ちょうど40年前。1981年10月9日の夜10時から、ドラマ『北の国から』(フジテレビ系)の第1話が放送された。多くの視聴者にとって、それは見たこともないドラマだった。

40年前,日本时间1981年10月9日晚十点,电视剧《北国之恋》(富士电视台)第一集播出了。对当时的很多观众来说,这是一部前所未有的电视剧。

当時、金曜夜10時という同じ時間帯に、ドラマが3本並んでいた。1本目は、この年の5月から始まっていた、藤田まこと主演『新・必殺仕事人』(81年5月~82年6月、テレビ朝日系)。もう1本が9月にスタートした山田太一脚本のドラマ『想い出づくり。』(81年9~12月、TBS系)だ。

当时,周五晚十点档同时播出着三部电视剧,一部是1981年5月开播,由藤田真主演的《新・必杀仕事人》(1981年5月~1982年6月于朝日电视台播出),一部是1981年9月开播,由山田太一担任编剧的《回忆制造》(1981年月~12月于TBS播出)。

シリーズとして固定ファンを持つ『必殺』もさることながら、『想い出づくり。』も女優3人の生き生きとした掛け合いが軽妙で話題となっていた。演じたのは森昌子、古手川祐子、田中裕子の3人。当時は結婚適齢期といわれていた24歳の女性たちが、平凡な日常生活から脱却しようと都会をさまよう物語だ。ちなみに脚本は山田太一、演出は鴨下信一、プロデューサーは大山勝美。後に大ヒット作となる『ふぞろいの林檎たち』の布陣と同じだった。

有着众多忠实粉丝的系列作品《必杀》大家自然耳熟能详,由三位女演员主演的《回忆制造》也因其轻快生动的故事而备受关注。这部作品中的三位女主角分别为森昌子、古手川祐子和田中裕子,它讲述了正值适婚年龄的24岁女性逃离平凡生活奔走在城市中的故事。此外,这部作品编剧为山田太一、导演为鸭下信一,制作人为大山胜美,与之后的人气作品《长不齐的苹果们》为同一制作阵容。

異例ずくめのドラマ

标新立异的电视剧

人気の2番組に遅れて参入してきた『北の国から』の主演俳優は、田中邦衛である。60年代から70年代にかけての田中は、加山雄三の映画『若大将』シリーズや『仁義なき戦い』シリーズでの脇役という印象が強かった。ドラマの主役といえば、スターだったり二枚目だったりすることが当たり前の時代に、異例の「主演・田中邦衛」。視聴者も戸惑ったはずだ。

在这两部人气作品播出后,《北国之恋》后起而入,这部作品由田中邦卫主演。六七十年代的田中在加山雄三的系列电影《若大将》和《无仁义之战》中的配角给人留下深刻的印象。当时,说起电视剧主演,人们心中还认为应该由明星小生担任,《北国之恋》的“田中邦卫主演”就十分标新立异,这一点想必也让当时的观众十分困惑。

そして、肝心の物語も普通ではなかった。東京で暮らしていた黒板五郎(田中)が、2人の子どもと一緒に、生まれ故郷である北海道の富良野に帰ってくるところからドラマは始まる。仕事を求めて東京に出ていた五郎は、令子(いしだあゆみ)と結婚して、純(吉岡秀隆)と螢(中嶋朋子)をもうけた。しかし、妻の不倫をきっかけに五郎は、子どもたちを連れて富良野へ帰ることを決意したのだ。

此外,最重要的故事情节也并不简单。《北国之恋》的故事从居住在东京的黑板五郎(田中 饰演)带着两个孩子回到故乡北海道富良野开始。来到东京求职的五郎在和令子(石田良子 饰演)结婚后,生下了纯(吉冈秀隆)和萤(中岛朋子)一对儿女。然而妻子却在婚后出轨,五郎也因此决定带着孩子回故乡富良野去。

当然、ドラマの主な舞台は北海道となる。それまでも単発ドラマなどで「地方」が描かれることはあったが、連続ドラマを「現地」で撮り続けることなどあり得なかった時代だ。主演俳優同様、これも異例のことだった。

因此,这部电视剧的主要舞台当然就是北海道。当时虽然也有以“各地方”为舞台的单集电视剧,但在那个年代,连续剧是很难做到一直在“当地”拍摄的,所以在这一点,《北国之恋》和主演一样,也是标新立异的。

冬は気温がマイナス20度にもなる富良野でのロケ。俳優陣、演出家たち、そして技術や美術のスタッフの奮闘もドラマ史に残るものだ。

富良野拍摄地的冬天,气温达到了零下20摄氏度。演员、导演、技术美术工作人员的艰苦拍摄也记入了电视剧史册。

倉本が私に語ったところによると、当初、フジテレビからの提案は「映画の『キタキツネ物語』(78年)のようなものを書いてほしい」だったという。ヒット映画のテレビ版を狙ったのだろう。しかし、蔵原惟繕(くらはら これよし)監督が知床の斜里町や網走でキタキツネを探して4年も粘ったような制作体制は組めないはずだと、倉本は断った。

据仓本(编剧)描述,当时富士电视台提议他“创作一部类似于电影《狐狸的故事》的作品”,看得出来是想做一个卖座电影的电视剧版本。但却被仓本驳回了,《狐狸的故事》导演藏原惟缮组建的制作组在知床的斜里町和网走市追踪狐狸追踪了四年,他认为现在已经无法组建这样有整体性的制作组。

すると今度は、北海道で日本版『アドベンチャーファミリー』(75年、米映画)のような作品はどうでしょう、と食い下がる。ロサンゼルスで暮らしていた一家が、何もないロッキーの山中に移住する物語。家族が力を合わせて大自然と向き合う姿が評判を呼んだ。しかし、北海道にロッキーに匹敵するような場所はない。倉本はこの案も退けた。

之后电视台有紧追不舍地要求在北海道拍一部日本版的《荒野家族历险记》,这部电影讲述的是住在洛杉矶的一家人移居到荒野山中的故事,故事中一家人齐心协力面对大自然的态度受到观众一致好评。但是,北海道根本没有能够和原作匹敌的“荒野”地区,因此仓本也驳回了这个提案。

だが、フジテレビ側は「テレビを見るのは主に東京の人だからかまわない」と言う。これに倉本が怒った。北海道を舞台にドラマを作って東京の人に見せるからといって、北海道の人間が「嘘だ!」と思うようなものは作るべきではないからだ。

然而,当时富士电视台方称“看电视的主要都是东京人他们不会知道”,这句话惹怒了仓本。他认为,虽然这部以北海道为舞台的作品是拍给东京人看的,但也不能拍一部让北海道的人一看就觉得“太假了”的电视剧。

「廃屋」が生んだドラマ

“破屋子”催生出的电视剧

思えば、『前略おふくろ様』(75~76年、日本テレビ系)も、プロの板前が見て納得できるドラマだった。結局、倉本自身が新たに企画書を書くことになる。

如此说来,电视剧《前略老妈大人》(1975年~1976年于日本电视台播出)在专业人士看来也是很考究的一部作品。最终,仓本还是自己写了一部新的企划书。

実は、『北の国から』を書き始める2~3年前から、倉本はよく富良野の原野を歩き回っていた。そこで頻繁に目にしたのが、物語の核となっていく「廃屋」だ。中に入ると、壁に〈寂しいときにはあの山を見た〉などの落書きがあった。赤いランドセルも置いてあり、広げた雑誌『少女フレンド』の表紙には少女時代の小林幸子の写真……。まさに「夜逃げ」の光景だった。

实际上,刚开始创作《北国之恋》的两三年间,仓本经常徘徊在富良野的原野上。当时他经常看到的“破屋子”后来成了这部作品的核心。房间的墙壁上写着“寂寞的时候就看看那座山”,里面放着红色双肩包,展开的《少女Friend》杂志封面是少女时代的小林幸子,一副家里主人“连夜逃跑”的光景。

倉本によれば、北海道には3種類の廃屋があるという。海岸に残された番屋(漁民の作業場兼宿泊所)の廃屋。山に残された炭住(炭鉱労働者用住宅)の廃屋。そして、原野に残された農家の廃屋だ。水産業、鉱業、農業……。かつて日本の繁栄を支えた第一次産業に従事した人々の家だ。高度経済成長を経て構造転換の大波の中で衰退し、やがて国に見捨てられていった。廃屋はその残骸だ。

仓本说,北海道有三种废弃房屋:海岸边的废弃哨所(渔民工作休息的地方)、山上的废弃炭住(煤炭劳动者住所)和荒野中的废弃农家。水产业、矿业、农业,这些都是曾经支撑着日本经济繁荣的第一产业,这些废弃房屋就是这些劳动者曾经的家。这些产业经过日本高度经济成长的过程,在产业结构转型中逐渐衰退,最终被国家舍弃,这些废弃房屋就是遗留下来的残骸。

捨てられた人たち、忘れられた人たちの無念が、倉本にペンを執らせたのかもしれない。ドラマの中で、最初に五郎たちが住もうとした家も廃屋のようなものだった。もちろん水道も電気もガスもない。

这些被抛弃、被遗忘的人们心中的遗憾,说不定正是让仓本拿起笔的原因。在剧中,五郎最初的家也像废弃房屋一般,没有水管、没有电、也没有煤气。

第1回で、この家に衝撃を受けた純が五郎に「電気がなかったら暮らせませんよッ」と泣きそうになって訴える。そして「夜になったらどうするの!」と続けた。この時の五郎のたんたんとした答えが、純だけでなく、私を含む視聴者を驚かせた。

第一集中,刚看到自己的家的纯十分震惊,一脸快要哭的样子控诉“没电怎么生活”“晚上怎么办!”。当时五郎淡薄的回答不仅让纯震惊,也让笔者和观众十分意外。

「夜になったら眠るンです」――このセリフこそ、その後20年にわたって続くことになる、ドラマ『北の国から』の“闘争宣言”だったのだ。

“到了晚上就睡觉”——这句台词,在之后的20年一直都是《北国之恋》的“战斗宣言”。

社会への異議を込めたドラマ

饱含对社会异议的电视剧

明るくなったら目覚め、夜になったら眠る。一見、当たり前のことだ。しかし80年代初頭の日本では、いや東京という名の都会では、街は24時間稼働し、人はカネさえあれば何でも買えると思い込み始めていた。やがて「バブル崩壊」という結末が訪れることなど想像することもなく、人々は繁華街で飲み、食べ、歌い、遊んだ。

天亮就起床,晚上就睡觉。这看起来是理所当然的道理。但在当时,80年代初的日本,或者说东京这座城市,一天24小时都在工作,所有人都认为钱可以买到一切。甚至没有人想象过“泡沫崩坏”这一结局的到来,只是一股脑地在繁华街中畅饮、暴食、高歌、游乐。

そんな光景に背を向けて、黒板一家は都会から地方に移り住み、自給自足のような生活をし始める。

在这样的背景下,黑板一家人却选择从城市回到家乡,过自给自足的生活。

「都会は無駄であふれ、その無駄で食う人々の数が増え、すべては金で買え、人は己のなすべき事まで他人に金を払いそして依頼する。他愛(たわい)ない知識と情報が横溢(おういつ)し、それらを最も多く知る人間が偉い人間だと評価され、人みなそこへあこがれ向かい、その裏で人類が営々とたくわえて来た生きるための知恵、創る能力は知らず知らずに退化している。それが果たして文明なのだろうか。『北の国から』はここから発想した」

“城市中充斥着虚荣浮躁,越来越多的人以此为生,他们认为钱能买到一切,就连自己的应尽之事也花钱交给别人去做。城市中还满是无用的知识和信息,对这些信息了解越多的人就会被认为是伟大的人,因此人人心向往之。而人类赖以生存的知识和创造能力却在不知不觉中退化了。而这一切真的还是文明吗?《北国之恋》就是出于这些想法创作的”。

この文章は、倉本が82年1月5日の北海道新聞夕刊に寄稿したものだが、『北の国から』の本質を端的に語っている。倉本は自身が抱えていた違和感をドラマの中に盛り込んだのだ。

这段话选自1982年1月5日仓本寄送给北海道新闻晚报中的内容,它表达了《北国之恋》的创作初衷。仓本将自己心中的异样感隐藏在了这部电视剧中。

当初は訝(いぶか)しんでいた視聴者も、回が進むにつれて徐々に、倉本が描く世界から目が離せなくなる。そこに、当時の日本人に対する、怒りにも似た鋭い批評と警告、そしてメッセージを感じ取ったからだ。

一开始感到十分奇怪的观众也随着电视剧的播出而逐渐爱上了仓本描写的世界。因为剧中有着对当时的日本人近似狂怒的尖锐批评和警告,以及想对他们表达的信息。


時代と並走したドラマ

与时俱进的电视剧

80年代は、現在へとつながるさまざまな問題が噴出し始めた時代でもあった。世界一の長寿国となったことで到来した「高齢化社会」。地方から人が流出する現象が止まらない「過疎化社会」。何でもカネに換算しようとする「経済優先社会」。ウォークマンの流行に象徴される「個人社会」……。『北の国から』は「その生き方でいいのか」と別の価値観を提示していた。

80年代,是一个各种问题开始暴露的时代,很多问题都与现在息息相关。最为世界第一“长寿国”的日本迎来了“老龄化社会”、地方人口不断流出的“过疏化社会”、万事万物都要换算成金钱的“经济优先社会”、人手一个随身听的“个人社会”......。电视剧《北国之恋》提出了不同的价值观,反问“这种生存方式真的好吗?”。

また、「家族」にも変化が起きていた。「単身赴任」が当たり前になり、父親が「粗大ごみ」などと呼ばれたりもした。また「家庭内離婚」や「家庭内暴力」といった言葉も広く使われるようになる。『北の国から』はこうした時代を背景に、視聴者が無意識の中で感じていた「家族」の危機を、物語として具現化していたのだ。

此外,“家庭”也在发生变化。“单身赴任(由于工作原因常常需要长时间去外地或国外工作,但家人不能一同前往。)”司空见惯,父亲被认为是“大件垃圾”;“家庭内离婚(夫妻住在一起,但由于各种原因没有实际离婚的情况)”“家庭暴力”等词语也频繁出现在大众视野。《北国之恋》就在这样的时代背景下,将观众们无意识中感受到的“家庭”危机以故事的形式具象化了出来。

81年10月にスタートして、82年3月末に全24話の放送を終えた『北の国から』は、スペシャル形式で2002年まで続いた。そこには20年の時の流れがあり、徐々に年老いていく五郎の姿がある。その一方で、大人になっていく子どもたちの仕事、恋愛、結婚、いや不倫までもが描かれていった。

《北国之恋》于1981年10月开播,1982年3月末播完,共24集。之后又以特别剧的形式一直播出到2002年,特别剧中,经过了20年的岁月,五郎逐渐老去,孩子们长大成人,剧中他们也经历了工作、恋爱、结婚、甚至出轨。

見る側は、フィクションであるはずの「黒板一家」を親戚か隣人のように感じながら、五郎と一緒に笑い、泣き、悩み、純や螢の成長を見守り続けた。彼らと並走するように同じ時代を生き、年齢を重ねてきた。

对观众而言,虚构出的“黑板一家人”已经像是亲戚或者邻居一般,我们和五郎一同欢笑、一同哭泣、一同烦恼,一同守护者纯和萤的成长。在相同的时代中和他们共同前行,共同经历岁月变迁。

思えば、『北の国から2002遺言』のラストで五郎は遺言を書いていたが、亡くなったわけではなかった。あれから20年近くが過ぎた今年、俳優・田中邦衛は88歳で旅立ってしまった。しかし、五郎は今も変わらず、富良野の風景の中を飄々と歩いているような気がするのだ。

回想起来,在《北国之恋:2002遗言》的最后,五郎写下了遗书,但最后却没有离世。在那之后,20年后的今年,演员田中邦卫离世,享年88岁,但五郎却从未消失,一直淡然地走在富良野的风景之中。

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