デート経験なし4割は衝撃なのか?

惊人吗?四成男性约会经验为零

内閣府が6月14日に公表した「令和4年版男女共同参画白書」が、テレビでもネットでも大きな話題となった。とりわけ「20代男性の約4割はデートの経験がない」という調査結果に関しては、ツイッターでも「デート経験なし」がトレンド入りするほどだった。

日本内阁府6月14日公开的“令和4年版男女共同参画白书”在电视和网络上都引发了人们的热议。尤其是其中“约四成20代男性没有约会经历”的调查结果引发了热烈讨论,甚至在推特上还出现了“约会经历为零”的热搜。

案の定、テレビではだいたいどの局も、「信じられない。頑張ればいいのに」「男が頼りないなと思ってしまう。度胸がないのか?」などという40代、50代の中高年男性の街角インタビューの映像などを流し、コメンテーターからは「恋愛以外の選択肢が増えた」「コミュニケーションの取り方がわからない男子が増えた」などの意見が出る。野田聖子・男女共同参画担当大臣も「ネットなど、自分だけでも過ごせる多様なツールが増えてきたこともある」などと語っている。

毫不意外的是,对于这一结果,大多数电视台中都播放着四五十岁中年男性的街头采访,他们面对镜头纷纷感叹“难以置信,明明再努努力就能做到”“这样会让人觉得男人靠不住的。男子气魄去哪儿了?”。评论家也给出了“恋爱之外的选项越来越多了”“越来越多的男性不知道该如何与人交流”等意见。男女共同参画担当大臣野田圣子也说:“这也和现代社会中自己也能很好地生活的工具不断增多有关系,比如网络”。

まるで、これが令和の若者の意志や選択、行動のせいで起きてしまった現象であるかのように。

这一切仿佛都在说,是令和年代年轻人的想法、选择和行动导致了这一现象。

しかし、何度も私が説明しているが、これは「今に始まったことではない、以上」で終わりの話なのである。

然而,笔者也说过很多次,“这一切并不是现在才开始的”。

恋愛強者3割の法則

恋爱强者占三成法则

令和の若者であろうと、平成や昭和の若者であろうと、彼氏・彼女がいるとか恋愛をしているという割合は大体30%程度で変わらない。少なくとも、国の基幹統計のある1980年代から約40年近く変わっていないことは事実である。

无论是令和年代的年轻人,还是平成昭和年代的年轻人,有恋人,保持着恋爱关系的人群大致比重一直都保持在30%左右。至少从二十世纪八十年代国家基础统计开始起的将近40年间一直没有太大的变化。

それが「恋愛強者3割の法則」と私が名付けているものである。

笔者命名这一现象为“恋爱强者占三成法则”。

しかし、いくらそういうファクトをエビデンス付きで出しても、白髪交じりのおじさんたちは納得しないのである。

但是,无论有多少证据能够证明这一事实,头发花白的大叔们也都不会接受。

「いやいや、それは間違いだ。付き合うかどうかはともかく、デートした経験があるかないかでいえば、俺らの若い頃はみんなデートしてたよ。4割もしていないなんてことはない」と自信満々で否定してくる。

他们只会自信满满地否定这一事实,大呼“不不不,那都是假的。先不说有没有对象,要说有没有约过会,我们年轻的时候大家都约过会啊。怎么可能还不到四成。”

百歩譲って、この発言をされるご本人はデートしていたとしよう。しかし。自分がしていたからといって全国の若者がデートしていたことにはならない。

退一步来讲,假设说这种话的人的确约过会。但是,自己约过会不代表全国的年轻人都约过会。

昔の若者はみんなデートしていた?

过去的年轻人大家都约过会?

確かに、今還暦近辺の世代が若者だった1980年代は恋愛市場主義時代といわれる頃である。

的确,如今已是花甲之年的老人们年轻的时候正值二十世纪八十年代,当时正是恋爱市场主义时代。

テレビでは恋愛トレンディドラマが大流行し、ラブソングがヒットチャートを席巻し、クリスマスはカップルで赤プリと高級レストランとティファニーがセットと喧伝されていた時代でもある。

当时是一个恋爱剧大火,情歌席卷各大榜单,圣诞节就是情侣们去一起东京赤坂王子酒店、高级餐厅和蒂芙尼三件套的时代。

しかし、残念ながら、メディアがそういう空気を作ったとしても、必ずしも全員が恋愛をしていたわけではないし、ましてや必ずデート経験があるわけでもない。

遗憾的是,就算媒体再怎么大力鼓吹这一氛围,也并不是所有人都有恋爱可谈,更不要说人人都有约会经验了。

昭和、平成、令和の若者デート率

昭和、平成、令和年轻人的约会比率

日本性教育協会が発刊している「若者の性白書」によれば、生まれた年代コーホート別の各年齢における男子のデート経験率を長期的に調査しているものがあるのでご紹介したい。

日本性教育协会发行的“年轻人性白皮书”对出生年代不同的各年龄段男性约会经验率进行了长期调查,下面就为大家介绍一下。

1963-68年生まれの人とは、2022年の現在54-59歳の層である。まさに1980年代の恋愛至上主義時代に20代だった人たちである。彼らが、10歳~22歳までのデート経験率(累積値)の推移をみると、経験率60%を超えたのは18歳くらいで、その後19-22歳でやっと7割を超える程度である。

首先来看出生在1963~1968年的人,也就是2022年54~59岁左右的人群。他们正是二十世纪八十年代恋爱市场主义时代盛行时的年轻人。从这一人群10~22岁约会经验率(累计值)变化来看,在18岁左右约会经验率超过了60%,19~22岁才终于超过70%。

同様に、1981-86年生まれ(現36-41歳)も1993-1999生まれ(現23-29歳)もそうたいして違いはないどころか、驚くほど一致している。

同样的,1981年~1986年出生(现36~41岁)人群以及1993年~1999年出生(现23~29岁)人群的比率也与上文相差不大,甚至可以说几乎一样。

つまり、40年前の若者も、20年前の若者も今の若者も、年齢に応じたデート経験率は判で押したように同じなのである。

也就是说,无论是40年前的年轻人,还是20年前的年轻人,或者是如今的年轻人,在不同年龄段的约会经验率大同小异。

時代の変化のせいで変わるものでも、スマホやネットが登場したからといって変わるものでもない。そんなものなのである。

这既不是因为时代的变化而改变的,也不是因为智能手机或网络的出现而改变的。而是它原本就是这样的。

もちろん、これはデートの経験率なので、恋人がいた割合とイコールではないことはいうまでもないし、この単体の調査データだけですべてを語ろうとするつもりもない。が、だからこそ複合的かつ客観的に様々なデータや事実を確認する姿勢が必要である。

当然,数据统计的只是约会经验率,并不能和有恋人的比例划等号,也不能单凭这一项调查数据就对所有情况一言蔽之。但是,正因为如此才需要我们综合客观地确认各类数据和事实。

あわせて言っておけば、現54-59歳の世代の男性とは、5年前の2015年に生涯未婚率25%を突破した世代であり、必ずしも全員が結婚できた世代ではもはやない。

总而言之,目前54~59岁的男性,也是5年前,也就是2015年终身未婚率突破25%的一代,完全称不上是个所有人都能结婚的一代。

デートなし4割がキープされた理由

零约会经验比率维持在40%的理由

むしろ、注目すべきはそこではない。

倒不如说,最值得注意的并非这些。

高校生までは、いつの時代も4割は「デートした経験がない」状態は共通していたのに、今回2021年に調査した段階で、それが20代全体で4割が変わらなかったというのは、まさにコロナ禍において「外出するな、人と会うな、飲みに行くな、マスクして黙って食え」と強要された若者たちの成れの果てではないかと思う。

到高中为止,所有年代的年轻人当中都有40%的人群“约会经验为零”,而在本次2021年度的调查阶段中,整个20代人群的这一比例依旧是40%,想必这也是因为新冠疫情下强行要求年轻人“不外出、不见面、不聚餐、戴好口罩默默吃饭”所导致的。

本来であれば、高校を卒業して、大学に通ったり、就職したり、一人暮らしを始めたり、バイトでいろんな人と交流したり…と、異性との出会いの機会がたくさんあったはずである。なのに、そういう機会の一切合切を問答無用で剥奪されたわけである。

原本来说,高中毕业、上大学、步入职场、独居生活、做兼职,这些都有机会和人交流,认识异性的机会也应该很多。然而,这所有的机会却全部不由分说地被剥夺了。

それは、高校生まで恋愛経験がなかった者にとっても、ひとつの転換点でもあったはずだった。しかし、そうした彼らの千載一遇のチャンスは自粛の中に消えてしまった。結果、グラフの赤い線の19歳以降、ずっとデート経験率が60%で止まっていたとしても何の不思議もない。

对于高中之前一直没有恋爱经验的年轻人来说,这些都是一个又一个的机会点,然而,这些千载难逢的机会却消失在了新冠自肃当中。因此,表格中的红线自19岁后约会经验率一直停在60%也就不足为怪了。

透明化される事実

逐渐透明化的事实

あるテレビ番組では「4割がデートしたことがない」ということに対して、MCの女子アナが「そんな人、周りで見たこともない」と屈託ない笑顔でお話しされていたそうである。

某电视节目中,一位女主播听到“四成年轻人没有约会过”这一话题后,十分爽朗地笑着说“我身边没见过这样的人”。

興味のない対象及び自分と同類ではないと判断する対象に対しては、たとえそれが存在していたとしても目に入らない。透明化されてしまうという典型でもある。

对于自己不感兴趣的人,或者觉得和自己不是一类人的人,就算他存在,我们也只会视若无睹。这就是透明化的一大典型。

個人レベルの認識ではそれは仕方のないことである。しかし、社会の認識において、「いなかったことにしていい」若者など一人もいないし、「なかったことにしていい」事実もひとつとしてない。

从个人层面的认识来看,这是没有办法的事情。但是,在社会认知当中,任何一个年轻人都不能“被当作不存在”,任何一个事实也不能“被当作不存在”。

それとも、かつて1974年に政府は少子化を推進していたとい事実同様、なかった事実にしたいのだろうか?

还是说,就像过去1974年政府推进少子化政策一样,社会又想把“四成年轻人没有约会过”的事实当做从未有过吗?

翻译为沪江日语原创,未经授权禁止转载。

精彩阅读推荐:“铁饭碗”在日本不吃香?!日本年轻人正在“逃离霞关”!