会社で親友を求めるのは難しい

很难在公司交到密友

人間は幾つになっても悩み深い生き物だと思います。
『何でも話せる同僚がいない』『何でも相談できる上司がいない』といった若い人の悩みをたびたび耳にするようになりました。

人类是不论多大都有很多烦恼的生物。
“没有什么话都可以说的同事”“没有什么事都可以商量的上司”经常会听到年轻人说这些烦恼。

私の若い時を振り返ってみると、このような気持ちは持っていませんでした。
『何でも話せる親友』『何でも相談できる先輩や先生』こんな感じに聞こえるのですが、これは学校では通じると思います。しかし同じ会社の人間は、利益を追求するという意味では同僚ですが、一面会社内では出世を競うライバルでもあります。
 
回想我年轻的时候,却并没有这种想法。
“什么都可以说的好朋友”“什么都可以商量的前辈和老师”类似这种感觉在学校才会有。同一公司的人在追求利益上是同事,但在公司内部也是出世的竞争对手。

もともと純粋な友だち関係にはなり得ないのだ思います。
私などはちょっと友情という感性に問題があるのかもわかりませんが、学生時代を通じて『何でも話せる親友』というものは持っていません。
何でも話してしまうことが怖いのだと思います。これはやはり自分自身の臆病気質のせいだと思います。

我觉得本来就没有纯粹的朋友关系。
或许是我这种人对友情的感受性上存在问题,整个学生时代都没有“可以什么话都说的密友”。
什么话都说——我觉得这很恐怖。这还是归咎于自己的胆小性情吧。

逆の立場で何でも話されても、私にはちょっと荷が重いような気がします。
『私の話を聞いてくれた』『私のことを分かってくれた』と喜んで話す人がいますが、このケースは多分に自分の考えに相手が賛同してくれたということを意味するようです。
反対に『私の話を聞いてくれない』『私のことを分かってくれない』といったケースは、相手が賛同してくれなかった時が多いようです。
社会人になってお互い心底分かり合え、尚且つ自分の意見に無条件に賛同してくれる人は極稀だと思います。

换个角度来说,如果什么话都给我说的话,我会觉得有些负担。
“倾听了我所说的”“理解了我所说的”——虽然有人高兴地这么说,但这种情况多是意味着对方赞同自己的想法。
相反地,“没听我的话”“不理解我”——这种情形则多是对方不赞同自己。
成为社会人之后能够从内心深处相互理解,并且能够无条件赞同自己的人真是非常罕见。

社会人になれば、いろいろな考えの人が存在するのだと諦観するのが、社会人の社会人たる所以だと思います。
お互い心底分かり合える親友を求めるのは純粋過ぎると思います。
ですから、『自分には親友がいない』と落胆する人は、純粋な期待も大きいだけに、その落胆もまた大きいものになります。
その落胆が、『自分だけ仲間はずれになっている』というところまでいってしまうことも多々あるようです。

走上社会,抱有什么想法的人都有,也正因为大家都是社会人的原因吧。
想要找到互相毫不保留的亲密朋友的想法太天真了。
因此,因“自己没有亲密朋友”而沮丧的人,正是因为这种纯真的期待太大了,沮丧的感觉才会这么强烈。
这种沮丧甚至会发展成“只有自己被大伙排除在外”的感觉。

私からするとちょっと被害者意識が強過ぎるように思えるのですが、本人は悪い方悪い方に考えが行ってしまうようです。
人間関係はお互いの距離感が大切です。距離が近づき過ぎると、それだけ相手からの影響度も大きくなります。

在我看来,这样未免是被害意识有点强了,是本人想法太过灰暗的结果。
人际关系中相互之间的距离感很重要。距离过近的话,受对方的影响也会变大。

良きにつけ悪しきにつけ、逃げ場も少なく衝撃度は大きくなります。家族、恋人、親友といった関係ならいいのですが、仕事をする上での同僚、先輩、上司といった関係では、円滑に仕事をするためだけの距離感で十分であるはずです。それ以上距離を詰める必要性はないと思います。
会社では仕事をするということがまず最優先事項であるからです。

不管好坏,容身之处会变少,冲击度也会变大。家人、恋人、密友的话还可以,但如果是工作关系上的同事、前辈、上司,只是为了工作的顺利进行保持一定的距离感就足够了。没有必要更多地拉近距离。
因为,在公司工作是第一要务。

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