珍しい物の数え方や、なりたちをまとめました。物の数え方って、みんな自然に使っているけど結構奥が深くてスゴイ。個、枚、日なんて一般的なものもあれば、一つの名詞にしか使われないものまで。日本語って美しいし面白い。

总结了不常见东西的数数方法和构成要素。说起东西的数数方法,大家都自然地在使用,但这是其实是很深奥的。有个、枚、日这些一般的量词,到只有一个名词会使用的量词为止。日语真的是优美又有趣。

一枚、一個、一頭…といった、数字の後につく"助数詞"

一枚、一个、一头,这些跟在数字后面的“助数词”

日本語にはなんと500種もの助数詞が存在しているそうです。しかし、今実際に使われている物は100種程度だそう。

日语中好像竟然存在500种助数词。但是现在实际使用的好像只有100种左右。

一個、二個、三個。
一玉、二玉、三玉。
一粒、二粒、三粒。

一个、两个、三个。
一颗、两颗、三颗。
一粒、两粒、三粒。

言葉や生活スタイルの移り変わりと共に、数え方も変わります。

随着词汇、生活方式的改变,数数方法也会改变。

例えば箪笥(たんす)。実は一竿、二竿と数えます。

例如柜子,原本上是一抬、两抬这样数的。

何で竿か?これは箪笥の語源から来ているようです。箪笥の語源は、担子(たんす)=棒(竿)を通して肩で担ぐものから来たらしい。

抬是什么呢?这个好像是从柜子的语源来的。柜子的词汇来源好像是用担子(たんす)=棒(竿)担着的东西得来的。

江戸時代に庶民に箪笥が普及したとき、江戸の華の火事から逃げる時や引越しの時箪笥を運ぶのに竿を通して2人で担いで運んだ。当時の箪笥はそういう仕様(竿通し金具付き)になっていた。

江户时代是平民之间柜子得到普及的年代,从江户城里的火灾出逃时或者搬家时,是两个人用杆子挑着搬运柜子的。

形態が変わっても、数え方は変わります。

即使形态改变了,数数方法也会改变。

生きて泳いでいるマグロ → 一匹(いっぴき)
漁獲されて冷凍のマグロ → 一本(いっぽん)
三枚おろしの半身マグロ → 一丁(いっちょう)
半身を切り分けたマグロ → 一節(ひとふし)
ブロックになったマグロ → 一塊(ひところ)
切ってサクにしたマグロ → 一冊(ひとさく)
パック詰めされたマグロ → 一パック(いちぱっく)
切り分けたお刺身マグロ → 一切れ(ひときれ)
日本語ってとってもフレキシブル。
1カン、2カン…貫と書きます。

活着的在游泳的金枪鱼 → 一匹
被捕获冷冻的金枪鱼   → 一本
切成三片的半条金枪鱼 → 一丁
半条被切开的金枪鱼  → 一节
变成一块儿的金枪鱼  → 一块
切开的金枪鱼  → 一册
打包的金枪鱼  → 一包
被切分成刺身的金枪鱼 → 一切
日语是很灵活的。
一贯、两贯,写做贯字。

量によっても数え方が変わります。
日本酒は、1杯の呼び方が場面によって変わります。

根据量的不同,数数方法也会变化。
一杯日本酒根据情况会变化。

一盃 → 人と飲み交わす時は”盃”で数えます。
一献 → 宴席で主人が客をもてなすためにお酒をついで回る時は”献”で数えます。
日本酒
一合(いちごう)  → 180ml
一升(いっしょう) → 1800ml
一斗(いっと)   → 18L
一石(いっこく)  → 180L

一杯 → 跟别人交替喝酒时可以数成“杯”
一献 → 在宴席上主人招待客人轮流敬酒时可以数成“献”
日本酒
一合 → 180ml
一升 → 1800ml
一斗 → 18L
一石 → 180L

雲なんかもすごく詩的にうつり変わります。
あなたならなんて数えますか?
形状によって、一片、一点、一流れ、一叢(ひとむら)、一抹、一座、一道…
想像するだけでわくわくしてきます。
雷は一閃、や一本など。
一陣の風。
一脈の風。
一橋ってとってもロマンチック。

连云彩也会有诗意的变化。
你的话会怎么数呢?
根据形状,一片、一点、一流、一丛、一抹、一座、一道…
光是想象就会很激动。
雷是一闪或者一本。
一阵风。
一脉风。
数成一桥的话很浪漫吧(彩虹)。

どんな数え方になるかは、状況や形状が大きく影響を与えているようです。
鏡餅は“重ね” ウニは“壺”
10かさねとかになる事はあるんでしょうか?
種類によってはたしかに壺かも。

会变成什么样的数数方法,好像状况形状给了很大的影响。
镜饼是一重,海胆是一壶
有变成十重的情况吧?
根据种类不同的确会变成“壶”。

神様は“柱”
そもそも神社のご本殿やご神体は、大自然そのものでした。山国である日本にとって、森は神々が存在する場所でした。現在でも神社には緑深い鎮守の森があり、大切に管理保護されています。木には生命があり、そこには魂が宿っています。神道にはことさらに木を大切にする宗教文化があるのです。

神灵是“柱”
原本神社的正殿,神体就是大自然本身。作为山国的日本,森林是神灵存在的地方。即使现在也有镇守着神社的森林,被谨慎的管理保护着。树木是有生命的,有灵魂寄宿着。神道教有格外珍惜树木的宗教文化。

こうした気や森を大切にする宗教文化の土壌があるからこそ、神霊が宿るひと きわ大きな木で作られる大黒柱に神がいると信じ、神を柱と数えたとしても不思議ではありません。

正是有这样珍惜森林的宗教文化的土壤,人们相信由有神灵寄宿的特别高大的树木做成的大黑柱是有神灵的,因此把神灵数成“柱”也并没有觉得不可思议。

蝶の単位は、なんと“頭”。なぜ蝶を「頭」で数えるのかについては、諸説あり、定説はないようです。

蝴蝶的单位竟然是“头”。为什么按“头”来数蝴蝶呢,有很多种说法,好像并没有定论。

『数え方の辞典』によりますと、
英語で牛など家畜を数える際に“head”で数えていた
  ↓
動物園でも使われ始めた
  ↓
動物園で飼育されている全ての生きものに対し“head”が用いられるようになった
  ↓
そのうち昆虫学者たちが論文などで蝶の個体を“head”で数えるようになった
  ↓
日本語に直訳(誤訳)したのが定着した

という説が有力だとあります。

根据《数数方法词典》,
数牛这类家畜的时候,英语用“head”
  ↓
动物园也开始使用
  ↓
动物园里养的所有动物都开始用“head”
  ↓
在这之间,昆虫学者们在论文中也用“head”数蝴蝶的个体
  ↓
日语直接翻译(误译)的固定了下来
这样的说法是有力的。

場面によって数え方が変わるものもある。

根据情况数数方法也会变化。

写真は一般的に”枚”で数えますが、思い出の写真など想いが強ければ強い程、“葉(よう)”で数える方がふさわしくなる。

照片一般数成“枚”,但是回忆的照片的话,回忆越强烈,用“叶”数的话就更符合。

葉には、木の葉のように小さいものに使って、枚のように大きいものにまでは使いません。そして、葉には、木の葉のように小さく手のひらに置けることから、手の中で持っておきたいという意味もあります。

“叶”是在树叶小的时候用的,变成“枚”那么大的时候就不能用了。而且“叶”有这样的意思:像树叶那么小可以放在手心里,拿在手里。

例えば、祖父母が孫の写真を見る時です。その祖父母にとって、その孫の写真がいつまでも手にのせて見ていたい時に、一枚の写真というより、一葉の写真になります。その写真を見る人にとって、その写真が思いを寄せる度合いが強い時です。そして、故郷を懐かしむ時のような感情が出てくる時にも、葉が使われます。

例如,爷爷奶奶看孙子的照片时。对于爷爷奶奶,无论什么时候都想把孙子的照片放在手里看时,比起说一枚照片,变成了一叶照片。对于看照片的人而言,这张照片给予了很多的思念。而且,在像是怀念故乡的时涌出的感情时,也用“叶”。

知っておくと恥をかかないで済みそうな単位いろいろ。

提前知道的话,就不会因为无知而丢脸的量词单位也很多。

お茶 → 服
ようかん → 棹
宝石 → 石・顆
絵画 → 一点、一幅
盆栽 → 鉢
箸 → 膳
遺骨 → 体

茶 → 服
羊羹 → 棹
宝石 → 石•颗
绘画 → 一点、一幅
盆栽 → 盆
筷子 → 双
遗体 → 体

ついたち、ふつか、みっか、よっか、いつか…いちにち と ついたち の使い分けと、ふつか と ふつか。

一号,二号,三号,四号,五号…一日和一号的区别使用,二日和二号。

とおか 以降は 大体 じゅういちにち、じゅうににちとか「にち」がほとんど。

十号之后大概就是十一号,十二号这样,大部分都是接“号”的。

でも、14日だけ、なぜかじゅうよっか。

但是只有14号为什么是接“日”的。

これは正しい日本語なのか?という議論が起こっているそうです。

这是正确的日语吗?好像起了这样的争论。

鯉のぼりのカッコいい数え方。

鲤鱼旗帅气的数数方法。

一旒の中の四匹?それとも一本の中の四旒?一匹二匹、一本二本と数えられる事が多いと思いますが、正式には?一旒(いちりゅう)二旒(にりゅう)と数えるそう。

一面中的四匹?还是一根中的四面?我认为一匹两匹,一根两根这样数的情况很多,但是正式的好像是一面两面这样数。

これは旗やのぼりを数える際には使います。

这是数旗帜、幡旗时用的。

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