時代劇などで当たり前のように見ているちょんまげ。でも、冷静に考えてみると変な髪型じゃないですか!? 「ちょんまげ」という言葉の響きもどこかユーモラスだけど、その呼称にはどんな由来が?ポーラ文化研究所の村田孝子氏に聞いた。

月代头在时代剧中被视为理所当然的发型,但是冷静下来想想,这难道不是一种略奇葩的发型么?就连听到“月代头”这种表达方式都让人觉得很滑稽,那么它的称呼到底有着怎样的由来?我们请教了一下POLA文化研究所的村田孝子先生。

「ちょんまげは、老人の髪の毛が少なくなり、小さくなったまげが『ゝ(ちょん)』という文字に似ているところから、『丁髷(ちょんまげ)』と呼ばれたことが語源。明治時代以降は、当時流行したザンギリ頭に対し、江戸時代からの流れでまげを結っている頭を総称し、ちょんまげという呼び方をするようになりました」

“月代头最初是表达老人的头发越来越少,最后梳成了小小的发髻,这种发髻和‘ゝ’这个文字很相似,所以沿用了ちょん的读音,这便是‘丁髷(月代头)’这个称呼的语源。相对于明治时代以后流行的披散头发的发型,‘月代头’这个说法是从江户时代流传下来的将发髻扎起来的发型的总称。”

では、そのちょんまげ自体はいつから存在し、誰が始めたのでしょう?

那么,月代头本身是什么时候开始存在的,又是谁最开始使用的呢?

「ちょんまげのルーツは諸説ありますが、武士などが結っていた『本多髷(ほんだまげ)』とするのが妥当でしょう。『本多髷』は、江戸時代、伊勢国・桑名藩主だった本多忠勝の家臣の武士から広まったといわれる髪型。安永年間(1772~1781年)ごろに全盛期を迎え、流行や階級によって多様化し、8種類に細分化されていたようです」

“关于月代头的起源有好几种说法,武士们所扎的发髻称作‘本多髷’比较合适。‘本多髷’是江户时代伊势国桑名藩主本多忠胜的家臣武士们所推广的一种发型。在安永年间(1772~1781年)迎来了全盛时期,根据当时的流行趋势和阶级的不同将发型进行了多种多样的划分,一共细分为8种。”

なるほど。でも、ちょんまげが広まった当時、武士たちは変だと思わなかったのでしょうか?

原来如此,但是,在月代头广泛流传的当时,武士们难道没有觉得这种发型很奇怪吗?

「まげという文化そのものは、古墳時代のはにわに、『美豆良(みずら)』という、耳の辺りで輪のようにし、束ねてひもで結んだ髪型をしているものがあるように、かなり古くから存在し脈々と受け継がれてきました。ちょんまげは、まげの文化の流れを受けて登場したので、おかしなものとは映らなかったようです。当時は、武士だけでなく町人もまげをしており、身分、階級、年齢により様々な種類のまげが結われている社会でした。ファッションの流行と同様にとらえれば、新しいスタイルのまげが登場したということで、クールな存在であったかもしれないですよ」

“月代头自身继承了有着悠久历史的文化,在古墳时代的陶俑中,有一种被称作‘美豆良’,在耳际围成圈,用绳子绑起来扎成束的发型。而月代头则受到这种发髻文化趋势的影响应运而生,在当时并没有造成奇怪的反响。当时,不仅仅是武士,就连町人也留这样的发髻,是一个以身份、阶级、年龄的不同而呈现出多种多样的发髻种类的社会。与现在的时尚流行一样,新样式的发髻风格的出现,说不定在当时也是一种酷炫的存在。”

なるほど。ただ、なんで“まげ”という文化が生まれ受け継がれてきたかという理由は、文献などからは分からないそう。わざわざ髪を束ねてひもで結う、なんてこと誰が最初に始めたんでしょうね?

原来如此。只不过,“发髻”这种文化产生和传承下来的理由,仅仅通过文献还不能够完全了解。专门将发髻束缚盘结,这到底起源于谁呢?

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