もともとは南蛮料理
天ぷらは日本古来の料理ではなく、今から約400年前(16世紀の中頃)鉄砲の伝来とともにポルトガルから長崎に伝わった南蛮料理です。当時の日本では油は灯火用の大変貴重なものだったため、調理に大量の油を使用する天ぷらは高級品として扱われていました。江戸時代に入り油の生産が増えた事によって、天ぷらは次第に庶民の大衆料理として広まっていきました。はじめは立ち食い屋台で、おかずと言うよりは間食のような感覚食べられていたようです。天ぷら料理の専門店や料亭が出現しはじめたのは明治以降の事です。

原本是南蛮料理
天妇罗不是日本自古以来就有的,是距今大约400年前(16世纪中期)与铁炮一同从葡萄牙传入长崎的南蛮料理。当时的日本油是用来照明的,非常贵重。因此,需要用大量的油烹制的天妇罗在当时是高级料理。进入江户时代后,油的产量大增,天妇罗也渐渐作为平民料理推广开来。开始是在小摊前站着吃的食物,相比菜肴来说,称为零食更为贴切。专营天妇罗的店铺和料亭的出现是明治以后的事情。

天ぷらが死因!?
徳川家康は天ぷらを食べ過ぎて死んだ!?という説があります。
1616年、駿府(現在の静岡県)で暮らしていた家康のもとへ、当時大変珍しかった天ぷらが献上されました。家康は天ぷらをとても気に入り一気に食べ、その後具合が悪くなり亡くなってしまったといわれています。この当時はまだ油が大変貴重な時代だったので、家康と言えども油料理を食べる事はめったにありませんでした。普段油料理を食べ慣れていなかったため消化不良を起こした事や当時73才という高年齢だった事などが原因だと考えられていますが、確かな事は分かっていません。

天妇罗是死因?!
德川家康因过食天妇罗而死!?有这么种说法。
1616年,当时非常少见的天妇罗被进献至骏府(现在的静冈县)的家康宅邸。据说家康特别喜欢天妇罗而一口气吃了很多,之后身体状况变差而亡。当时还是油很贵重的时期,即便对于家康而言也很少吃油做的料理。有人认为平时不太吃油性食物引起的消化不良和当时73岁的高龄是事情的起因,事实如何也无从考证。

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