从山口百惠到安室奈美惠,两代歌姬的隐退中有着怎样的社会变化?
作者:西西芋子 译
来源:文春オンライン
2021-12-21 06:15
日本において史上最高にCDが売れた1990年代、国民的ヒット曲が誕生するも、徐々に音楽産業が下り坂となった2000年代、YouTubeやSNSの普及で、新たな流行の法則が生まれた2010年代……。それぞれの時代で、いかにしてヒット曲は生まれ、それらは社会に何をもたらしたのだろうか。
日本历史上CD销量最高的1990年代,诞生了国民流行歌曲,但在2000年代音乐产业逐渐走下坡路,随着YouTube和SNS的普及,2010年代产生了新的流行规律......在各个时代,流行歌曲是如何诞生的,它们又给社会带来了什么呢?
ここでは、音楽ジャーナリストとして活躍する柴那典氏の著書『 平成のヒット曲 』(新潮新書)の一部を抜粋。山口百恵と安室奈美恵。時代を象徴する歌姫の去り際を比較し、社会の変化を読み解いていく。
这里摘录了作为音乐记者活跃的柴那典的著作《平成流行歌曲》(新潮新书)的一部分。山口百惠和安室奈美惠。比较象征时代的歌姬的离去,解读社会的变化。
山口百恵と安室奈美恵
山口百惠与安室奈美惠
2017年9月20日。安室奈美恵は、40歳を迎えた誕生日の当日に、自身の公式サイトを通じて引退することを発表した。
2017年9月20日,安室奈美惠在迎来40岁生日的当天,通过自己的官方网站发表了引退的消息。
安室奈美恵は、自ら引退日と定めた2018年9月16日までの1年間で、オールタイム・ベストアルバム『Finally』を発表し、5大ドームツアーを行い、大きなセンセーションを世に巻き起こした。ベスト盤は230万枚を超えるセールスを果たし、2017年と2018年のオリコン年間アルバムランキング1位を記録する。
安室奈美惠在自己决定的引退日2018年9月16日为止的1年内,发表了全能精选专辑《Finally》,进行了5大巨蛋巡演,引起了巨大的轰动。精选集销售量超过230万张,创下2017年和2018年公信榜年度专辑排行榜第一名的记录。
こうして、安室奈美恵は名実ともに「平成の歌姫」となった。
就这样,安室奈美惠成为了名副其实的“平成歌姬”。
「最後は笑顔で! みんな元気でねー! バイバーイ!」
“最后要保持笑容!大家都要好好的哦!拜拜!”
2018年6月。約80万人を動員したラストツアーの最終公演、東京ドーム。最後のMCで安室はファンへの、スタッフへの感謝を語り、マイクを握ったまま高々と両手を掲げ、笑顔でステージを降りた。
2018年6月,动员了约80万人的最终巡演的最后一场公演在东京巨蛋举行。在最后的讲话中,安室表达了对工作人员和对粉丝们的感谢,握着麦克风高高举起双手,笑着走下了舞台。
ちなみに、やはり人気絶頂期に結婚を発表して引退した「昭和の歌姫」山口百恵のファイナルコンサートでの最後の一言は「本当に、私のわがまま、許してくれてありがとう。幸せになります」だった。1980年10月の引退当時、年齢は21歳。あふれる涙に顔を濡らしながら「さよならの向う側」を歌い、白いマイクをステージの中央にそっと置き、静かに舞台裏へと去っていった。
顺便一提,同样在人气鼎盛时期宣布结婚并隐退的“昭和歌姬”山口百惠,在最终演唱会上的最后一句话是“真的,谢谢你们原谅我的任性,我会幸福的”。1980年10月退役时,年龄21岁。满脸泪水地唱着《再会的彼端》,把白色的麦克风放在舞台中央,静静地走向幕后。
山口百恵と安室奈美恵。共に時代を象徴する2人の歌姫の去り際を比べることで、昭和から平成へと、社会が、そして女性の生き方がどう変わっていったかを考えることができるのではないだろうか。
山口百惠和安室奈美惠。通过比较这两位共同象征时代的歌姬的告别,我们或许可以思考,从昭和到平成,社会以及女性的生活方式发生了怎样的变化。
笑顔で終わりたい
想以笑容结束
安室奈美恵のデビューは1992年。当時はグループ「SUPER MONKEY’S」の一員だった。メンバー共通の夢は「故郷の沖縄でコンサートをやること」。それが叶ったのが、「安室奈美恵with SUPER MONKEY’S」名義で活動するようになった1995年12月のことだった。
安室奈美惠出道于1992年。当时是组合“SUPER MONKEY’S”的一员。成员们共同的梦想是“在故乡冲绳开演唱会”。1995年12月,安室奈美惠开始以“安室奈美惠with SUPER MONKEY’S”的名义活动。
だからこそ、安室が引退前日の2018年9月15日、ファンと過ごす最後の場所に選んだのも沖縄だった。場所は初の沖縄凱旋ライブと同じ宜野湾市の沖縄コンベンションセンター。ラストツアー最後のMCの一言と同じく、「笑顔で終わる」というのが、彼女にとって大きなポイントだった。
正因为如此,安室在退役前一天的2018年9月15日,选择了冲绳作为与粉丝共度的最后一站。地点和第一次的冲绳凯旋演唱会一样,是在宜野湾市的冲绳会议中心。就像最后巡回演唱会说的最后一句话一样,“以笑容结束”,这是她最大的亮点。
追い求めていたのは、可愛いよりもカッコいい女性像だった。デビュー前からの憧れはジャネット・ジャクソン。「周りが大人ばかりだったので『子ども扱いされたくない』と思っていた」(『SPUR』2018年9月号)という環境の中、他者に媚びたり可愛さや色気やセクシーさをアピールすることよりも、ジャネット・ジャクソンのように、強く、とんがった、カッコいい女性であろうとしてきた。そのせいもあってか、SUPER MONKEY’S時代から男性ファンよりも女性ファンのほうが多かった。
她追求的不是可爱,而是帅气的女性形象。出道前她憧憬的偶像是珍妮·杰克逊。在“周围尽是大人所以‘不想被当做孩子’”(《SPUR》2018年9月刊)的环境中,比起向别人献媚、展现自己的可爱性感,她更想像珍妮·杰克逊一样坚强。也许是这个原因,从SUPER MONKEY’S时代开始,她的女粉丝就比男粉丝多。
安室奈美恵が体現してきた、強く、自立した「カッコいい女性像」に、同世代や年下の女性たちが憧れ、夢中になった。
安室奈美惠所展现出来的坚强、自立的“帅气女性形象”,令同龄和年轻的女性们憧憬、着迷。
30歳で更新した「カッコいい女性像」
30岁更新的“帅气女性形象”
しかし、安室自身が女性として、アーティストとしての本当の意味での自立を獲得したのは、もっと後のことだ。
但是,安室自身作为女性、作为艺术家获得真正意义上的自立,是更后的事情了。
安室は10代の頃をこう振り返っている。
她这样回顾自己10多岁的时候。
〈 あの頃は、敷かれたレールが目の前にあった。だからその上をとにかく真っすぐ歩いていくという……他人事みたいな部分がありました。(『VOGUE JAPAN』2018年10月号)〉
“那时候,铺设好的路就在眼前。所以在上面径直地走着......有些事不关己。”(《VOGUE JAPAN》2018年10月刊)
転機になったのは、自分と向き合った1年の休業期間。そして小室プロデュースを離れセルフプロデュースの体制になった00年代以降の音楽活動だ。当初は迷いもあった。何をすれば正解なのかわからない。作詞に挑戦したこともあったが、しっくりこなかった。
转机是直面自己的一年休业期间。接着00年代以后离开小室制片人成为独立制片人进行音乐活动。当初也有迷茫,不知道做什么才是正确的。虽然也挑战过作词,但不合适。
その中で大きなターニングポイントとなったのはラッパーのZeebra、m-floのVERBAL、音楽プロデューサーの今井了介と組んだスペシャルユニットSUITE CHICとしての活動だった。アルバム『WHEN POP HITS THE FAN』(2003年)は、本格的なR&B、先鋭的なヒップホップの方向性で新境地を開拓した1枚だ。
其中成为重大转折点的是与说唱歌手Zeebra、m-flo的VERBAL、音乐制作人今井了介组成的特别组合SUITE CHIC。专辑《WHEN POP HITS THE FAN》(2003年)是在真正的R&B、尖锐的hiphop方向上开拓新境界的一张专辑。
本作以降、「安室奈美恵」名義に戻った彼女は、貪欲に音楽的な挑戦を繰り返していく。
在这部作品之后,以“安室奈美惠”的名义回归的她,贪婪地反复进行着音乐上的挑战。
テレビの音楽番組にはほとんど出演せず、活動の軸をコンサートに置き、ダンスと歌に徹するパフォーマンスを繰り広げるようになっていったのもこの頃からだ。MCを一切挟まず2時間ぶっ通しで歌い踊る姿には圧倒的な説得力があった。
她几乎不参加电视音乐节目,把活动的重心放在演唱会上,从这时开始进行唱跳结合的表演。她完全不带MC,持续2小时唱歌跳舞的身姿有绝对的说服力。
安室は自らの人生の転機を30歳だったと語っている。
安室说自己人生的转折点是30岁。
誰かに敷かれたレールの上ではなく、自ら決めて選んだ道を歩み、パフォーマンスで魅了する。そのプロフェッショナルな姿勢や生き方を通して、以前とは違う意味で彼女は同世代や年下の女性の憧れとなっていった。
不是走在别人铺设的轨道上,而是走自己决定并选择的道路,用表演吸引观众。通过这种专业的态度和生活方式,在另一种意义上,她成为了同辈和年轻女性的憧憬对象。
平成とは「自分らしさ」の時代だった。自己犠牲が美徳とされた昭和の価値観が少しずつ解体され、それぞれ個人の主体性が獲得されていく30年だった。
平成时代是“自我主张”的时代。这30年,以自我牺牲为美德的昭和价值观逐渐解体,每个人都获得了主体性。
そういう意味でも、安室奈美恵は「平成の歌姫」だった。
从这个意义上来说,安室奈美惠就是“平成歌姬”。
人生の荒波を超えていく
穿越人生的风浪
「CAN YOU CELEBRATE?」は結婚式の定番曲だ。もともとウェディングソングを意図して書き下ろされた曲でもある。しかし、こうして安室の歌手としてのキャリアを振り返った上で考えてみると、より深い意味を歌詞から読み解くことができるのではないかと筆者は考えている。
《CAN YOU CELEBRATE?》是婚礼的经典曲目。这首歌原本是为了婚礼歌曲而创作的。但是,笔者认为,回顾安室奈美惠的歌手生涯,或许可以从歌词中解读出更深的含义。
安室はこの曲について、こんな風に語っている。
关于这首曲子,安室是这样说的。
〈 20代、30代、そして今。この歌は、歌う年齢によって、歌詞の重みも違って感じるし、ジーンとくる言葉もそのときどきで異なっていて。きっとこの先の40代、50代も、自分の成長や経験とともに、聴くたびに新しい発見のある曲じゃないかなと思う。〉
“20多岁、30多岁,还有现在。我认为这首歌,演唱时的年龄不同,歌词的分量也会有所不同,令人热泪盈眶的歌词也会不一样。今后到了40岁、50岁,随着自己的成长和经历,每次听都会有新的发现。”
歌詞には、こんな言葉がある。
歌词里有这样一句话。
遠かった怖かったでも 時に素晴らしい
即使相隔遥远,即使害怕,有时仍然美好
夜もあった 笑顔もあった どうしようもない風に吹かれて
曾有夜晚,曾有笑颜,就让风儿恣意地吹
生きてる今 これでもまだ 悪くはないよね
如此生存着的现在,就算这样,也不算太坏
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