約4年間の世界一周旅行を終え、2017年6月21日に日本に帰国した檜原栄之(ひばら はるゆき)さん。通称「ハルさん」。関西出身、1985年生まれの32歳。

1985年出生于关西,现年32岁的桧原荣之,昵称小荣,用了大约四年的时间环游世界一周,在2017年6月21日回到了日本。

新宿三丁目の麺匠「竹虎」でつけ麺をすすりながら、 「ホンマに日本は飯がうまいな。毎食泣きそうになる」とこぼした。昨年半年間バックパッカーをしていた僕がハルさんと初めて出会ったのは、2016年8月19日。レスリング女子53キロ級決勝で霊長類最強、吉田沙保里が敗れ、五輪4連覇を逃したあの日だった。

小荣在新宿三丁目面匠“竹虎”店,一边吸溜着面条,一边感慨万分地说“日本吃的真是好啊,吃一顿都想哭一次呢”。去年笔者在当背包族的半年里,在2016年8月19日与小荣初次邂逅。正是53公斤级女子摔跤决赛、被称为灵长类最强的吉田沙保里被打败、错过奥运会四连霸的那天。

事前にチケットを購入することができなかった僕は、レスリングが開催される会場の前で、吉田沙保里の歴史的瞬間を目撃するべくダフ屋に声をかけ続けていた。結論を述べるとチケットを手に入れることは叶わなかったのだが、そこでハルさんに出会った。

之前没能买到票的我,在举办摔跤比赛的会场前,被黄牛劝说应该亲眼见证吉田沙保里历史性的瞬间。不过正因为没买票,我才遇到了荣先生。

会場前に広げられたマットの上で、甚平を着て無精髭を生やした男性が、習字パフォーマンスを繰り広げていた。

在会场前铺着的垫子上,一个穿着甚平(和服短外套)、留着络腮胡的男子,正在进行书法表演。

「何してるんですか?」

“你这是干嘛呢?”

「外国人の名前を聞いて、それを漢字に当てはめるんやで。なんなら一緒にやりますか?」

“我在把外国人的姓名,写成谐音汉字。要不要跟我一起做这个?”

数分後には僕もパフォーマンスに参加していた。約2週間の間、僕はハルさんと、一緒にパフォーマンスをしたもう一人とブラジルを3人で旅することになる。4年間に渡る旅の話や、世界一周をしようと思ったきっかけを、改めて聞いてみた。

几分钟后,我也加入了这场表演。在大约两个星期的时间里,我和荣先生以及一起进行表演的另一个人一起去巴西旅行。询问了他四年旅行中的轶事以及想要环游世界的契机。

現在32歳のハルさん。25歳までは海外に興味を持ったこともなかったという。海外に興味を持った最初のきっかけは、スノボーに明け暮れていた頃だった。

现年32岁的荣先生,直到25岁之前都对海外没啥兴趣。最初对海外产生兴趣,还是沉迷于滑雪的那会儿。

赤毛のイギリス人に恋したのだ。

他爱上了一位红头发的英国女子。

白馬のスキー場。2016年時点で担当者に聞いたことがあるのだが、特に人気の高い白馬八方尾根スキー場では、シーズン合計来場者の約20%を外国人スキー客が占めるというから、外国人に会うことはそこまで珍しいことではなかったのかもしれない。

据白马滑雪场的负责人称,2016年时白马八方尾根滑雪场特别受欢迎,当季来玩的游客约20%是外国人,所以邂逅外国人并不是什么稀奇事。

「喋りたくて、喋りたくて。その女の子に恋してからは、スノボそっちのけで英語の復習をして、夜に備えた」

“我那时特别想跟她说话,反而把滑雪扔一边,开始复习起英语来。”

青山学院大学経済学部を卒業したハルさん。「一応大学入試まで英語を勉強したし、大学入学以降全く勉強していなかったが、少しは喋れると思ってたんよ」と楽観的だった。

曾毕业于青山学院大学经济学部的荣先生,一度乐观地想“不管怎么说,考入大学之前还是学过英语的,虽然进了大学就完全没再碰过,但总归会说两句吧。”

いざ夜を迎え、赤毛の女の子たち(オーストラリア人の女の子と共に来ていた)の部屋に、友人と突入した。

夜幕降临,我和朋友一起去了红头发的女孩子们(她和澳大利亚的女孩子一起)的房间。

「そしたら、ホンマ喋れなかった。『少しは英語できるよ』と女の子に伝えていたから、『コイツ実は全然喋れんやん』と笑われた。ショックやって、それが英語を勉強しようと思ったきっかけやったな」

“然而却一句话也说不出来。本来已经和女孩说了‘会说点儿英语’,结果‘完全不会说’而被嘲笑了。我深受打击,便决定要好好学习英语。”

その後、ハルさんは東南アジアを旅行。そこで世界一周をしている大学生に出会う。そこで、「なんや、世界一周って大学生でもやってる奴おるんや。今まで世界一周なんて別世界の住人がやる事やと思ってたけど、俺みたいな凡人にもできるかもしれない。やってみたい」と感じたという。次にしたことは世界一周のための資金を貯めることだった。

之后,荣先生去东南亚旅行。在那里,他遇到了环游世界一周的大学生。那时他感到“什么呀,连大学生也能环游世界一周。虽然我之前觉得环游世界一周的人都不是凡人,但也许像我这样的凡人也是可以做到的。我想试试。”那么我接着该做的,就是为环游世界存钱。

2年で600万貯める

两年里存了600万日元

資金を貯める手段のメインだったのは、「Apple Store」で販売員として働いたことだ。

存钱的主要方式,是在”Apple Store“当销售员。

就活をする受験者にとって「説明会」=「一次試験」というのは常識だが、ハルさんは私服で出かけた。本気でただの「説明会」だと思っていたのだ。周りはスーツを着こなした、販売員経験のある人ばかり。その中で、ハルさんと謎のベネズエラ人だけが私服で面接を受けた。相手がAppleだけに、この時だけはハルさんの常識の無さが良い方向に流れた。これが何ともAppleらしい。実際にそれで合格したのだから。ちなみにベネズエラ人の姿をそれ以降見ることはなかった。

对于在进行就业活动的人来说,“说明会”=“第一次考试”这是一种常识,但荣先生穿着便服就去了。他真的觉得那只是一场“说明会”,结果看到周围一圈全是西装笔挺且有销售经验的人。只有荣先生和充满谜团的委内瑞拉人穿着便服接受了面试。因为雇主是Apple,把荣先生的无常识当作了优势,觉得挺有Apple范儿的,反而被录用了。顺便说一下,委内瑞拉人的身影之后不曾见到。

Apple Storeの仕事、パチンコ屋の仕事、ホテルのフロント、水商売のキャッチ…。やれることは何でもやった。2日間丸々働いて、1日丸々寝るといった生活だった。2年間泥のように働き、600万円を貯めた。

无论是Apple Store的工作,还是小钢珠店的服务生、酒店的前台、为风俗店招揽生意,他什么都干。曾有过工作整整两天,再睡一整天的生活,就这样过了两年不见天日的日子,他存够了600万日元。

長い長い4年間の世界一周。アメリカやカナダでは、ワーキングホリデービザを取得しながら、住むように旅をしたこともあった。

在这漫长的四年里,荣先生环游世界一周。在美国和加拿大,他还取得了Working Holiday签证,边打工边度假。

「アラスカ→カナダ→アメリカ→メキシコ→ベネズエラ→ブラジル→パラグアイ→アルゼンチン→チリ→パタゴニア→イースター島→ボリビア→ペルー→コロンビア→スペイン→フランス→イギリス→ベルギー→オランダ→ドイツ→オーストリア→ハンガリー→クロアチア→イタリア→スイス→イスラエル→パレスチナ自治区→トルコ→エジプト→カタール→エチオピア→ケニア→タンザニア→ザンビア→ジンバブエ→ボツワナ→ナミビア→南アフリカ→アラブ首長国連邦(ドバイ)→イラン→ネパール→タイ→オーストラリア→日本」というルート。

环游世界的路线是“阿拉斯加→加拿大→美国→墨西哥→委内瑞拉→巴西→巴拉圭→阿根廷→智利→巴塔哥尼亚→复活节岛→玻利维亚→秘鲁→哥伦比亚→西班牙→法国→英国→比利时→荷兰→德国→奥地利→匈牙利→克罗地亚→意大利→瑞士→以色列→巴勒斯坦自治区→土耳其→埃及→卡塔尔→埃塞俄比亚→肯尼亚→坦桑尼亚→赞比亚→津巴布韦→博茨瓦纳→纳米比亚→南非→阿拉伯联合酋长国(迪拜)→伊朗→尼泊尔→泰国→澳大利亚→日本”。

色々なことがあった。

一路遭遇过各种各样的事情。

「ハワイで骨は折れ、チリでガス中毒で死にかけ、メキシコではジカウイルスにやられ、南アフリカで強盗に遭い、イスラエルで拘束され、ヨーロッパ、中東では毎日テロに怯え、ペルーとブラジルのアマゾンのジャングルで謎の虫に刺され、アフリカのバス移動ではいつも山賊(武装強盗によるバスジャック)に襲われないよう祈り…」

“我在夏威夷骨折过,在智利燃气中毒命悬一线,在墨西哥中了小鹿病毒,在南非遭到抢劫,在以色列被囚禁,在欧洲和中东的每一天都为恐怖份子战战兢兢,在秘鲁和巴西的亚马逊丛林被不知名的虫子咬伤,在非洲乘坐巴士时,时时刻刻祈祷着不要遇到山里的强盗……”

語りつくせないことばかりだ。

无法言尽。

チリで瀕死

在智利濒临死亡

ハルさんがこの旅を振り返って、多くの人に伝えたいと思っているのは「できることはできるうちにやらないとアカン。後からできると思っているのは甘い」という教訓だ。

荣先生回顾这次旅行,想要传递给更多人的教训是“趁着还能干点什么,就赶紧去做。要是想着以后也能做,就太天真了。”

それを最も肌で感じたのは、前述した「チリで死にかけ」た時だった。

我最初切身感受到这一点,是前文提到的“在智利命悬一线”的时候。

チリの宿で、ハルさんは一酸化炭素中毒により病院に緊急搬送された。発見された当時、ハルさんは「全裸で、目を見開いたまま、意識がなく、口から何かを吐いていて、便器に倒れこむように座っている」めちゃくちゃな状態だったという。

在智利的下塌处,荣先生因一氧化碳中毒被紧急送去医院。被发现时,荣先生“全裸倒在马桶上,眼睛睁着,完全失去意识,口吐白沫”已经是垂危的状态。

宿泊してた宿のシャワーが壊れたため、臨時で設置されたシャワー室でシャワーを浴びていたハルさん。ところが、その臨時シャワー室はガス式で、ガスヒーター、ガスボンベが部屋の中に設置されており、ガスが外に逃げる排気口等もなく、部屋は密閉状態だったのだ。部屋がこんな状態になっているとはつゆ知らず、ハルさんはシャワー中に意識を失い、およそ1時間もの間その状態で生死をさまよったという。

因为所住房间的淋浴坏了,荣先生就在临时安排的淋浴房里洗澡。而临时的淋浴房是燃气制式的,在房间里放着燃气炉、燃气罐,却没有排气管,房间成了密闭状态。荣先生并不知道房间是这样的情况,在洗澡中失去意识,大约有一个小时左右处于徘徊在生死边缘的状态。

いつまでたっても風呂から出てこないハルさんを不審に思った宿のオーナーと、旅仲間がドアを壊して中に入り、一命をとりとめた。

酒店老板看荣先生很久了也没从浴室出来,觉得很疑惑,便同酒店的朋友一起撞开了门,这才救了荣先生。

救急車が来る15分の間、ハルさんは意識がないのに目を見開いたまま。脚はすでに硬直状態にあり、宿のオーナーは「最悪の事態か、助かっても植物人間状態になることを覚悟していた」そうだ。

在救护车到来的15分钟里,荣先生一直处于无意识睁着眼睛的状态,脚部已经僵直,酒店老板已经做了最坏的打算“就算救活了,也是植物人”。

意識を失っていて、何も事態を把握できていなかったハルさん。意識を取り戻した時、目の前にあるのはなぜか病院の天井。「よかった、本当によかった」と泣き叫ぶオーナー。酸素マスクをつけたまま、「どういうこと?」と疑問符が脳内を飛び交った。

失去意识、无法把控任何事情的荣先生,在恢复意识睁开眼睛之时,看到的是医院的天花板。酒店老板哭叫着“太好了,真是太好了”。而他则戴着氧气面罩,满脑子问号地询问“发生了什么?”

後から自分の身に起こったことを聞かされたハルさんは、自分が死にかけていた事に気付き、心底震え上がった。泣いた。怖くて寝られなくなった。旅をやめたくなった。

之后,荣先生听说了自己经历的事情,对自己命悬一线之事后怕不已。他哭了,害怕得睡不着觉,甚至想要放弃旅行。

入院しながら、だんだん動くようになる手足。天井ばかりをずっと見ていた。退院後、目に飛び込んだ夕日のあまりの美しさに、涙した。

住院时,他的手脚渐渐可以动弹了,却只是一味地盯着天花板。出院后,映入眼帘的夕阳之美,令他潸然泪下。

俺、ホンマに生きてるんやなーって。

我,真的死而复生了。

「ただの夕日やけどな、俺にとっては世界一キレイな夕日やった。『生きている』って、嬉しいことなんやな。まだまだ何でもできる。死んだらノーチャンスや。生きていれば何でもできるんや。生きているって素晴らしいんやな。できることはできる時にやらなアカン。後からできるって言うのは幻想や」

“不过是夕阳残照,对我来说却是世界上最美的风景。活着,就是一件令人欣喜的事情。还能做很多事。如果死了,就没机会了。活着就什么都有可能,活着真是太好了。趁着还能做什么的时候,就赶紧去做。别幻想着以后还有机会。”

「自分がおじいちゃんやおばあちゃんになるまで生きてるとみんな勝手に思い込んでいるけど、そうじゃないかもしれない。自分の死期だけは誰にもわかりっこない。それは50年後かもしれないし、10年後かもしれないし、明日かもしれん。チリでの俺のように。死ななかったけどな。でもだからこそ、俺は自分が本当にやりたい事やろうと思った。自分が既に何歳だろうが、人にどう思われようが、言いたい事言って、自分が本当にやりたい事やって、友達と遊んで。自分らしく生きるために。自分が自分であるために」

“大家都觉得自己能活到老爷爷老奶奶的年纪,却可能无法如愿。谁都无法预测自己的死期。可能是50年后,可能是10年后,也可能,就在明天。就像我在智利经历的那样,虽然没死成。但正因为如此,我才想要做自己真正想做的事情。自己已经几岁了,人们会怎么看我,这些都无所谓,说自己想说的话,做自己真正想做的事,和朋友们一起游历。我就是我,我的人生要自己主宰。”

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

人生は選択の積み重ねだ。僕自身、ブラジルのフォス・ド・イグアスで、ハルさんたちとチリに行くか、ボリビアに向かうかものすごく迷った。結局ボリビアに行くことを選択したものの、もしチリを選択していて、シャワーを浴びる順序が変わっていたら意識を失っていたのは僕だったかもしれない。ブラジルを共に旅していた時は、同じ宿に泊まり、交互に同じシャワーを浴びていたのだから。

人生的选择总是会出现重叠。在巴西的伊瓜苏时,我自己在和荣先生他们一起去智利还是去玻利维亚犹豫不决。虽然最终我选择了去玻利维亚,可如果我选择了去智利,那么在排队淋浴时失去意识的,就可能是我了。因为我们在巴西旅行住在一起时,都是排队淋浴的。

できることは、生きているうちにやれるだけやっておこうと、僕自身もハルさんの話を聞いて改めて思った。

能做的,就是趁还活着时,赶紧去做吧。这是我听了荣先生的话,再次深刻感受到的。

翻译为沪江日语原创,未经授权禁止转载。

相关阅读推荐:

不结婚不生子:30岁前的环球之旅

世界上最喜欢独自旅行的是日本人?!