化粧文化を研究している、石井かおり駒沢女子大准教授の著書『化粧せずには生きられない人間の歴史』によると、こんな記述が!

在研究化妆文化的驹沢女子大学准教授石井Kaori的著作《化粧せずには生きられない人間の歴史》发行时间为2000年,中译版书名:《美丽是妆出来的》中,有这样一段描述!

「男性にも歴史的に化粧する文化があり、日本の場合、男が化粧をしなくなったのは明治維新以降のたかだか100年にすぎない。」

“男性在历史上也有化妆文化,在日本,男性仅从明治维新以后的这一百年才开始不化妆。”

(小编注:石田かおり——博士(被服環境学)•駒沢女子大学人文学部准教授・資生堂客員研究員。現在の専門は哲学的化粧論身体文化論。1964年生まれ。1992年株式会社資生堂入社、化粧文化研究を開始。)

男性も、わずか100年前はメイクをするのが一般的だったんですね。

原来男人化妆就在这一百年前还是件寻常事儿啊。

ちなみにどんなメイクをしていたのかというと...
(参考文献:Wikipedia「化粧」)

那么,他们曾经有着怎样的妆容呢?
(参考文献:Wikipedia”化妆”)

日本では古代から大正時代に至るまで、お歯黒と呼ばれる歯を黒く塗る化粧が行われていた。平安時代には男性もお歯黒をすることがあった。

日本从古代至大正时期,盛行一种叫做“黑齿”(把牙齿染黑)的化妆文化。在平安时代,也有男性染黑齿。

(小编注:据说,水野十子的漫画《樱花盛开》里所画的平安朝贵族男孩就都染黑齿。这一习俗在当时甚至有宗教意味,传说有一种叫“衾”的妖怪,会杀人,只有用黑齿咬它才能得救。)
(中略)
男性も、公家が古代より白粉などで化粧をする習慣が存在し幕末まで続いた。武家もやはり公家に習い公の席では白粉を塗っていたが、江戸時代中期には、化粧をして公の席へ出る習慣は廃れた。ただし、公家と応対することが多い高家の人達は、公家と同様に幕末まで化粧をする習慣を保持していたほか、一般の上級武士も、主君と対面する際、くすんだ顔色を修整するために薄化粧をすることがあったという。

自古以来,朝廷贵族、官员等男性就有用白色粉霜来化妆的习惯,这种文化一直持续到幕府末期。武士们也模仿那些贵族官员在公开场合抹上白粉,直到江户时代中期,化妆出入公开场合的风习被废除。不过据说,和贵族官员们应酬较多的高家们(江户时期掌管幕府仪式和典礼的官职),依旧和贵族官员们一样保持化妆的习惯到幕府末期。除此之外,一般的上等武士,在和主君会面时,为了修正黯淡的肤色,也会化上淡妆。

歴史をひも解くと、そのほとんどの期間、メイクとはむしろ男性の領分でした。とくに身分の高い権力者たちほど、メイクが日常的だったというわけです。時代を動かしている男性の中でメイクが一般的だったという事実は、現代社会でキャリアを目指してステップアップしていきたい男性にとっても、とっても興味深いことなのではないでしょうか?

解读历史后发现,化妆在大部分时期里,倒不如说是男性的分内事儿。特别是那些掌权者,身份越高,化妆现象就越普遍。对于推动历史的男人们来说,化妆居然如此正常。这个事实,在现代社会为出头而努力往上爬的男人们看来,是不是很有意思一件事呢?

時代背景によって好まれるメイクの方向性やメイクの仕方が違うことも、面白いですよね。

根据时代背景的不同,受欢迎的妆容风格及妆容手法也不尽相同,新奇吧。

しかし、今は男性のメイクは一般的とは言えません。 俳優や歌舞伎役者の舞台用の派手なメイクやテレビ用映りを考えたメイク。サッカーや野球選手がデーゲームの時に目の下に塗るシャドウ、お祭りで神輿を担ぐ男性の目尻の紅など。

但是,现代男性化妆可不能说是件寻常事儿。一般也就见于,演员及歌舞伎表演者为电视或舞台效果化上浓妆;足球及棒球选手白天比赛的时候在眼部下方涂上眼影;在祭祀中,抬神轿的男人在眼角涂上红色等等。

理由はあくまで『仕事などにおいて、自分を魅力を示すため』と『利便性の追求のため』という、2点に絞られると思います。

说到理由,我觉得不外乎两点:“希望在工作中展示自己的魅力”、“图方便”。

昔は、むしろ女性をリードしてきた『男性のメイク』!

如此说来,古时候,倒不如说是男性妆容引领了女性!

100年前まで当たり前だった『男性が日常的にメイクをする時代』について、あなたはどう思いますか?また訪れると思いますか?

直到100年前,男性化妆还是家常便饭。各位如何看待那样的时代?你觉得还会历史重现吗?
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