どの民族も、宴会を巡る文化というものを持っているものだ。宴会を催すには、目的とする行事があり、酒食の体系があり、そして宴会のしきたりとしての儀礼がある。日本もまた例外ではない。日本人は古来、宴会を「うたげ」と称し、節々の行事に合わせてとりおこなってきた。

不管是哪个民族,都有自己的宴会文化。举办的宴会中会有目的性的仪式、酒食的体系、还有作为宴会常规的礼仪。日本也不例外。日本人自古以来就称宴会为「うたげ」,把各种仪式合在一起举行。

行事の中心をなしたのは、正月や節句などの節会や、先祖の霊を迎えての神事であった。そこで日本人は、直会と呼ばれる神人共食の儀礼や、食事の体系を作り上げてきた。その食事の体系が「本膳料理 」とよばれるものである。この料理は、宴会の儀礼や進行と深くかかわりあっており、単に料理の形式にとどまらない文化的な色彩を帯びている。

构成仪式中心的有,新年和节日等的节宴、招待祖先之灵的神事。因此,日本人构造了一个名为“直会”的神和人共餐的礼仪和饮食体系。这个饮食体系就是「本膳料理」。这个料理与宴会的礼仪和进程有这很大的关系,并带着不局限于料理形式的文化色彩。

本膳という言葉は南北朝時代まで遡るようだが、それが「本膳料理」という形で完成したのは室町時代後期と思われる。本膳と呼ばれる膳を中心として、三、五、あるいは七膳、場合によっては十以上もの膳に料理を並べて饗応する形式のものである。日本の食事の様式は、伝統的に銘々膳とよばれる個人ごとの膳で食事をとるというものであり、その伝統が「本膳料理」というものに結実した形である。

一般认为,本膳这个词似乎可以追溯到南北朝时代(镰仓时代和室町时代中间的分裂时期),但形成「本膳料理」这种形式是在室町时代的后期。它是一种以本膳中的膳为中心,摆放三、五、或是七膳,有时还会是十膳以上的料理来设宴招待的形式。日本饮食的方式,传统上是 “銘々膳“这样一道道菜吃,这种传统的方式是“本膳料理”影响的结果。

室町時代は主従の結びつきを重んじた時代であったから、本膳料理は主君を供応するためのものとして発達した。主君を家に招くことを「御成」という。そこで家の主人は、本膳料理を中心として、式三献、本膳、そして本膳のあとの酒宴といった具合に供応にあい勤めた。供応は身分の高いものを迎えるときには夜を徹して行われ、その間に猿楽 などの芸能を楽しむこともあった。

因为室町时代是一个重视主仆关系的时代,本膳料理是为了款待主君而逐渐发展起来的。邀请主君来家里做客被称为「御成」,那么这家的主人就会以本膳料理为中心,用式三献、本膳、还有本膳之后的酒宴来进行款待。款待身份比较高的人时还会通宵,并在那期间欣赏猿乐等表演。

本膳による食事が終ると、次は本格的な酒宴が始まる。酒宴の席にも当然膳が運ばれた。これは式三献の延長として、四献から始められ、体力の持つ限り延々と続けられる。主君にしても、家の主人にしても、忍耐のいる事柄だったらしいのである。

本膳结束之后会开始正式的酒宴。在酒席中当然也会送上菜。这作为式三献的延续,从四献开始,在身体能够承受的范围之内不断继续。不管是主君,还是家里的主人,都是需要忍耐的。

酒宴の間には猿楽などが演じられ、余興が加わったのでもあろう。

有时在酒宴期间还会有猿乐等节目来增加兴致。

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