今年は新年早々、芸能ニュースの話題が沸騰した。まだ3ヶ月しか経っていないというのに、1年分に相当するくらいの話題を提供したといえるのではないだろうか。SMAPの解散問題にはじまり、ベッキーの不倫問題など、世間に衝撃を与える出来事が相次いだ。そういえば自民党の宮崎謙介衆議院議員(当時)の不倫の問題も記憶に新しい。

今年新年伊始,娱乐新闻的话题就沸腾起来。还没过完3个月,就可以说提供了相当于1年的话题了吧。首当其冲的是SMAP的解散问题,接着Becky出轨问题等震动社会的事件接连不断。那么说来,当时自民党的众议院议员宫崎谦介爆出的出轨问题也让人记忆犹新。

そして、問題が発覚するたびに、テレビでは謝罪会見の模様が放送されているのも日常茶飯事だ。

另外,每当问题暴露的时候,在电视上播出谢罪记者会是司空见惯的事情。

• 外国人はテレビで謝らない

• 外国人不在电视上致歉

芸能人に限ったことではない。今年は企業の不祥事も相次いでいる。事件や事故を引き起こした企業のトップが謝罪会見を行う光景は、珍しいものではなくなった。このところやたらと、日本を「スゴ~イデスネ!」と褒めちぎる番組が放送されている一方で、これだけ芸能人や企業が謝罪しまくっている光景を見せられると、本当にニッポンはすごいのか?と疑問を抱いてしまうほどだ。

电视致歉不仅限于艺人。今年企业丑闻也不断爆出。惹出事件或者事故的企业高层举行谢罪记者会的情景,已不再是什么稀奇事。最近一方面胡乱播出着将日本过度赞美为“超~牛!”的节目(即:朝日台节目“惊艳世界的日本!超厉害!!视察团”),另一方面展现这些个艺人和企业一个劲儿谢罪的情景,不禁让人抱有“日本真的那么棒吗?”的疑问。

さて、毎日のようにテレビで放送される謝罪会見だが、実は日本独特の文化であることをご存知だろうか。『世界でも珍しい『謝罪会見』という光景』(マッド・アマノ・著/アドレナライズ・刊)には、著者とデーブ・スペクター氏の対談が掲載されている。対談によると、外国の企業のトップは「まず謝罪ありき」という手法に対して、かなり抵抗があるのだという。

那么,虽说谢罪记者会几乎每日在电视台播出,可实际上知晓其中日本独特的文化吗? 《即使在全世界都少有的“谢罪记者会”的情景》(天野正之著/Adrenalize出版)一书中,登载了作者与戴夫・斯佩克特(Dave Spector)的对谈。在对谈中,外国企业的高层表示相当抵触“首先谢罪的惯例”这一手法。

• 土下座を受け入れる文化

• 吸收土下座的文化

デーブ氏は、アメリカでも企業が不祥事を起こした場合、もちろん遺族や被害者に対して哀悼の意を伝えるが、テレビを通じて公的に謝罪会見を行う文化はないと解説している。プライベートで手紙を出したりして謝罪するのが一般的なのだそうだ。そして、国民も、企業は法的に制裁を受ければいいというスタンスでいるのだという。

戴夫解说道,当美国的企业爆出丑闻以后,当然要向遗属和受害者传达哀悼之意,但是没有通过电视台举行官方谢罪记者会的文化。一般通过私人信件等方式表达歉意。另外,国民也总会站在让企业接受法律制裁的立场上。

そのため、外国企業の不祥事に日本人が巻き込まれた場合、謝罪の有無で軋轢が生まれることがあるそうだ。

因此,当日本人卷入外国企业丑闻的时候,有可能在是否谢罪的事情上产生分歧。

なぜ日本人は謝罪会見をするのだろう。本著では、日本人の土下座を受け入れる文化も、一つの原因ではないかと解説している。誠心誠意謝れば許してもらえるのだ。ただし、逆にそうしなければ相応の社会的制裁を受けなければならない、という風潮があるようだ。

为什么日本人会举行谢罪记者会呢?本书解说道,日本人吸收土下座文化也许是原因之一。如果诚心诚意致歉的话就能够得到原谅。但是,反而可能存在“只要谢罪就不必要接受相应社会制裁”的风潮。

• 謝罪会見の失敗で企業が潰れる

由于谢罪记者会失败导致企业倒闭

昨今、twitterなどのSNSの発達によって、一般の人も企業の問題を告発できるようになった。ネットのちょっとした一言がきっかけになり、企業のトップが謝罪に追い込まれた例もある。

近年来推特等SNS(社交网络)发达,因此变得一般人也能够告发企业的问题。也有因为网络上不起眼的一句话,企业高层就陷入谢罪窘境的例子。

今までは泣き寝入りしていた人の声がトップにも届くようになったという点では、歓迎すべき点かもしれないが、一方で、筆者はこのように指摘している。

SNS让迄今为止那些曾经一直忍气吞声的人们也可以把心声传达给高层,从这一点看可能是值得欢迎的,但另一方面笔者指出了如下不足。

何かあれば謝罪しないことには収まらないという社会的風潮が強まっている。不祥事を起こしたことを隠蔽したり、対応を誤れば企業の命取りになりかねない。それだけに企業は謝罪に神経質になっている。

无论发生了什么,不谢罪就解决不了问题的社会风潮变得越来越猛烈。掩盖发生丑闻的真相,或者应对失当的话有可能成为企业的致命伤。正因为如此,企业变得对谢罪越来越神经质。

昭和30年代に某乳業メーカーが多数の死者を出す不祥事を起こしたことがあるが、それでも会社は潰れなかった。しかし、今は不祥事で会社が潰れることも珍しくなくなっていると、筆者は解説する。それこそ、謝罪会見の印象の悪さが、企業に止めを刺す例も少なくないのだ。

笔者解说,昭和30年代(1955年至1964年)某乳业生产商虽然爆出了产生很多死者的丑闻,公司却没有倒闭。但是,如今公司因为丑闻而倒闭不再是什么稀奇事。正是如此,产生了不少因为谢罪记者会印象糟糕,而断送企业的例子。

• 謝罪会見はどこへ行くのか

谢罪记者会的未来向何方

謝罪会見はしょっちゅう行われているし、今や形式的なものになりつつある。そのためだろうか。謝罪会見後にネットを見ると、企業や芸能人の謝罪が本音なのかどうか、かまびすしく論争が交わされることが多い。

谢罪记者总是不断举行,如今已经越来越流于形式。为此该怎样做呢?谢罪记者会之后浏览下网络,企业或者艺人的谢罪是否出于本心呢,其论争往往甚嚣尘上。

企業の不祥事によって死者が出た、という例なら謝罪会見が行われても当然かもしれない。しかし、芸能人がちょっとした失言をしたときに、「謝罪しろ!」と袋叩きにするのはどうなのだろうか。病的な印象を受けてしまう。謝罪するほどでもないことでも、謝罪していることが多いと本著は指摘する。この風潮が行き過ぎてしまうと、めちゃくちゃ生きづらい世の中になってしまう気がするのは、私だけだろうか。

因为企业丑闻出现死者的情况下举行谢罪记者会也许是理所当然的。但是,当艺人只是一时失言的时候,就被围攻着“去谢罪!”又是什么呢?给人留下病态的印象。本书指出,即使不至于谢罪的事情也谢罪的情况很多。这种风潮过度流行的活,就会感到这个社会变得失度而难以生存的人,难道只有我一个吗?

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