東京都内には紅葉を楽しむスポットはあまりない、とお思いではありませんか。いえいえ、実は、山手線の内側にだって、晩秋の風情を楽しめる場所がたくさんあります。今回は、その中から、わたしのイチオシ、上野公園から谷中墓地を歩くコースをご案内します。紅葉だけでなく、仏像も見られ、庭園も楽しめ、墓地歩きもナイスな、東京一の散歩コースだと思います。

大家是否有想过东京都内赏红叶的地点太少呢?不然不然,其实就在山手线里侧就有很多地方能感受晚秋风情。本次就来介绍我的观赏路线,即从上野公园到谷中墓地的步行线路。途中不仅可观赏红叶,还能看到佛像、庭院等,墓园中散步也很惬意,个人认为这是东京最佳的散步路线。

ホントは誰にも教えたくないけれど、この一帯には、よい木のあるお寺がいくつかあって、平日ならば、美しい紅葉風景を独り占めできます。ただし、このあたりの紅葉は、京都と違って、赤いもみじばかりではないです。イチョウの黄色、桜の赤茶色、ナナカマドの真っ赤など、さまざまな色の木が重なり合い、京都のお寺風景とはまた違った魅力があります。写真愛好家の方は、カメラの準備もお忘れなく。

其实我本不想告诉任何人,这一带有几个古木参天的寺庙,平时可独享美丽的红叶景致。不过这附近的红叶与京都不同,并非全然红色。银杏的黄色、樱树的赤茶色、七度灶的鲜红,各种色彩的树木交相掩映,又有一番不同于京都寺庙风景的魅力。爱摄影的可别忘了准备好照相机。

※今回使用する写真のほとんどは、2006年の12月2日に撮影したものです。この日は、おそらくこの年のベスト日だったと思いますが、紅葉の進行具合はその年の気候によって違うので、ご注意ください。

※本次所使用的照片都是2006年12月2日拍摄的。我认为这天可能是当年最好的日子,由于观赏红叶的时期因当年气候不同而异,敬请注意。

東京国立博物館は、特別な展覧会の際には、たいへんな人出になるのですが、それ以外のときは、なぜか人影が少ない不思議なスポット。しかし、ここでわたしは声を大にして言いたい。東京国立博物館は、京都や奈良の国立博物館よりも大きく、常設展の充実度も日本一なんです。

东京国立博物馆除了在举行特别展览时会有巨大人流外,其余时候则不知为何却鲜有人至,真是不可思议。可是,我想在此高呼,东京国立博物馆不仅比之京都、奈良的国立博物馆更大,常设展品之丰富也是日本第一。

 

とりわけ仏像について知りたい方には、常設展をじっくり見ることをお勧めします。本館には、京都や奈良の有名寺から運ばれてきた仏像やそのレプリカもあり、歴史を追って、日本の仏像を見て行くことができます。法隆寺宝物館もあり、奈良に行かずとも、法隆寺に伝わる古い時代の仏像を大量に見られます。また、東洋館(アジアギャラリー)では、インド、東南アジア、中国、韓国などの、日本のものとはまた違う仏像が、たくさん展示されています。ここは、世界の仏像の歴史を一ヶ所で見られるマニアの殿堂なのだ。

尤其是想要了解佛像的人,推荐在此仔细观览常设展品。本馆里还有从京都、奈良的名刹运来的佛像及其复制品,可顺着历史观看日本的佛像。这里还有法隆寺宝物馆,即使不去奈良,也可以看到大量法隆寺传下来的古老佛像。此外,在东洋馆(Asia Gallery)里还展示有大量印度、东南亚、中韩等国又与日本不同的佛像。仅在此一处就能观赏到世界各国的佛像历史,真可谓狂热者的殿堂。

その上、常設展は大人600円、学生400円と、とってもお安い。特別展は別料金となりますが、その場合は、特別展の入場料で、膨大な常設展もすべて見られるのです。そういうわけで、国立博物館に行くときは時間をたっぷり取ってください。特別展だけでは、もったいないなさすぎです。紅葉も、実は、東京有数の素晴らしさなんだから。

常设展览票价为大人600日元、学生400日元,非常便宜。虽然特别展会另行收费,可是特别展的入场费也能看到海量的常设展品。基于这些原因,准备去国立博物馆时请预备好充足的时间,如果只看特别展就太浪费了。毕竟其附近的红叶也是东京屈指可数的观赏名地。

 

現在の上野公園一帯には、かつて、寛永寺という巨大な寺がありました。これは、徳川三代将軍の家光が、父のように慕っていた謎のお坊さん、天海僧正の意見に従って建てたもので、江戸の町から見て鬼門に当たる上野の山にあります。108歳まで生きたと言われる天海僧正は、風水に通じた人で、これ以外にも、江戸の町のデザインをいろいろ考えました。

现在的上野公园一带,曾经有一所叫宽永寺的巨大寺庙。这是德川第三代将军家光依据曾深受其父青睐的神秘和尚天海僧正的建议修建的,其地处江户城之鬼门上野山。据传活到108岁的天海僧正精通风水,除此以外还对江户城的规划也颇有建树。

 

隆盛を誇った寛永寺は、幕末の上野戦争でほとんど燃えてしまい、今の寛永寺は、国立博物館から少し歩いたところの一角にある、小さなお寺です。いや、境内はそこそこに広いが、今の上野公園以上に広かった江戸時代と比べれば小さいということ。そこには今、根本中堂というお堂があります。これは、天海僧正が寛永寺を作る際にお手本にした京都の比叡山延暦寺の一番大切なお堂と同じ名前です。

繁盛一时的宽永寺在幕末时期的上野战争中几乎延烧殆尽,如今的宽永寺位于国立博物馆不远处之一隅,只是个小寺院。其实其占地并不小,只是与江户时期胜于今日上野公园的占地相比就显得狭小寒碜了。现今那里还有一个叫根本中堂的堂社。这是天海僧正建立宽永寺时,以其所模仿的京都比叡山延历寺中最重要的堂社命名。

しかし、このお堂は、昔からあったものではなく、川越の喜多院というお寺から移築されたものです。なぜ、はるばる川越からお堂が運ばれたか、それは、天海僧正に深い関係があります。天海僧正は、もともとその喜多院の住職さん。喜多院が焼けた際は、江戸城の一部を移築したほど有力なお寺です。そして、上野の寛永寺が焼けてしまったときには、喜多院が、その本堂を寛永寺にプレゼントしたのでした。

然而,该堂并非古来即有,而是从川越的喜多院寺迁移过来的。为何要不远千里从川越搬过来呢?只因其与天海僧正渊源颇深。天海僧正原是喜多院寺住持,喜多院被焚时,甚至迁建了江户城的一部分,可见其原本规模多么宏大。而上野的宽永寺焚毁时,喜多院遂将其本堂作为礼物送给了宽永寺。