僕らの人生にはもう後戻りができないというポイントがある。それからケースとしてはずっと少ないけれど、もうこれから先には進めないというポイントがある。そういうポイントが来たら、良いことであ

れ悪いことであれ、僕らはただ黙ってそれを受け入れるしかない。僕らはそんなふうに生きているんだ。

我们的人生有个至此再后退不得的临界点,另外虽然情况十分少见,但至此再前进不得的点也是有的。那个点到来的时候,好也罢坏也罢,我们都只能默默接受。我们便是这样活着。

僕らの頭の中には、たぶん頭の中だと思うんだけど、そういうものを記憶としてとどめておくための小さな部屋がある。きっとこの図書館の書架みたいな部屋だろう。そして僕らは自分の心の正確なありか

を知るために、その部屋のための検索カードをつくりつづけなくてはならない。掃除をしたり、空気を入れ替えたり、花の水をかえたりすることも必要だ。言い換えるなら、君は永遠に君自身の図書館の中

で生きていくことになる。

我们的脑袋里—我想应该是脑袋里—有一个将一些作为记忆保存下来的小房间。肯定是类似图书馆书架的房间。而我们为了了解自己的心的正确状态,必须不断制作那个房间用的检索卡。也需要清扫、换空气给

花瓶换换水。换言之,势必永远活在自身的图书馆里。

以上名言出自村上春树著名长篇奇幻小说《海边的卡夫卡》。故事分两条线索展开,讲述了少年卡夫卡和老人中田隔空杀人后,不但没有得到惩戒,犯了故意杀人罪、乱伦罪、强奸罪的卡夫卡反而成为“世界上最顽强的少年”,中田也宁静地得到了解脱。