はいはい

是是、嗯嗯

小さかった頃、親や先生に何か言われて「はいはい」と返事をしたら、「ハイは1回でよろしい」とよく怒られました。

小时候,我用“はいはい(是是)”去回应父母或老师的话时,总是会被这样批评:“回答一次就够了!”。

小编注:沪江日语曾经对上述内容做过详细的介绍,感兴趣的同学这边走→文化差异引起误会!中日两国眼中的“礼貌”

あれ、なんで繰り返すんですかね? で、何の気なしにやっているようで、実は繰り返すことによって表されるニュアンスがちゃんとあります。

怪了,为什么要重复说好多次呢?别看这好似是无心之举,其实在重复回应时会出现微妙的语感差异。

そして、注意して聞いていると、日常会話の中でそういう繰り返し表現が結構頻繁に使われているのが分かります。もっともポピュラーなのが(ポピュラーと言うのも変ですが)、「いえいえ」。

另外,好好观察你就会发现,在日常会话中,这种重复表达被使用的频率很高。最流行的(说流行好像有点怪)莫过于“いえいえ(不不不、没没没)”

いえいえ、そんなことありませんよ。

不不不,没这回事。

いえいえ、どういたしまして。

哪里哪里。

なんで「いえ、そんなことありませんよ」ではないのでしょう? 「いえ、どういたしまして」ではないのでしょう?語感を考えると、確かに重ねたほうがリズムが良いです。それに、「いえ」1回だけだと、ちょっと突っぱねたような、毅然とした、冷たい感じになってしまいます。「いえいえ」にすると、それが少し和らいでくるような気もします。

为什么不说“いえ、そんなことありませんよ”?也不说“いえ、どういたしまして”呢?从语感角度考虑,重复回应听起来确实比较有节奏感。而且,“いえ”只说一遍的话,会给人有点严厉拒绝的感觉,听起来冰冷而坚决,若换成“いえいえ”, 总觉得语气多少会平和些。

「いえ、結構です」の後には「もう二度とこういうことするのはやめてください」が続きそうなのに対して、「いえいえ、結構でございますよ」の後には「どうぞご自由になさってください」が続きそうな、そんな感じです。

“いえ、結構です(不用了,够了)”给人感觉后面会接这样的话,即“もう二度とこういうことするのはやめてください(请不要再有下次了)”,相比之下,“いえいえ、結構でございますよ(不用不用)”则让人觉得后面会接“どうぞご自由になさってください(请您自便)”。

ただ、全ての(あるいは多くの)この手の繰り返し表現が口調を整え印象を和らげるためかと言えば、決してそんなことはありません。冒頭に挙げた「はいはい」もそうです。この繰り返しは全く別のニュアンスをつけ加えます。「はい」だと素直な感じがするのに、「はいはい」にすると急に「うるせえなあ、言われなくても分かってるよ」風になるのが不思議だと思いませんか? 「あ、はいはい」にするともっと舐めた、と言うか、小馬鹿にした語感が出てくるのが面白いと思いませんか?

不过,你要说这种重复表达都是(或者大部分时候是)为了将语调表现的平和而协调,那就错了。文章开头提到的“はいはい”便是如此,它被赋予了完全不同的语感。“はい”给人感觉温顺而听话, “はいはい”则冷不丁地流露出“烦死了,你不说我也知道”的感觉,很不可思议不是么?要是换做“あ、はいはい”,就更透露出轻蔑、或者说是瞧不起的语气了,大家不觉得很有意思么?

それ以外に私がよく耳にするのは、「なるほどなるほど」、「確かに確かに」、「全然全然」、「ほんとにほんとに(ほんまにほんまに)」。これらは特に電話での会話で聞きます。「なるほどなるほど」と「確かに確かに」は繰り返すことによって自分の共感を伝えようとしている感じでしょうか。で、「全然全然」と「ほんとにほんとに」は相手に反論(敵対)する気がないことを念押ししてる感じでしょうか。

除此之外,我还经常听到“なるほどなるほど(哦这样这样)”“確かに確かに(确实确实)”“全然全然(不会不会)”“ほんとにほんとに(ほんまにほんまに)(真的真的)”,这些回应在讲电话的时候尤其会出现。“なるほどなるほど”及“確かに確かに”是说话人想通过重复回应向对方表达自己和他有同感吧。而“全然全然”和“ほんとにほんとに”则应该是强调自己没有反驳对方(和对方作对)的意思。

ほかには「やだやだ」。ちょっと幼稚っぽい表現ですが、これは「嫌だ嫌だ」の転じたもの。ただし、「やだやだ」は強い拒否や拒絶を表すために早口で言い、「嫌だ嫌だ」は独り言で、呆れた感じや厭世観を伴ってゆっくり言うのが合っているように思います。

另外还有“やだやだ(讨厌讨厌啦)”,这种表达显得有些不成熟,由“嫌だ嫌だ”转变而来。只是,“やだやだ”给人感觉适合用较快语速说出口,以表示强烈的否决和抗拒,而“嫌だ嫌だ”则适合自言自语,说时语速缓慢,表情发愣,或伴有厌世情绪。

「まだ」と言わずに「まだまだ」と重ね、「よし」と言わずに「よしよし」とかぶせるのも基本的には強調でしょう。ここまで見てくると、重ねることの最も一般的な効果は強調だと言ってよいでしょう。そうなると、元に戻って「はいはい」が「はい」を単に強調したものではなく、「うるせえなあ」のニュアンスが加わってくるところが、一連の繰り返し表現の中では独特であることに改めて気がつきます。

用“まだまだ”代替“まだ(还、尚)”、“よしよし”代替“よし(好)”一般则是为了强调吧。看到现在,我们可以这么说,“重复表达”产生的最普遍的作用就是“强调”。那么回到开头的话题,我再次意识到,用“はいはい”代替“はい”并非单纯起强调作用,更是加上了“真啰嗦”的语气,这是以上一系列重复表达中比较独特的一种。

ま、でも、考えてみれば、返事なんてものは単純なもので、本来肯定か否定以外のバリエーションはないはずです。なのに、その肯定をわざわざ強調してみせたりすると嫌味な感じが出てくるのも当然かも知れません。「はいはい」の場合も重ねて強調することによって「何遍も言うなよ」というニュアンスが出てきているのは、言うまでもありません。そしてまた、言い方にもよりますよね。だら~っと「はぁいはい」と言うのではなく、甲高く威勢よく「ハイハイッ」と言うと、これはこれで別のニュアンスになってきます。

其实仔细想下,“回应他人的话”本应是很单纯的一件事情,要么肯定要么否定,除此之外别无他选。然而说话人有时候却故做强调,如此一来语气令人不快也属正常,更不用说像“はいはい”这样反复强调会流露出“说多了没意思”这样的语气了。另外也要看说话方式对吧。和拉长语调说“はぁいはい”相比,用尖锐的声音颇有气势地回复“ハイハイッ”则另有一番味道。

さっきから何をあてどのない分析をしているのかと思われるかもしれませんが、単に単語を重ねるという単純な技が、単語と言い方と場面によってこれだけのバリエーションを展開する日本語というものが、あるいはことばというものが、なんか不思議で奥深いもんだなあと改めて思ったのでした。

可能有人会说你分析了这么久到底想表达什么,其实说到现在我再次觉得,光重复单词这么一个简单的事儿,就能因为单词本身、说话方式以及场合不同而产生如此多的变化,日语这东西、或者说语言这东西,真是深奥,让人觉得不可思议。

あんまり書いているとほんとに「はいはい」と言われそうなので、今回はこの辺でやめておきます。バイバイ。

说多了恐怕真的要被读者说“はいはい”了,今天就到这吧。白白。

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