冬は萬物みな蟄す。溌剌たる鯉の如きも、冬、爼の上に載するに、ぢつとして動かずと聞く。人間もこの例に洩れざるが、萬事例外あり。活氣ある人間は、冬とても動く。梅花咲く頃は、春とは云へ、風なほ寒し。梅見には餘程の勇氣を要す。珍らしや、裸男が末斑をけがし居る好文會の幹事より、吉野村探梅の事を報じ來たる。八人の會員、みな揃へば好いがと案じつゝ、新宿驛に至りしが、幹事の槇園君、先づ在り。『鳥野君だけは、家内に病人ある爲め、來たる能はず』といふ。されど、昨夜雨ふりたり。今朝も曇りて、今にも降り出しさうな空模樣也。鳥野君は已むを得ずとして、他の會員が揃へば好いがと繰り返しつゝ待つ程に、旅行家の天隨君來たる。やつとこれにて三人になりたり。その後は、待てど/\、來たるもの無し。いよ/\同行は三人だけなるかと失望せしに、嬉しや、發車間際になりて、斐己大人來たる。發車するに際しても、首を車窓外に出だして見渡したるが、他の會員は終に來らざりき。
 四人ながら雨を豫期して、蝙蝠傘を持ちけるが、境驛に至りて、日出でたり。嬉しとも嬉し。
 國分寺驛までは、驛々みな櫻樹あり。國分寺驛より青梅線に乘換ふれば、梅之に代りて、驛々みな梅花なきは無し。斐己大人は去年吉野村に遊びしことありて、一行の先達たり。『青梅驛に下り、萬年橋を渡りて、ぽつ/\散在せる梅を探りつゝ、吉野村中最も梅花の多き下村に至り、日向和田驛より汽車に乘るが順路なり』といふまゝに、青梅驛に下る。驛を出づるより早く、骨董店が先づ、骨董の癖ある槇園君の眼に入り、つか/\立入る。明き盲目の裸男も、相伴して立どまる。他のものは眼に入らざれど、奧の方に古色を帶びたる瓢箪のかかれるが眼に入り、取出させて見たるに、漆にて赤く塗りたるなりき。槇園君も、あれやこれやと手にとりて見たるが、掘出しものは無かりけむ、共に失望して出づ。甲州裏街道の山の出口に當る處とて、小都會を爲す。街の兩側に櫻あるはまだしも、梅あるは、珍らし。二抱へもある青桐、人を容るべき空洞を有し、一丈位より上は切られて、小枝四方に簇出す。一同立止りて、これは珍らしと見入れば、『夏、此木の上にて晝寢したら好からむ』と、槇園君のいふに、一同覺えず打笑ふ。その瞬時は、何故に笑ひしかが分らざりしが、下司の後智慧、よく/\考ふれば、これ一種の機智なりと氣付く。
 町の中程より左折し、行くこと數町にして、萬年橋を渡る。こゝは多摩川の上流也。下流の幅ひろく沙磧大なるとは違ひ、兩崖相迫りて高く、從つて橋より水面まで、餘程の距離あり。清き水、川の全幅を滿たして流る。左右の山も近くして、橋をして一層の幽趣を帶ばしむ。
 青梅はまた山間の市街也。萬年橋を渡りては、全くの山村也。珍らしくも、また骨董店といふよりは、古道具屋といふべき店あり。例の槇園君ちよつと冷かして、直ちに去る。斐己大人の言ひし如く、ぽつ/\梅あり。多くは長大也。中には一本か、三本合したるものなるかとさへ疑はるゝ大木もあり。幾たびか溪に架せる橋を渡る。左に小學校を見、右に村役場を見て、始めて梅の本家なる下村に達す。老木、屋よりも高く、相連なりて林を爲す。その間に家あり、畑あり。一段高まれる天滿宮より更に上りて、小山の頂に上れば、梅の一村、脚下にあり。四面山に圍まれて、眼界は廣からざれども、また狹くもあらず。掛茶屋に休息して、各□辨當を取出す。天隨君を除きては、皆瓢箪を攜へたり。斐己大人のは一合入、槇園君のは二合入、裸男のは六合入、一行の醉を買ふには不足なし。氣づかひし空、霽れ盡して雲なし。風もなくして、日暖か也。この好天氣なるを、この香世界の美觀あるをと、思ひ期せずして來會せざる人々の上に飛ぶ。繪葉書を送るとて、裸男駄句りて曰く、
來ぬ友を惜む梅見の日和かな
 山を下れば、老樹最も繁き處に、掛茶屋あり。老婆客を呼ぶ。『櫻は遠く眺めても可也。梅は近く接して、其の枝ぶりを見ざるべからず、其の香を嗅がざるべからず。酒は此處にて飮むべかりき』と、裸男覺えず口走れば、『然り/\』と、槇園君相槌打つ。香雪を上に見つゝ行く程に、梅鶯軒に至る。赤毛布敷ける腰掛臺に腰掛けて、茶を飮む。見渡す限り、梅又梅、その盡くる所を知らず。櫻は吉野村、梅は月瀬、これ天下の公評也。この下村も市町村制布かれてより、櫻の吉野に取りて、吉野村の總稱を冠し、この頃また梅の月瀬に取りて、新月瀬と稱す。餘りに慾張りたる哉。されど、關東の梅と云へば、先づ指をこの村に屈せざるを得ず。立ち去らむとするに臨み、裸男幹事の槇園君に向ひ、『會費を』と云へば、槇園君嗔りて、『花の下に金錢を計算する沒風流あらむや』といふに、裸男閉口して頭を掻く。『今晩、三河屋會食の約あるを忘れたるか』と、天隨君に注意せられて、更に又頭を掻く。
 日向和田へとて、梅林を辭すれば、麥畑となる。麥畑盡きて杉林となるかと思へば、坂路となり、下りて多摩川に出づ。兩崖高くして、樹茂る。吉野村が既に山間の別世界なるに、こゝは別世界中の別世界也。『おうい』と呼べば、『おうい』と答へて、前岸の小屋の中より一老夫現れ出で、川を横斷せる一條の銅線に縁りて、舟をこなたに運び、また銅線に縁りて、一行を渡す。崖を攀ぢて、甲州裏街道に出で、日向和田驛より汽車に乘りて歸路に就きけるが、再び青梅驛に下りて、金剛寺に立寄る。平將門が植ゑたりと稱する一株の梅、堂前にあり。その實、秋に入りても青く、黄熟せざるより青梅の名を帶び、終に移りて町の名となれりと聞く。東京第一流の祠なる神田神社は、明治の世に至るまで、將門を祀りたりき。此處に又其の遺植の梅あり。思ふに將門の關東に於けるは、武田信玄の甲州に於けるが如きものありしならむか。而して一方には、信玄は不孝の子と嫌はれ、將門は叛逆の臣と憎まるゝ也。
 都に戻りて、約せし如く、四谷見附外の三河屋に入りて、牛肉を食ふ。東京第一流の牛肉店也。好文會の例會は、いつも此處に開く。裸男、肉を好まずして葱を好む。肉は半人前にて足り、葱と漬物とは二三人前にても足らず。而して好文會には、下戸多く、其の代りに健啖家多し。彼我相合して、始めて普通一人前の客也。
(大正五年)

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