日本っていま、ハワイブーム?

现在的日本,正在爆发夏威夷热潮?

ハワイを特集する雑誌やテレビ番組は定期的に目にしますが、近ごろ、ハワイが“より”話題になっていると感じませんか? 例えば、巷で話題のパンケーキ。そのブームの先駆けになった Eggs'n Thingsをはじめ、Cafe Kaila や最近では FORTY NINER HAWAII など、ハワイ発の有名なパンケーキ屋さんが日本で相次ぎオープンしています。また、希少なハワイ産カウコーヒーを100%使用したコーヒーや、アサイーボウルを提供するIsland Vintage Coffee、ファイヤーローストチキンが人気の MAUI MIKE’S など、コーヒーショップやローカルに人気の飲食店も、続々と進出を始めているんです。

虽然定期会看到夏威夷相关的特刊杂志和电视节目,但最近,不觉得夏威夷又成为热门话题了吗?例如,街头巷尾话题度极高的薄煎饼。带来这场夏威夷热潮的先驱者就是以 Eggs'n Things为首,包括Cafe Kaila和 FORTY NINER HAWAII 等,类似的夏威夷名品小吃店相继在日本开张。另外,100%使用稀有的夏威夷产的KAU咖啡,同时提供Acai bowl套餐的Island Vintage Coffee,拥有人气Roast Chicken的MAUI MIKE’S 等,相关的咖啡店及当地的小吃店,也相继出现在日本。

ハワイへの親子留学が秘かに人気?

前往夏威夷的亲子留学正悄悄兴起?

そんな日本で、子どもを持つ親たちから秘かに人気を集めているのが、ハワイへの親子留学。留学期間は1週間未満から3カ月ほどまでとさまざまで、特に4〜6歳の未就学児とその母親が行く「母子留学」のケースが多いのだそう。

现在的日本,在孩子的父母之间正悄悄兴起一股潮流,即前往夏威夷的亲子留学。留学期间为不满一周到3个月不等。特别是4〜6岁的学前儿童,和妈妈一起参加“母子留学”活动的特别多。

ハワイは日本人の旅行先として馴染みがあることや、日系人が多く暮らし、米食など日本と同じような食事がとりやすいことも、留学先として選ばれるポイントのようです。自然も豊かで過ごしやすい環境の中、英語力をつけ、異文化交流もできるのは魅力的ですね!

夏威夷作为日本人常去的旅游胜地,对各方面都很熟悉,同时有相当多的日本人居住在夏威夷。在那里,能很方便地吃到日本料理。这就是日本人选择去夏威夷留学的原因吧。同时,夏威夷自然环境良好,既可以锻炼英语,还可以感受不同文化交流碰撞的魅力!

ご飯のお供からお菓子まで ハワイで愛される日本の食文化

从米饭到和式小点心 在夏威夷受热捧的日本饮食文化

方言まである?ハワイに根付いた日本語

甚至还有方言?生长在夏威夷的日语

ハワイに根付いた日本文化は食だけではありません。日本人のハワイ旅行が一般化するはるか前から、ハワイで暮らしていた日本人移民が使っていた日本語も、長い年月を経て、ハワイの言葉として定着したようです。

日本文化里,不仅仅只有饮食文化根生在夏威夷。早在很久以前,日本人前往夏威夷旅游就已经成为家常便饭,居住在夏威夷的日本移民所使用的日语,经过长年累月的变迁,仿佛也成为夏威夷语言的一部分了。

明治元年に移民が始まっていた

明治元年开始移民

それにしても、なぜこれほどまでに日本文化がハワイに根付いているのでしょう? ハワイと日本の関係は、明治元年に始まります。日本人が移民としてハワイに初めて渡ったのが、明治元年(1868年)のこと。当時、規模を拡大していたサトウキビ産業の労働者として、149人の日本人がハワイへ渡ったのです。

即使如此,为什么日本文化能如此程度地生根在夏威夷呢?实际上夏威夷和日本的关系,开始于明治元年。明治元年(1868年)日本人首次移民于夏威夷。当时,作为大规模的甘蔗产业的劳动人员,有149名日本人前往夏威夷工作

初めての日本人移民(元年者/がんねんもの)のほとんどは、過酷な労働や物価高による生活苦により、短い間で農場を去ってしまいました。しかし、1885年に日本からの移住が再開されると、移住が事実上不可能になる1920年代までに、約22万もの日本人が渡航。その多くがハワイに残ったといいます。そのため、現在でもハワイには日系人が多く暮らしており、アメリカ合衆国の中でハワイ州は、人口に対する日系人の比率がもっとも高い州となっているんです。

最初的日本移民(第一批人)大部分都是,经过了辛苦的劳动、承受着超高的物价、饱尝了生活之苦,短时间内都离开了农场。但是,1885年再次开放对日的移民居住权,直到1920年移民居住权变得不可能,这期间大约有22万日本人前往夏威夷。这部分人就留在了夏威夷。所以,即使是现在,也有很多日本人居住在夏威夷,夏威夷州在美国的各州中,日本人口比例最高。

ハワイには100カ所以上のお寺がある!

夏威夷有超过100所的寺庙!

明治元年に始まった移民で、ハワイへは全国各地から人々が移り住みましたが、なかでも広島、山口、熊本、沖縄といった地域の出身者が多かったようです。日本人移民全員がサトウキビ畑で農作業に従事していたわけではなく、お寿司屋さんや食料品店を開いたり、日本人向けの教師や医師、お坊さんとして活動するために渡航を決意した人も少なくなかったそう。

从明治元年开始,夏威夷有来自日本全国各地的移民,其中出身于广岛县、山口县、熊本县、冲绳县等地的人们居多。并不是所有的日本移民都在甘蔗田从事农业劳动,也有人开寿司店、食品料理店,也有人从事面向日本人的教师、医生、和尚法师等职业,因此,决定移民的人相当多。

異国で暮らす移住者が心身を安らげるための場所として、銭湯やお寺などもつくられ、いま、ハワイに現存するお寺の数は100カ所以上といわれています。ちなみに、オアフ島にある平等院鳳凰堂を模した Byodo-In Temple は、日本人移民100周年を記念して1986年に建てられたもの。同島のチャイナタウンには Izumo Taishakyo Mission of Hawaii(ハワイ出雲大社)もあり、お参りをしてお守りを手に入れると良縁がある、と若い女性を中心に人気を集めているんです。

为了让远在异国他乡的日本移民的身心得到温暖,建造了大量的浴场和寺庙。据说现在夏威夷有超过100所现存寺庙。顺便说一下,瓦胡岛的模仿平等院凤凰堂的Byodo-In Temple ,就是日本人人于1986年为纪念移民100周年而建造的

ハワイに根付く日本の夏の風物詞とは?

生长在夏威夷的日本夏季风物诗是?

お寺といえば、これからの季節、全国で盛んに行われるのが盆踊り。なんと、盆踊りはハワイでも「Bon Dance(盆ダンス)」として受け継がれているんです!

说起寺庙,夏季会在全国举行盛大的盂兰盆会舞。不可思议的是,盂兰盆节在夏威夷以“Bon Dance”的名义而继承下来

盆ダンスのシーズンは日本の盆踊りより長く、毎年6月から9月初旬にかけて。シーズン中は毎週末、ハワイ諸島のお寺や公園などに「盆ダンスクラブ」のメンバーたちが集まり、日系一世から代々受け継いできた民謡や、日本の盆踊りでも演奏されるアニメの音頭などで踊りを楽しむのだそう。

Bon Dance节的活动周期比在日本要长,从每年6月开始到9月初结束。活动期间的每周末、夏威夷各个岛的寺庙和公园等都聚集了“Bon Dance Club”的成员,有从日系一世开始代代相传的民谣,也有日本盂兰盆节的演奏的动画等集体舞蹈的歌曲等,大家欢快地舞蹈。

アロハシャツルーツは着物の柄?

夏威夷衬衫来源于日本和服?

ハワイの代名詞といえるアロハシャツ。その誕生には諸説ありますが、日本文化が深い影響を与えているといわれています。

说起夏威夷的代名词,一定是夏威夷衬衫。虽然夏威夷衬衫的来源有很多种传说,但据说是深受日本文化影响的产物。

アロハシャツは、農園で働く労働者が着ていた作業着「パラカシャツ」を原型に、日本人移民が着物をシャツに仕立て直して着ていたところ、着物の柄に惹かれた人々が、シャツの柄として取り入れることで広まったともいわれているんです。20世紀初頭には、反物を使ってシャツをつくる服飾店も現地で誕生し、和柄を使った鮮やかな柄のアロハシャツはハワイの定番ファッションとして浸透します。

据说夏威夷衬衫是,以农场劳动人民穿的工作服“巴拉卡衬衫”为原型,当初日本移民把和服改成了衬衫,由于人们很喜欢和服的身量,于是衬衫也仿照和服的身量来制作,并不断流传开来。20世纪初期,当地出现了用布做的衬衫的服装店,使用和式身量、带着鲜艳花纹的夏威夷衬衫作为夏威夷的特定时尚浸透于生活各处。

初のハワイツアー、お土産は100個以上のパイナップル!?

最初的夏威夷旅行,土特产是超过100个的菠萝!?

海外旅行がまだ自由にできなかった1963年。加山雄三主演の映画「ハワイの若大将」が大ヒットし、日本人のハワイへの憧れをさらに強いものにしました。1964年に旅行目的での海外渡航が解禁されると、この年に海外へ渡航した日本人約12万8千人のうち、ハワイをめざした人は全体の3割近くの約3万5千人に上ったといいます。さて、現代のように格安航空券もない当時、ハワイへの渡航費用はいくらくらいだったのでしょう?

早在海外旅行还没开放的1963年,由加山雄三主演的电影《夏威夷的年轻大将》受到人们的热烈追捧,从而使日本人对夏威夷的憧憬更加强烈。1964年开放海外旅游政策,这一年里,前往海外旅游的日本人达12万8千人,据说其中去往夏威夷的人占总人数的3成,约3万5千人。当时和现在不一样,根本没有特价机票,当时前往夏威夷的航班费得需要多少钱呀?

海外渡航が解禁されてから1週間後の同年4月8日、羽田からホノルルに出発した日本初の団体ツアーの料金は、7泊9日で36万4千円。男性会社員の平均月給が約6万円の時代ですから、庶民にはなかなか手の届かない豪華ツアーだったようです……。比較的裕福な参加者が多かったといいますが、参加者は銀行が主催する積立預金を使って、渡航の3年前から毎月1万円ずつの積み立てをしていたといいます。

开放海外旅行的一周后,即同年的4月8日,首次从日本羽田到夏威夷檀香山的这一航程,9天7夜的团体游费用为36万4千日元。当时是男性职员的月平均工资约6万日元的时代,对于普通人来讲,简直就是可望而不可及的豪华之旅……。虽然能去旅行的都是相对比较富裕的人群,但是这些人也是通过银行的零存整取服务,早在旅行的三年前就开始每月存入1万日元,才得以实现豪华的夏威夷之旅。

そして、記念すべきツアーのお土産で人気だったのは、日本でとても高価だったパイナップル。帰りの飛行機には、なんと100個以上ものパイナップルが積み込まれたそうです!

而且,具有旅行纪念意义的土特产是在日本售价昂贵的菠萝。所以在返程的飞机上,经常有携带100多个菠萝回国的人!

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