『信長協奏曲』で時代劇に臨んだかと思えば、『テラフォーマーズ』では近未来の世界で奇抜なファッションに身を包んだ科学者を演じるなどバラエティに富んだ役柄に挑んでいる小栗旬。最新出演作『ミュージアム』では、史上最悪の猟奇殺人鬼に追いつめられる主人公の刑事・沢村を体当たりで演じている。家族の協力とともに徹底した役作りで挑んだ今作の撮影で感じたこと、さらに、今の日本のエンタテインメントシーンに抱く、いち役者としての熱き想いを語ってくれた。

在《信长协奏曲》中演绎古装历史剧,又在《火星异种》中扮演身着奇特服饰的未来世界的科学家,小栗旬一直在挑战着变化多样的角色。在最新出演的作品《恶魔蛙男》中,小栗旬全力以赴地饰演了被史上最残忍的猎奇杀人魔逼到绝境的主人公刑警泽村。对于这部在家人帮助下挑战彻底角色塑造的作品,小栗旬讲述了他在拍摄时的感想,以及,对现在日本娱乐圈,他作为一名演员所怀有的热情。

30代は大人の男性を演じたいとずっと思っていた

一直想过了30岁就饰演成熟的男性角色

――沢村のオファーを受けたときの印象はいかがでしたか?

――得到要扮演泽村的通告时有何想法?

小栗旬:これまで漫画原作の作品に多く出演させていただいたなかで、沢村のような役をやりたいと思っていてもなかなか機会がなかったんです。30代になってからは青年ではなく大人の男性を演じたいとずっと思っていたので、今回のお話をいただいて「ぜひやりたい!」と思いました。

小栗旬:到现在所出演的大多漫画作品中,像泽村这样的角色即使我想演但总是没有机会。到了30岁后我就一直想饰演不是青年而是成熟的男性角色,所以这次得到这个角色我就想着“一定要演!”。

――年齢や経験を重ねた今だからこそ表現できることも多かったのではありませんか?

――正是因为年龄增长与经验累积的现在,所能表现出来的东西也多了,是这样吗?

小栗旬:そうですね。完成した作品を観て、自分が親になったことが間違いなく沢村を演じるうえでプラスになっていると改めて実感できました。今だからこそ表現できたことがたくさんあったんだなって。撮影はキツかったですけど沢村を演じることができて本当に良かったです。

小栗旬:的确如此。看了作品的成片,我感受到了自己确实已成为人父,以及在扮演泽村这个角色上,我再次真真切切地感受到自己正在进步:正是因为现在,有很多东西我能够表现出来了。虽然拍摄得很辛苦,但是能够饰演泽村我觉得真是的太好了。

――沢村のどんなところに魅力を感じましたか?

――您觉得泽村什么地方有魅力?

小栗旬:沢村は刑事ですが正義感だけで行動しているわけではなくて、とくに後半はヒーローじゃないんですよね。でも、カッコいいと思えるというか、男として憧れたり共感できるキャラクターになっていると思います。不死身じゃないので体がどんどんボロボロになっていきますし、犯人の罠に見事にハマってしまったりするところも人間味があっていいなと思ったり(笑)。

小栗旬:泽村虽然是刑警,但并不只凭正义感行事,特别到了后半段,他说不上是一位英雄。但尽管如此,是说他帅气吧,不如说泽村是男性憧憬的能够产生共鸣的角色。因为泽村并不是不死之身,他的身体也会渐渐崩坏。在完美地落入犯人的圈套的这一点上,我觉得他也有常人的一面。

――大友監督から「ブレーキをかけなくていい」と言われたそうですが、思い切り演じることができましたか?

――据说大友导演曾对您说:“不‘踩刹车’也可以”,那么您彻底地放开演了吗?

小栗旬:ブレーキをかけずに演じたことで、少し短絡的な表現になっていると感じる部分も正直ありました。それは完成作を観て気づいたことですが、自分の演技に対して良かったと思える部分と反省点の両方があったので。俳優の仕事は何を正解とするかそのつど変わっていきます。1年前の僕がチョイスした芝居が今作の沢村の表現になっていますが、いま完成作を観るとつくづくお芝居で何かを表現することは難しいことなんだなと感じた部分もありました。

小栗旬:在不“踩刹车”放开演这件事上,老实说,我觉得我的表演有点浮于表面。这是我在看了电影的成品后注意到的,因为我对于自己的演技评价都有两点:觉得好的地方和需要反省的地方。演员的工作究竟是什么?这个问题的正确答案每次都在改变。虽然在1年前我所选择的演绎方式塑造出了这部作品中的泽村,但是现在看了成品后,也深深地体会到在演绎过程中什么东西是难以表现出来的。

役者としてだけじゃなく一歩踏み込んだ形で参加したい

不仅仅是作为演员,想更进一步参与其中

――どのような表現がとくに難しいと感じたのでしょうか?

――您觉得哪种表演是特别难的?

小栗旬:沢村は肉体的にも精神的に追いつめられますよね。その極限状態の表現が、観る方にはなかなか伝わりにくい部分もあるんじゃないかと。追いつめられた人間は、下手するとすごくクリアに物事が見える瞬間があるのかもしれない。そう思うと、その辺をもう少し考えて表現できたら良かったなと今さらながら気づくこともあるんです

小栗旬:泽村不仅是身体上还是精神上都被逼到了绝境,我的那种极限状态的表演方式是不是有传达不了给观众的地方呢?被逼到绝境的人,也可能会有懵了的瞬间和头脑清晰地看透事情真相的瞬间。这么想来,如果在这方面再多思考一下然后表达出来那就好了,这一点是我现在才注意到的。

――でも沢村が追いつめられていく姿を観ていて心臓が痛くなるぐらい極限状態が伝わりましたよ。

――看着泽村被逼到绝境的身影,你已经传递出了心脏绞痛般疼的极限状态了。

小栗旬:確かに後半どんどん沢村が可哀想になっていきますしね……(笑)。

小栗旬:确实到了影片的后半段,泽村变得越来越可怜了……(笑)

――その後半のシーンの撮影では、ご家族に協力してもらってなるべく幸せな時間を作らないようにしていたそうですね。

――据说在后半段场景的拍摄中,您是得到家人的帮助,尽可能地不去创造幸福的时光。

小栗旬:そうなんです。ちょうどクリスマスのシーズンに過酷な状況の撮影をしていたので、街に出たら幸せそうな顔をしている人たちを見てしまうし、家に帰ったら家族でクリスマスを過ごしたくなってしまう。それはさすがに沢村の状況を考えると、僕が精神的におかしくなってしまうと思ったので、ホテルと撮影所の往復だけで外には一切出ないようにしていました。家族の協力はありがたかったです。ただ、こういうアプローチは自己満足の世界でもあるので、完成した作品にきちんと現れていないと意味がないんですけどね。

小栗旬:是的。因为拍摄人物被逼到绝望状态的戏份时恰逢圣诞季,如果出街的话就会看到一脸幸福的人们,而回家的话就会想和家人一起过圣诞节。但是因为考虑到泽村的状态,我觉得(如果我享受了这些幸福的时光,)精神状态会变得不合适,所以决定除了在酒店和拍摄地两地往返外不再去任何地方。真是非常感谢家人的帮助。但是,这样的方式也只是一个自我满足的世界而已,如果不能(把泽村的绝望状态)在电影中呈现出来那就没与意义了啊。

――作品へのアプローチの仕方は役者によってそれぞれ違うと思いますが、小栗さんは演じるだけではなく、企画から関わっていきたいということもおっしゃっていますよね。

――我认为通向作品的方式会因演员而异,您曾说过:“不只是演戏,还想从企划起就参与其中”,对吧。

小栗旬:世界中にいろいろな考え方の俳優がいて、役を作ることだけに特化している方も当然います。でも、僕は一緒に作ろうとしてくれる人たちがいるなら、役者としてだけじゃなく一歩踏み込んだ形で参加したいと思っています。

小栗旬:世界上有怀有各种各样的想法的演员存在,在这其中必定会有一心专攻角色塑造的人。但是,如果我要是能和“一起来创作吧!”的人合作的话,我想我不仅仅是作为一名演员,而是以更深一步的形式参与到作品的创作中去。

もっと役者が責任を背負ってもいい仕事だと思う

我认为这是一份演员可以承担更多责任的工作

――日本では所属事務所のマネージメントがしっかり確立されていますが、そこに対しての想いもあるのでしょうか。

――日本(娱乐圈)确立了牢牢的事务所管理制度,对此您有何看法?

小栗旬:自分がやりたい作品とは全く違うタイプの作品をマネージメントが決めることもありますが、それに出演したことで「こういう小栗旬が観たかった」と言っていただけることもあります。そういった反応が生まれるのはおもしろいのですが、俳優としてのリスクが少ないんじゃないかなと思う部分もあって。もっと役者が責任を背負ってもいい仕事だと思うんです。

小栗旬:虽然有时事务所会决定一些与自己想演的作品类型截然不同的作品,但是出演后也会有人说“好想看到这样的小栗旬”。虽然有这样的反馈很有意思,但是作为演员所要承担的风险是不是太少了点呢?我认为这是一份演员可以承担更多责任的工作。

――“俳優としての責任”という意識はどうすれば高めていけると思いますか?

――关于“作为演员的责任”的意识,你认为要怎么做才能提高呢?

小栗旬:海外でお仕事されている方に会うと、みなさん普通に出演料とかお金の話をするんです。自分はこの作品でいくら貰ったとか(笑)。日本の役者は、ひとつの作品に出演してどのくらいの出演料をいただいているのかさえ知らずに仕事をしている人も多いんじゃないかなって。どっちが正しいとは言えませんが、それもきちんと知ることによって、役者のなかに生まれる責任感も大きく変わってくると思います。

小栗旬:在海外和工作的人会面,大家都很平常地说着出演费啊钱之类的话。自己在这部作品中赚多少之类的(笑)。但日本的很多演员,在出演了一部作品后甚至连自己赚了多少都不知道的情况下还继续工作,不是吗?虽然不能说哪个才是对的,但是我觉得如果知道自己的收入的话,在演员这份职业中所产生的责任感也会随着发生巨大的变化吧。

――責任という意識を高めた人たちが映画製作に関わることで、日本映画界全体が底上げしていったらすごくいいですよね

――如果提高了责任意识的人参与到电影的制作中去,日本电影界也得到全面提升的话那就太好了。

小栗旬:もっとみんながそれぞれ責任を負うことで、例えばプロモーションにも積極的になったり、いろいろなアイディアが生まれたり、作品にとって良い方向につながっていくと思うんです。なんとなくプロモーションをやって、責任を負うのは主演だけみたいなところも正直あるじゃないですか。でも、一緒に作品を作った人たちが高い志と大きな責任を負っていれば、現状のいろいろなことが変わっていくんじゃないかなと思うんですよね。

小栗旬:因为大家承担着不同的责任,打比方说即便只是宣传也积极对待,提出各种各样的点子等等,这对作品而言会关系到它向好的方向发展。虽然做宣传、担负责任等事有点像只该主演负责的事情。但是,我觉得如果一起创作作品的人能有远大志向和能够背负重责的话,现在很多的事情不是都能改变了吗?

――先ほど、ご自身がやりたいものとは違う作品への出演にもおもしろい反応があるとおっしゃっていましたが、今年の出演作を見ると役柄や作品がバラエティに富んでいますね。

——刚才,虽然您说即便自己出演了与自己想参演的作品完全不同的作品也得到了有趣的反馈,但是从今年出演的作品来看,角色和作品的类型都非常丰富啊。

小栗旬:ここ最近は、オファーをいただく役に関しては、すごく良い流れができていると感じています。つい最近まで『銀魂』の主人公・坂田銀時を、今は『君の膵臓をたべたい』で久々にキラキラした人物を演じていて、次回公開作品は『追憶』の少しくたびれた男の役が控えています。そういう異なる役柄を選んでいるわけではないのですが、何か不思議な力が働いているような、良い風が吹いているんじゃないかと感じながらお仕事をさせていただいています。

小栗旬:关于接到通告的角色,我觉得最近势态非常好。刚不久前《银魂》的主人公坂田银时、现在的《我想吃掉你的胰脏》中饰演久违的闪闪发亮的人物、以及接下来要上映作品《追忆》中将要饰演的稍显颓废的男人的角色。虽然不是有意选择这些类型各异的角色,但不知道为什么,好像有股不可思议的力量在推动一样,让我的事业也吹起了春风。我一边这么想着一边工作着。

――イメージの定着を避けるために意識的に役柄や作品を選ぶということはないですか?

――并不是为了避免形象固定化而有意选择角色和作品的吗?

小栗旬:全く意識していないです。というのも、僕に対してイメージを固定化している人は、僕がどんな役を演じようが簡単には変わらないと思うので。最近あるテレビ番組を観ていたら、僕のモノマネをされている方が何人か出てきたんですけど、全部似たような感じだったんです(笑)。僕はこういうイメージなんだなと実感できたというか。でも、逆にイメージが固定化されていたほうが、チャレンジングな役を演じたときにおもしろがってもらえるという楽しみもありますよね。

小栗旬:完全没有这个意识。这是因为,我觉得对我已经形成固定印象的人们,对于我演怎样的角色他们的想法都不会轻易地被改变。最近看了某个电视节目,(节目中)有几人在模仿我,我觉得模仿的都挺像的(笑)。怎么说呢,我才发现自己原来是这样的形象啊。但是,反过来说形象被固定化的话,饰演具有挑战性角色的时候会让人觉得很有趣,充满期待。

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