ラグビーW杯が盛り上がるなか、ドラマ『ノーサイド ゲーム』主題歌だった米津玄師の「馬と鹿」が絶好調だ。「Lemon」ロングセールスに始まり、昨年末の『NHK紅白歌合戦』出演、今回のヒットなど、話題に事欠かない米津。楽曲のパワーはもちろんだが、米津自身がすでに現代のカリスマと化しているように思える。その存在感は、どこか昭和の音楽界のカリスマ吉田拓郎を彷彿させる。二人の共通点と、時代を経ても通じるカリスマの条件とは?

橄榄球世界杯如火如荼进行中,由米津玄师演唱的电视剧《比赛完毕》(该剧讲述的是企业橄榄球部的故事)主题曲《马与鹿》亦势如破竹。《Lemon》大热多时,米津又出演了去年年末的NHK红白歌会,再加上这次主题曲的热度,米津玄师可谓话题不断。音乐的力量自不必说,米津自身也已经成为现今音乐界的灵魂人物。那种存在感,就如同昭和时代音乐界的领袖吉田拓郎一般。而这二人的共同点,换言之,即使时代变迁,能成为领军人物的始终不变的重要条件是什么呢?

本年度DL数1位2位独占、フォロワー数は200万人を突破

独占本年度下载量第一第二,粉丝关注数突破200万人

「オリコン週間デジタルシングル(単曲)ランキング」(10/14付)で、米津玄師「馬と鹿」が8週連続の1位を獲得。「2019年度の累積DL(ダウンロード)数」で「Lemon」に次ぐ2位となり、米津作品が1位、2位を独占する形となった。また、『NHK 2020応援ソングプロジェクト』の一環として米津が作詞 作曲 プロデュースを手掛けた、小中学生ユニットFoorinの「パプリカ」のミュージックビデオは、YouTubeで1億2900万回再生(19年10月現在。ちなみに「Lemon」は約4.7億回再生)。彼の音楽は確実に、幅広い世代にまで浸透を続けている。

10月14日发布的oricon数字单曲周榜中,米津玄师的《马与鹿》连续八周蝉联第一。并且在2019年度累计下载量榜单中,位居《Lemon》之后拿下第二。米津的作品独占了榜单第一第二名。另外,作为NHK2020应援歌曲项目的一个环节,由米津作词作曲制作的,由中小学生组合Foorin演唱的《パプリカ》音乐录像,在YouTube上播放次数达到1亿2900万次(截止19年10月。顺便提一下,《Lemon》的播放次数是4.7亿)。他的音乐,的确已经不断渗透到各个年龄层。

一方、公式Twitterのフォロワーは200万人を突破し、もともとニコニコ動画出身の彼だけにネットとの親和性も高い。彼のファッションや髪形に影響を受ける若者も増え、テレビ番組で“米津系男子”が紹介されることもあった。音楽ばかりか、その存在までがリスペクトされるとあらば、米津はもはや、現代のミュージックシーンにおけるカリスマと化しているのではなかろうか。

另一方面,他的官方推特粉丝数突破200万,原本就是从niconico动画开始出名的他,网络亲和力相当高。越来越多的年轻人开始效仿他的穿搭、发型,还有电视节目专门介绍了“米津系男子”。不仅是他的音乐,他的存在本身备受敬重,已经成了现代音乐界的领军人物。

昭和のカリスマ 吉田拓郎との共通点、「本流」以外からのスタート

与昭和领军人物吉田拓郎的共同点,不是从“主流”发展起来的

ひと口に「カリスマ」と言っても、イメージは人それぞれ。その中にあっても、誰もが納得するカリスマ的アーティストと言えば、吉田拓郎、矢沢永吉、松任谷由実、長渕剛、桑田佳祐、尾崎豊、安室奈美恵、浜崎あゆみ、宇多田ヒカル…といったところだろうか。とりわけ、日本にフォークミュージックを広めた立役者でもある吉田拓郎と米津玄師には、昭和と平成~令和という時代の違いこそあるものの、数々の共通点を見ることができる。

说起“领军人物”,每个人的想法也各不相同。其中,要说任谁都不可否认的领军歌手,便是吉田拓郎、矢泽永吉、松任谷由实、长渕刚、桑田佳佑、尾崎丰、安室奈美惠、滨崎步、宇多田光这些人吧。尤其是将民谣音乐在日本传播开来的吉田拓郎和米津玄师,虽然处于昭和与平成~令和,不同的时代,但还是有不少共同点的。

1つ目は、スタート地点が「本流」ではないこと。吉田拓郎のデビューはエレックレコードというインディーズからのリリースであり、米津玄師は動画配信サイトへの投稿から注目されるようになった。いうなれば、メジャーレコード会社や音楽コンテストなどのメインストリームに背を向けたところから“のし上がってきた”存在だということだろう。

首先,他们都不是从“主流”发展起来的。吉田拓郎的出道曲是ELEC RECORDS这一独立音乐公司发行的,而米津玄师则是从视频网站投稿开始受到瞩目的。也就是说,他们都是与主流唱片公司、音乐选拔大赛等主流背道而驰,“溯流而上”的存在。

ほとんどテレビに出ない、メディア露出の少なさで“神格化”

几乎不上电视,极少在媒体前露脸而被“神化”

2つ目に、マスメディアの代表格である「テレビ」との距離を置いたこと。70年代、多くのミュージシャンがテレビの音楽番組への出演を拒否するという現象が続発したが、その原点が吉田拓郎だった。米津玄師もまた、新作のプロモーションにテレビ番組を利用することはほとんどなく、昨年末の『NHK紅白歌合戦』への出演で彼に初めて触れた人も少なくなかったはずだ。それだけに、彼らがメディアに顔を出すこと自体が“事件”であり、その存在をさらに“神格化”させるファクターとなっていた。[/cn]

其次,他们都远离代表大众媒体的“电视”。上个世纪70年代,许多音乐人都拒绝出演电视音乐节目,起源便是吉田拓郎。米津玄师也没有利用电视节目宣传自己的新MV,估计还是有很多人是在去年红白歌会上,第一次认识他。米津玄师出演电视节目这件事本身成为了“事件”,这也是他的存在被“神化”的原因之一。

[en]屈指のメロディメーカー、提供楽曲でも幅広い支持

屈指可数的旋律大师,提供的乐曲也受到广泛支持

3つ目として挙げられるのが、両者とも前例のない屈指の「メロディメーカー」であるということ。吉田は音符に忠実に歌詞を当てはめるという、それまでの“王道”を覆し、字余りや字足らずを散りばめた画期的な曲調でまったく新しい音の世界を創り上げた。米津も(影響を受けたサウンドはあるだろうが)型にはまらないサウンド構築と、言葉遊びも内包したリリックの融合で、前例のないスタイルを生み出した。しかもそれらは、コアな音楽ファンだけでなく、大衆からも支持されている。

第三,两人都是独一无二的旋律大师。吉田颠覆了之前音符和歌词一一对应的王道做法,歌词或多或少随意分散开来用划时代的曲调,创造了一个完全不同的音乐世界。米津(应该也受到了吉田的影响)作曲从不被形式拘束,歌词有些玩文字游戏的感觉,打造出史无前例的音乐风格。而且他们的音乐不仅受到小众粉丝的追捧,更是得到了大众的认可。

さらに、自身の作品のみならず、吉田の場合は森進一の「襟裳岬」やキャンディーズの「やさしい悪魔」、米津は前出の「パプリカ」やDAOKOとの「打上花火」、菅田将暉に提供した「まちがいさがし」など、多彩なジャンルへ楽曲を送り出すことで、幅広い世代からの支持を得ることにも成功を収めてきた。

且他们除了自己的作品外,吉田为森进一写的《襟裳岬》,为Candies写的《温柔恶魔》,前文提到的米津的《パプリカ》,和DAOKO合作的《打上花火》,为菅田将晖提供的《まちがいさがし》,都创作出了风格迥异的乐曲,从而得到了各个年龄层听众的支持,大获成功。

マスとコア、それぞれに訴えかけてこそのカリスマ

小众和大众,拿下两方才是真正的领军人物

エンタテインメント黎明期であった昭和と、楽しみ方が細分化した現在。まったく異なる時代背景でも、共通するカリスマの条件とは何か? それは、マスとコアそれぞれに訴えかけ、時代をけん引することだろう。大衆に響き、ファンに熱狂的に求められてこそのカリスマである。

与娱乐黎明期的昭和时代相比,现在的娱乐方式更细分化。但即使在完全不同的时代背景下,领军人物的共同条件又是什么呢?那必然是一种不管小众还是大众,全部通吃、能引领时代的力量吧。能让大众共鸣,让粉丝狂热追求的才是真正的领军人物。

多くの人が吉田拓郎を「J-POPの原点」だと評す。それまでの“慣例”に抗い、独自のスタイルをしっかりと保持し、新しい音楽を築き上げ、そこから次世代のカルチャーを生み出していった功績は、日本の音楽界を振り返れば明らかである。

很多人把吉田拓郎评价为“J-POP的开山鼻祖”。他与他之前的音乐“惯例”抗衡,始终保持自己的独特风格,打造出了新的音乐世界,促进次世代文化诞生。回顾日本的音乐界历史,就能对他这一份功绩一目了然。

米津玄師は、もはや一つのジャンルで説明できるアーティストではなくなりつつある。吉田拓郎が、フォーク云々ではなく「吉田拓郎」という名称ですべてを表現できたように、米津玄師もまた「米津玄師」という唯一無二の音楽表現の使者としての道を突き進んでいくことだろう。

米津玄师,已经是无法归类的音乐人。就像吉田拓郎,已经不是民谣歌手可以概括的,“吉田拓郎”这个名字本身就代表了一切。米津玄师也将以“米津玄师”这一独一无二的音乐表现者之名,在音乐的道路上不断前行。

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