樋口 一葉(ひぐち いちよう)

(1872年5月2日 - 1896年11月23日)

代表作:『たけくらべ』(青梅竹马)『にごりえ』(浊流)『十三夜』

生平:樋口一叶是明治时期的日本女性小说家,生于东京。由于家境中道没落,樋口一叶为了维持一家生计,先后做过很多杂工并以小说稿费为生。在24岁时因肺结核不幸英年早逝。樋口一叶的文笔古朴清秀,善用雅俗折衷体,是明治时期女性作家的先驱者。2004年开始日本的五千日元纸币正面换成樋口一叶的肖像,这是日本自1881年的神功皇后以来第二次在纸币上使用女性肖像。

作品节选:

(集英社版《青梅竹马》,封面由漫画家河下水希绘制)

たけくらべ  

庭なる美登利はさしのぞいて、ゑゑ不器用なあんな手つきしてどうなる物ぞ、紙縷は婆々縷(ばばより)、藁(わら)しべなんぞ前壺(まへつぼ)に抱かせたとて長もちのする事では無い、それそれ羽織の裾(すそ)が地について泥に成るは御存じ無いか、あれ傘が転がる、あれを畳んで立てかけて置けば好(よ)いにと一々鈍(もど)かしう歯がゆくは思へども、此処に裂(き)れが御座んす、此裂(これ)でおすげなされと呼かくる事もせず、これも立尽して降雨袖に侘(わび)しきを、厭(いと)ひもあへず小隠れて覗(うかが)ひしが、さりとも知らぬ母の親はるかに声を懸けて、火のしの火が熾(おこ)りましたぞえ、この美登利さんは何を遊んでゐる、雨の降るに表へ出ての悪戯(いたづら)は成りませぬ、又この間のやうに風引かうぞと呼立てられるに、はい今行(ゆき)ますと大きく言ひて、その声信如に聞えしを耻(はづ)かしく、胸はわくわくと上気して、どうでも明けられぬ門の際(きわ)にさりとも見過しがたき難義をさまざまの思案尽して、格子の間より手に持つ裂れを物いはず投げ出(いだ)せば、見ぬやうに見て知らず顔を信如のつくるに、ゑゑ例(いつも)の通りの心根と遣る瀬なき思ひを眼に集めて、少し涙の恨み顔、何を憎んでそのやうに無情(つれなき)そぶりは見せらるる、言ひたい事は此方(こなた)にあるを、余りな人とこみ上(あぐ)るほど思ひに迫れど、母親の呼声しばしばなるを侘しく、詮方(せんかた)なさに一ト足二タ足ゑゑ何ぞいの未練くさい、思はく耻かしと身をかへして、かたかたと飛石を伝ひゆくに、信如は今ぞ淋しう見かへれば紅入(べにい)り友仙の雨にぬれて紅葉の形(かた)のうるはしきが我が足ちかく散(ちり)ぼひたる、そぞろに床(ゆか)しき思ひは有れども、手に取あぐる事をもせず空(むな)しう眺めて憂き思ひあり。

解说:

《青梅竹马》描写了吉原烟花巷中少男少女的苦涩青春故事。たけくらべ即“(小孩子)比身高”,因此国内也有版本翻译成《比肩》。たけくらべ延伸出“青梅竹马”的含义源自日本平安时期的歌物语《伊势物语》二十三段筒井筒(つついづつ),该段讲述了一对青梅竹马长大结为夫妇后丈夫移情别恋,但听完妻子咏的一首和歌后又回心转意的故事。青梅竹马时代两人互通心意的和歌如下:

筒井つの 井筒にかけし まろがたけ 過ぎにけらしな 妹見ざるまに

(当年还够不到水井边沿的我的身高,现在已经远远超过了井沿,在没有见到你的这段时间里)

くらべこし ふりわけ髪も 肩過ぎぬ 君ならずして たれかあぐべき

(和你比过高矮的我的短发已长过肩,除了你之外我还会为了谁盘起它呢)

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