京都の観光名所として誰もが思い浮かべるのが、清水寺。京の都を訪れる人の5人に1人が参拝するこの名刹、実は現在改修工事中とのことなんですが…、改修中だからこそ味わえる「贅沢」をはじめ、清水寺のおもしろ雑学や見どころを紹介しています。

作为京都的观光胜地,谁都能马上想到的就是清水寺。清水寺是每5个到访京都的客人当中就有1人进去参拜的著名古刹,实际上现在正在改建。这次将从“正因为在改建中才能够品味到的‘奢侈’”开始,为大家介绍清水寺有趣的杂学和看点。

京都の観光名所の代表といえば「清水寺」ですよね。なんと年間1,000万人以上が訪れる一大観光地です。金閣寺と銀閣寺が500~600万人と言われているので圧倒的な人気です。京都の年間の観光客数が5,500万人以上なので、京都を訪れる人の5人に1人ぐらいは清水寺を参拝するといった感じです。そんな大人気の清水寺ですが、しばらくはがっかりしてしまうかもしれない事が起きてます。ご存知の方もいらっしゃると思いますが、昨年から改修工事に入ってしまいました。そのため清水の舞台には足場が組まれ、本堂には覆いが被せられてしまっています。

说到京都的观光胜地那就是“清水寺”了。竟然是每年有1000万人以上到访的一大景点。据说金阁寺和银阁寺是500~600万人次,因此(清水寺)是有压倒性人气的景点。京都每年的观光人数为5500万人以上,因此可以说每5个到访京都的人就会有大约1人来清水寺参拜。这样具有超高人气的清水寺,在近一段时间里难免会让人感到失望。我想也许有人知道,从去年开始的清水寺改建工程开始步入正轨。因此,清水寺的舞台上搭上了建筑用的脚手架,正殿也被遮盖住了。

実は清水寺の工事は2008年から始まっていたそうです。少しずつ色々な場所を改修しているのです。一昨年は三重塔などの修復が終わり、昨年の2月頃から清水寺の本堂の修復工事が始まったのです。なのでしばらくはあの京都を代表するお馴染みの風景を見ることが出来ません。しかし実際にずっと見られないというわけではありません。工事は檜皮葺の屋根を葺き替えをし、舞台の損傷などを補修する計画で、2021年頃に新しい姿がお披露目される予定です。現在は仮屋根を設置しているので、すっぽりと清水寺の本堂は覆われてしまっています。

据说实际上清水寺的工程是从2008年开始的。一点一点修建着各处。前年结束了三重塔几处的修复,去年2月开始了清水寺正殿的修复工程。因此有一段时间无法看到京都代表性的熟悉景色了。但实际上并不是一直看不到。这个工程中计划对丝柏的树皮搭建的房顶进行重新铺建,并且修补舞台的破损,预定在2021年展示改建之后的新模样。现在因为设置的是临时屋顶,正好将清水寺的正殿给遮盖住了。

しかし、せっかく参拝した人が舞台を見て味気ないものと思ってしまうので、透明のシートで中の様子が分かるようになっています。こうすることで、普段見ることのできない貴重な内部構造などを見ることが出来るわけです。前回清水寺の本堂の改修工事が行われたのは50年前です。次の改修工事の際に中の構造などが見られる機会があるのか分かりません。清水の舞台の写真が撮れなくても、この内部の様子を写真におさめるのもまた一興かも知れません。

但因为怕有些难得来这里参拜的人看到这样的舞台会感到无趣,因此用了透明的罩子,这样可以看到罩子当中的样子。是平时无法看到的、珍贵的内部构造。上一次清水寺的正殿进行修建工程是50年前。在下一次的改建工程进行的过程中能否有机会看到内部构造就不得而知了。就算不能够拍到清水寺的舞台,能够将其内部的样子收入照片之中说不定也是一种乐趣呢。

現在の清水寺の本堂は1633年に徳川家光によって再建されたものです。どうしてあのような崖にせり出したような舞台が造られたのでしょう?清水寺の創建は778年の奈良時代まで遡ります。まだ京都に都が移っていなかった頃のことです。延鎮(えんちん)という僧が小さなお堂を建てだことが清水寺の始まりです。その小さなお堂を後に大改修をしたのが、坂上田村麻呂です。初代征夷大将軍に任命された人物ですね。

现在的清水寺正殿是1633年德川家光再建的。究竟为什么要建造出这样的如同从悬崖上凸出一般的舞台呢?那就要追溯到清水寺创建的778年的奈良时代了。那时候还没有迁都到京都。清水寺是从一位名为延镇的僧人建造了一个小的佛堂开始的。之后对这个小佛堂进行了大改建的是坂上田村麻吕。是被任命为初代征夷大将军的人物。

実は清水寺の敷地は彼の家の敷地だったとも伝わっています。田村麻呂がある日、現在の清水寺の近くで鹿狩りをしている時に延鎮と出会います。延鎮は彼が鹿を殺める事を察し、説法をしました。田村麻呂は延鎮の説法を聞きこの地にあった自宅を寄進してお寺の本堂したといいます。そして彼は本堂を大改修して現在のような形になっていったそうです。

还有说法是实际上清水寺所在的地皮是他家的地皮。田村麻吕有一天,在现在的清水寺附近猎鹿的时候偶遇了延镇。延镇发现他杀害了鹿,于是对他进行规劝。田村麻吕听了延镇的劝导,于是将自己在此地的宅子捐献出来作为清水寺的正殿。于是他对正殿进行了巨大的改建,成为了现在的样子。

清水寺の本尊は千手観音です。千手観音がもともといらっしゃる場所は補陀落(ふだらく)という場所です。補陀落はインドの南にある島で、そこには八角形の険しい山がそびえ立っていると言われています。日本では、修験道のような険しい山岳で修行することで悟るという「山岳信仰」というものがありました。なので、険しい崖や山々などがインドの南にあるという補陀落と同一視されるようになったのです。千手観音を本尊とするお堂を建てるためには、補陀落の地形に見立てたかのような場所が必要だったわけです。

清水寺的主佛是千手观音。千手观音原本是在一个名为“補陀落”的地方。補陀落是位于印度南部的岛,据说在那里耸立着一座八角形的险峻的山。在日本,有在修验道这样险峻的山岳中修行会有所顿悟的“山岳信仰”。因此,险峻的悬崖和山脉被认为和位于印度南部的補陀落是一样的。为了建造以千手观音为主佛的佛堂,所以选取与補陀落的地形相似的场所是非常必要的。

崖のギリギリな地形の場所にお堂や本堂を建てるインドの補陀落にならって、清水寺も当時崖ギリギリに建立されたのです。清水寺はやがて本堂ではおさまりきらないほど参拝客が来る有名なお寺になりました。そこで改装をする必要が出てきました。元々本堂が崖のギリギリに建っているため、増築する場所がありません。そこで、崖にせり出した舞台のように本堂を増築するという方法がとられたのです。これを「懸造り(かけづくり)」といいます。清水の舞台を支える独特な建築様式です。

依照着在悬崖那种危险的地形建立佛堂和正殿的印度補陀落,清水寺也被建立在当时的悬崖附近。清水寺最后成为了在正殿中无法完全容纳参拜客的有名寺院。因此改建就很有必要了。因为原本正殿是建在悬崖边上的,因此没有扩建的场所。因此,就想出了从悬崖上凸出一部分的舞台这样的扩建方法。这被称为“悬造”。是支持着清水舞台的独特建筑样式。

懸造りは清水寺だけでなく、山岳信仰を持つお寺などに見ることが出来ます。狸谷不動尊や、峰定寺などでも、懸造りを見ることが出来ます。崖ギリギリに建ったお寺が増築などをする際にはこの懸造りが用いられるのです。

悬造不仅是用在了清水寺,在很多具有“山岳信仰”的寺庙都可以见到。狸谷不动尊和峰定寺等当中都可以看到“悬造”。在悬崖边上建造的寺庙扩建的时候就会用到这个“悬造”技术。

最後に、清水寺の仁王門をくぐる前に狛犬の口を注意して見てみて下さい。仁王門前の狛犬は左右2匹とも口を開けて「阿阿」になっています。一般的に狛犬は一方が口を開けた阿形(あぎょう)、もう一方が口を閉じた吽形(うんぎょう)になっています。「阿」は万物の始まりを意味し、「吽(ん)」は万物の終わりを意味しています。ではなぜ清水寺の狛犬は2匹共口を開けているのでしょうか? これはお釈迦様の教えを世に大声で知らしめる為なんだそうですよ。いかがでしたか? 京都は日本人の知識と教養の宝庫です。これからもそのほんの一部でも皆さまにお伝え出来ればと思っています。

最后,在穿过清水寺的仁王门之前请注意看一下石狮子的嘴。仁王门前面的石狮子左右两只都是张着嘴,形成“阿阿”的嘴型。一般来说,两只石狮子应该一只张着嘴形成“阿形”,另外一只闭着嘴形成“吽形”。“阿”意味着万物的开始,“吽”意味着万物的终结。但是,为什么清水寺的两只石狮子都张着嘴呢?据说这是为了将释迦牟尼的教诲向世间大声传播的原因。怎么样?京都是日本人的知识和教养的宝库。从今以后也希望能够向大家传递哪怕是一点点的知识。

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