京都の家を訪問し、帰り際に「そろそろ失礼します」と言うと家人から「お茶漬け一杯ぐらい食べていってください」と言われ、そのとおりに食べて帰ったら「図々しい」などと陰口をたたく京都人を皮肉に表現している「京のお茶漬け」ですが、本当は「私はあなたとまだお話していたい」という意味であり、そう思うほど楽しい時間を過ごせて良かったという親愛の情を表現した言葉なのです。

去拜访京都的日本人家里时,说着“差不多该告辞了”要走的时候,对方会说“请用一碗茶泡饭吧”,如果真的顺着他们的话吃了茶泡饭再走就会被人家在背地里说是厚脸皮,这就是带有讽刺京都人意味的“京都茶泡饭”,但实际上这句话有着“我还想跟你说说话”的意思,度过了一段愉快得还想再一起待一会儿的美好时光,是表达亲切感情的句子。

「失礼します」という言葉に対して「そうですか」と答えるのが普通かもしれませんが、それではあまりにも味気ないと感じられませんか?

在听到“告辞了”这样的话以后回答“是嘛”会太过普通,多少会让气氛变得有些尴尬。

有名なこの「京のお茶漬け」というのは、会話の一つの流れであり、せっかくの和やかな雰囲気を断ち切らないように余韻を持ってお別れするためのもので、お客様を不愉快な気持ちにさせずお帰りいただくための心温まる言葉なのです。

这有名的“京都茶泡饭”作为对话的一种形式,是在不破坏难得和谐的谈话气氛,保留一些余韵的前提下来分别,在送客的时候为了让客人不会感到不愉快而说的有暖意的话。

でもどうして茶漬け?木村恭造さん(76)は「茶漬けは簡単で安易な料理の代名詞。『おもてなししない』、つまり『はよ帰れ』という意味につながったのではないか」と言う。

但为什么是茶泡饭呢?木村恭造(76)说:“茶泡饭是简单方便食物的代名词。让人联想到‘不招待了’、‘您差不多可以回去了’这样的意思。”

いつの間にか言葉が一人歩きしてしまったのでしょう。

不知不觉中,语言渐渐脱离了自己原本的意思而存在。

よほど無礼な人にはそういう意味で使うことがあるかもしれませんが、実際にはそのような悪意を持って使われることは決してありません。

各别很无礼的人另当别论,实际上大多数人在这么说的时候都并没有恶意。

家人がそう言って本当にお茶漬けを準備されていることもあり、そのお茶漬けを有難く頂いて帰るのがお作法の場合もあるのです。

如果是家人这么说的话,也许真的是在准备茶泡饭,吃了这碗茶泡饭再回去是正确的礼数的场合也有。

心にもないことを平気で言う京都人の“いやらしさ”や“いけずなところ”や“二面性”など悪いイメージだけが広まってしまいましたが、この言葉は京都人の奥床しさの代名詞ではないでしょうか?

心里明明没有这种想法而嘴上又这么说的京都人常常给人一种双面性的讨厌印象,但是这语言不也是京都人文雅品质的代名词吗?

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