的房子,也会让一部分徒弟一同寄住。这才是歌舞伎名角儿原本的生活状态。而吉十郎过着那样贫贱的生活,也许是出于对他身败名裂、被扫地出门的一种夸张表现吧。剧中还提到了他在地方巡演时住在剧场后台的情况,但是让歌舞伎演员住在剧场实在是一件不可能的事情,像那样一个剧团都住在剧场的场面也是不现实的。

歌舞伎役者というのは、澤村田之助なんかもそうだけど、親が役者で子供も役者で…と代々続いていくのが普通で、歌舞伎の家系でないところから『名題』になるというのは非常に難しいことなの。でも、吉十郎という人を調べていくと、普通なら前後に何代もいるはずなのに、誰ひとりとして浮かび上がってこない。ということは、たぶん一代限りの人だったらしいということで、親がそういう家系の血筋じゃないだろうなという予測がつくの。最後に、与吉くんが「いつか二代目吉十郎になる」と決心していたけれど、歌舞伎の家系でない家の息子が親の名前を継ぐというのは、非常に困難なことよね。この先、与吉くんを田之助も応援していくのかもしれないけれど、きっと道のりは厳しいはず。それをわかった上であえてなろうというのだから、非常に健気なシチュエーションになっているわよね。

歌舞伎演员通常都会子承父业,代代相传。像泽村田之助就是这样的。如果不是出生于一个歌舞伎世家,那么想要成为“名角儿”是一件非常困难的事情。但是,稍微调查一下吉十郎的上下几代人,就会发现其中没有一个人和歌舞伎有渊源。从这一点看来,我们可以推测吉十郎是只身一人进入了歌舞伎界,而并不是因为家族中有歌舞伎的血统。剧中的最后,与吉下定决心要“成为第二个吉十郎”,但是一个并非歌舞伎家族出生的孩子想要继承父亲的名声这种事,是万分困难的。之后,还有田之助力挺与吉的一出戏,不过可以断定这其中也肯定长路漫漫。不过正因为是知难而上,所以这些场景才显得这么可敬可嘉吧。

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