■ 餅(もち)は餅屋

物事にはそれぞれ専門(せんもん)があり、何事もその専門家にまかせるのが一番いいということ。

意指做任何事物都有专家,因此无论什么事交给专家是最好的。

■ 元の木阿弥(もくあみ)

再び以前の状態にもどること。戦国時代の武将筒井順慶が幼い時に、父の順昭が病死した。父の遺言によりその死を隠し、父によく似た木阿弥という盲人を薄暗いところに寝かせ、順昭がまだ生きているかのように見せかけた。その死は順慶が成人するまで敵に知られずに済んだが、順慶が成人して順昭の死を公表したために、木阿弥は用済みとなりもとの庶民に戻されたという故事によるとされる。

指回到了原本的状态。战国时代的武将筒井顺庆幼年时父亲顺昭病逝了。根据父亲的遗言,他隐藏他死去的事实,找来与父亲相像的盲人木阿弥躺在昏暗处,假装顺昭还活着。顺昭之死隐瞒到了顺庆成年之时也未被敌人所知,但因为顺庆成年后公布了顺昭之死,木阿弥没有用处了便又回到了平民的身份。据说该谚语来自这个故事。

■ 物言えば唇(くちびる)寒し秋の風

何事も物を言えばあとでたいてい後悔(こうかい)する。特に人の悪口を言ったあとは自分自身がいやになる。

无论什么事,说出口后大抵都会后悔。特别是说了别人的坏话后,总会厌恶自己。

■ 桃栗(ももくり)三年柿八年

どんなことでも、やりとげるにはそれなりの年月をかけなければならないということ。

无论做什么事,要想做成总要费些年月。

■ 貰(もら)う物は夏も小袖(こそで)

人からもらう物なら、不要の品でも何でも辞退(じたい)しない。欲の深いことのたとえ。

只要是别人送的东西,就算是不需要的东西也会全部收下。比喻人的欲望之深。

■ 門前市をなす

門の前に市場が出来るほど、その家に出入りする人が多く集まっているようす。

出入家门的人多到可以在门前开一个市场。

■ 門前 雀羅(じゃくら)を張る

訪れる人がだれもいなくて寂(さび)れているようす。訪問客がなくなり、門の外に雀(すずめ)が群がって、網(あみ)を張って雀を捕らえることができるという意味。

描绘无人登门而分外寂寥的样子。访客不来,门外聚集了雀群,甚至可以张一张网来抓麻雀。

■ 門前の小僧(こぞう)習わぬ経を読む

寺の門前に住む小僧は、ひとりで聞き覚えてお経を読む。ふだん見たり聞いたりしていると、習わなくても、自然にそれを覚えるものである。

住在寺庙门前的小僧,能够一个人听诵经文。意指只要平时经常看见听见,就算不特意去学,也能自然而然地记住。

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