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■上下関係や親密さによって異なる二つの態度

印象:礼儀正しく優しい日本人
現実:冷酷で不寛容な日本人

上下、远近两种态度:

印象中有礼热情的日本人
现实里冷酷不宽容的日本人

東京駅から北に向かって電車で30分程行くと、埼玉県浦和市(現さいたま市)に到着する。30年前、この地で留学を始めた頃、日本語学校で中国人留学生のために日本語を教えていたことがある。

从东京车站向北乘车30分钟左右,便到了埼玉县的浦和市(现在的埼玉市)。30年前刚到这里留学的时候,我曾在一所日语学校里为中国留学生教日语。

かつて浦和市の駅前にあったこの日本語学校は現在すでになくなっている。ここで私は中日両国の違い、そして抱いていた日本の印象現実の日本がまるで異なることを思い知らされたのだ。

现在的浦和市车站前已经没有了往日的日语学校。也是在这里,我感受到了中日两国的差异,知道印象中的日本和真实的日本其实是截然不同的。

浦和日本語学校には一人の女性教師がいた。教師の名前はもう思い出せないが、職員室で激しい剣幕とどこか見下したような口調で私を叱責したこの女性教師の声が今でも脳裏にこびりついて、長い間忘れることができなかった。

浦和日语学校中有一个女教师,她的姓名我已经记不起来了,但她厉声厉色,带着某种羞辱我的语气,在教员休息室斥责我的声音如今依旧在畔,多年来不能忘却。

この女性教師は私より少し年上で、長く日本語を教えており、学校では比較的経験豊かな教師であると同時に、若干人に威圧感を与えるベテラン教師でもあった。あの頃、この教師は30代で未婚だった。清潔感があり、有能だったこの教師に初めて会った時、一番上の姉に似ていたこともあって、好感を持った。

那位女教师比我大一些,从事日语教学多年,算是学校中比较有教学经验,也很有几分威望的老教师了。那时她三十多岁,未婚。整洁、干练、我第一次见到她的时候,觉得她像个大姐姐,对她有种好感。

中国で多くの日本人と接した時と同様、私の中には上下関係や親密度による関係の違いというものが存在していなかった。この教師は正式な教師であり、私はただの留学生で日本語学校の代理教師だった。しかし、私は自分自身を正式な教師として考えており、ある意味平等な態度で日本人教師とつきあっていた。

和我在中国时与很多日本人接触时一样,我心目中并没有上下远近之分,虽然她是正式教员,我只是个留学生、日语学校的代课老师,但我自己把自己归入正式教师中去了,以一种平等的态度和日本教师交往。

日本に留学してから知ったのだが、80年代初めに中国に来ることができた日本人、特に私が中国で出会った人々の大部分は、少なくともテレビの中で見るような日本のエリートだった。中国では通常、このようなエリートとも平等に付き合ってきたので、日本語学校の教師たちと一緒にいる時はなおさら、社会的地位の差など意識していなかった。

到日本留学后我才知道,80年代初能来中国的日本人,尤其是我见过的,大多是日本的精英,至少能经常从电视中见到他们。平时我和这些名流都是平等相处,与日语学校的教师们在一起,就更没有在内心中比较彼此的高低了。

普段話す言葉の中に無意識にこういった態度が現れていたのだろう。ある時、この女性教師が私に対して非常に不満を感じていることに気付いた。この教師は、代理教師が職員室にいる時は、正式な教師より下の立場としてふるまわなければならないという考えを持っていた。しかし、私はその頃20代と若く、こういった配慮に欠けていた。徐々にこの教師の私を見る目がとても冷たいことに気付き出し、この教師との間に距離を置かざるを得なかった。

大概语言中不经意地流露出了这种态度,我发觉那位女老师很不满意。在她眼中,代课教师应该在休息室里的时候,比正式在职的教师低人一等,但我那时二十多岁,尚年轻不懂这些。渐渐地觉出她的眼光看我时是那么的冰冷,让我不得不和她之间拉开了距离。

「日本茶はお湯に直接浸したら駄目なの。誰が急須にお茶の葉を入れたの?」。私が急須に直接お茶の葉を入れたのを見たこの教師は、非常に大きな声をあげて詰問し、私が中国から来たばかりで、お茶の入れ方さえ知らない代理教師であることを意識させ、他の二十数人もの教師たちの前で私に屈辱を与えた。私は、お茶を入れたのは自分であり、日本茶を直接お湯に浸してはならないと知らなかったことを認めると、この教師は「こんな常識もないなんて、日本のことどれだけ知っているの?」と更に屈辱的な言葉を口にした。

“日本茶是不能泡的!谁用茶壶泡茶了?”她看到我用茶壶泡日本茶以后,用极高的声音,大声询问,有意让我这个刚从中国过来,连泡茶礼节都不明了的代课教师在二十多名教师面前“获得”羞辱。我承认是自己泡的,表示不知道日本茶并不能泡着喝。“连这点常识都没有,懂日本吗?”她的羞辱更加深了一层。

意識的に辱められたこの時から間もなくして私は日本語学校を辞めた。後になって私の中で常にある考えが浮かんで離れなくなった。かつて中国で出会った、或いはテレビで見る日本人は皆礼儀正しく、親切で、配慮があったのに、なぜ日本に来ると、周囲の日本人の態度が突如横暴理屈が通用しない、冷淡で非情なものに変わったのだろうか?

自从有了那次刻意的羞辱后,我未在日语学校长久待下去。后来我总在想,为什么往日在中国见到的、在电视银幕上看到的日本人都是那么彬彬有礼,热情周到,到了日本忽然周围的日本人蛮横无理、冷酷无情了呢?

地位や年齢が低く、知識も不足している新参者にとって、日本の社会は寛容さやおおらかさに欠けている。この社会では、あらゆる人は属するそれぞれの団体の中で序列化されている。それは、時に年齢、時に社会的地位によって序列化され、平等さを欠いている。そして、この平等が脅かされる時、不寛容さは冷淡な方法や凄まじい圧力となって、人々を抑圧し息苦しくさせる。

对地位低、年龄小、知识少的后来者,日本社会缺少了一种宽容、阔达。这个社会要让所有人有序地排成各种各样的队伍。有时是按出生先后,有时按地位高低,缺少了平等。当这种平等受到挑战时,不宽容便会以一种刻薄的方式,以泰山压顶之势压过来,压得人喘不过气。

あの時、私は日本語教師になって間もなくしてすぐ日本留学に来たため、あまり日本語がしゃべれない学生とほぼ同じような感覚だった。日本の上司や同僚は、それぞれがまるで狼や虎、或は牛魔王や蛇神と同じような恐ろしい存在だった。職員室で私が遭遇したのと同様に、留学生たちもアルバイトの身分で正式社員と同じような平等を求めれば日本社会では徹底的に打ちのめされるだろう。この日本社会を理解しなかったことで感じた冷たさは、その後も皮膚感覚として記憶され、長く忘れることができなかった。

我那时教过的刚刚来留学、还不懂日语的学生,大都有同样的感觉,说起日本的上司、同事,觉得各个狼牙虎爪,牛鬼蛇神一般。大概和我在教员休息室的遭遇一样,他们以一个打工者的身份谋求和正式职员一样的心里上的平等时,被日本社会打得落花流水。对这个社会的不理解、感受到的寒冷,以后便一直记忆在皮肤里,久久不能忘却。