「におい」。日本語では、快く受け入れられる「におい」であるならば「匂い」と書き、受け入れ難いものである場合は「臭い」と書きます。その他、受け取る側の「におい」との対応のあり方によっては、同じ語が「香(かお)り」、「薫(かお)り」などと表記され、ニュアンスが異なることになります。

在日语中,“におい”这个词在表示能愉快接受的“におい”时写作“匂い”,难以接受的写作“臭い”。另外,根据接受方对“味道”的反馈形式,同一个词也会写成“香(かお)り”或“薫(かお)り”,其语感会有不同。

また、たとえば「香」というような文字を例にとりますと、「このお茶は香(こう)ばしい」、「この花は香気(こうき)が強い」、「この果物は香味(こうみ)に乏しい」、「熱帯の花は芳香(ほうこう)を放つ」などなど、合成語が続々と出てきます。同様に、「臭」という文字をとれば、「魚の臭み」、「ニンニクの臭味」、「ごみ捨て場の臭気」、「腐った魚が異臭を放つ」、「何とも言えない悪臭が鼻を突く」、「この部屋には、かすかに余臭(よしゅう)が漂う」、「あの人は体臭が強い」、「タバコの口臭が嫌いだ」、「酒臭い息を吹きかける」、「この野菜は青臭い」、「川魚は泥臭い」などなど、その例は実に多くなります。さらに、「匂い」「臭い」とは別の語を用いて「馥郁(ふくいく)たる梅の香り」とか「果実の芳烈(ほうれつ)な香り」と表現したり、「ツンとした」、「つんつんくる」、「ぷんとする」、「ぷんぷんする」、「甘ったるい」などという語を足して表現すれば、日本語に見られる「におい」を表現する単語の豊富さには、今更ながら驚かされます。

另外,比如以“香”字为例,会有很多合成词,比如“このお茶は香(こう)ばしい(这杯茶真香)”、“この花は香気(こうき)が強い(这朵花真香)”、“この果物は香味(こうみ)に乏しい(这个水果缺乏果香)”、“熱帯の花は芳香(ほうこう)を放つ(热带花吐芳香)”等等。同样的,举“臭”字为例,实际上也很多,比如“魚の臭み(鱼臭味)”、“ニンニクの臭味(蒜臭味)”、“ごみ捨て場の臭気(垃圾场的臭气)”、“腐った魚が異臭を放つ(腐烂的鱼释放出恶臭)”、“何とも言えない悪臭が鼻を突く(无法言喻的恶臭冲鼻)”、“この部屋には、かすかに余臭(よしゅう)が漂う(这间屋子飘着些微余臭)”、“あの人は体臭が強い(那个人体臭味很浓)”、“タバコの口臭が嫌いだ(我讨厌抽烟的口臭)”、“酒臭い息を吹きかける(哈出一口酒臭味)”、“この野菜は青臭い(这菜有草臭味)”、“川魚は泥臭い(河鱼有泥臭味)”等等。此外,也有用“匂い”、“臭い”之外的词语来表达的,比如“馥郁(ふくいく)たる梅の香り(馥郁的梅香)”、“果実の芳烈(ほうれつ)な香り(果实的芳醇香味)”,如果能再加上“ツンとした(强烈)”、“つんつんくる(冲鼻)”、“ぷんとする(馥郁的香味)”、“ぷんぷんする(冲鼻)”、“甘ったるい(香甜)”等词语,日语里所见的表达“におい”词汇之丰富,事到如今仍让人惊讶。

和食と洋食やインド、アラブの料理との違いは、「におい」に関しても明確に現れます。日本料理は基本的には素材重視です。素材そのものが持っている香りか、そうでなければある素材と別の素材との組み合わせが醸し出す香りを大切にします。

和式、西洋式、印度式和阿拉伯料理的区别也在“におい(味道)”上明确表现出来。日本料理基本上是重视素材,要么非常重视食材本身的原香,要么重视食材之间组合所酝酿出的香味。

他方、ヨーロッパ、アラブ、インドなどでは、香辛料(スパイス)を使って素材の味を変化させることに関心が向けられています。香辛料は、素材が持つ嫌な「におい」を取り除きます。また、ある種の香辛料は素材に一味加えることで、素材本来の味を一層引き立てます。場合によっては、人々が好みそうな別の味に素材を変化させてしまうことに関心が向けられています。

另一方面,在欧洲、阿拉伯和印度等地,人们则关注使用香辛料来改变食材的味道。香辛料能去除食材所带有的不好“味道”。另外,某些香辛料如果加入到食材里面,能进一步提升食材原本的味道。有时候人们会把注意力放到用变换食材来制作可能喜欢的其他味道。

インド料理やスペイン料理が香辛料の上塗りで出来ているので、わたしはそれらを“厚化粧料理”などと表現することがありますが、それは決して悪い意味で言っているのではありません。食べ物は、出来上がりが評価の出発点となるのです。完成品に至るまでの過程が二の次であるのは、熟していない状態を対象にして果物の評価をするようなものだと思うからです。

印度菜和西班牙菜成品是用香辛料包裹的,我有时会称其为“浓妆料理”,但这绝无贬低的意思在里面。食物刚出锅时是评判的原点,而烹调过程则是次要的,否则这就像是用未成熟的水果为对象来评价一样。

食べ物との関係で、ほとんどの日本人が身近に感じる、または身に染み付いてしまっている「におい」を代表するものとしては、味噌、たくあん、魚、地域差がありますが納豆、などです。

在与食物的关系中,几乎所有日本人都能切身感受、或者已经深入骨髓的“味道”,其代表性的有味噌、腌萝卜、鱼和有地域性差别的纳豆等。

美味しそうな「匂い」を出して人を引き付けるという例も様々あります。路上には、季節によって品物が変わる屋台が顔を出します。焼きトウモロコシ屋、焼き芋屋、焼き甘栗屋、おでん屋などなど、こうした店に置かれる食べ物の「におい」は、それが届く範囲は限られています。その狭い領域内を通過する路上の人々は、その「におい」に、ふと引き寄せられます。そして「におい」に釣られ、食欲を押さえ切れず、思わず買い求めてしまうということになるのです。それは、「におい」という網を張った蜘蛛を思わせます。

释放出闻着很香的“味道”来吸引人,这样的例子也有很多。路上有着随季节而变换品种的饮食摊,比如烤玉米店、烤番薯店、炒栗子店、关东煮店等等,这些店摆出的食物“味道”有其能传播的范围限制。经过这一狭小领域的路人则会被其“味道”吸引,先是被“味道”钓过来,然后忍不住食欲,不由得去买。这让人想起布下“におい(香味)”这一罗网的蜘蛛。

現在、残念に思えるのは、より良い「味」や、より良い「におい」というものを、時代の流行に合わせる、流行を先取りするという方向のみに関心を向けて、人工的な化学「味」、化学「におい」を作り出すことに、大量生産をする側が力を入れ過ぎていることです。

现在,让人觉得遗憾的是,为了做出更好的“味”和更好的“香”而盲目追随时代潮流,只把心思放在抢先流行方面,过度着力去搞大量生产,制造出人工的化学“味”、化学“香”。

より良い味や「におい」がするものを作り出すということでは、問題となる点は一切ありません。気になるのは、マスメディアなどの言葉に流されている人々の嗜好に少しでも反するような物があれば、それをこの世から消し去るという努力を強力に行っているということです。

在烹调出口感和“味道”更佳的食物这一点上,没有任何问题。可让人在意的是,只要有与媒体导向的大众嗜好稍有偏离的,就要强行将之从世上抹除。

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