過労死は個人に対する責任を無視している良い例です。それに、日本人は「すみません」の平謝りをやりすぎる傾向にあり、これが個人に対する責任を無視するという結果に結び付けているように思います。あなたがバイト先でお客さんに怒られたとしても、原因が自分の責任の範疇にない場合はあやまらなくてもいいのではないでしょうか。

过劳死就是对个人不负责任的一个最好的例子。而且、日本人低头道歉说“对不起”的倾向太多了,这也就是对个人不负责任相关联的一种结果吧。你在工作地被客人怒喝,原因如果不是自身责任范围的话,即使不道歉,也是可以的吧?

確かに欧米なら、例えば服屋で「なぜSサイズを置いていないのか?」と店員に抗議したところで、店員は謝らないでしょう。店員個人の責任ではないので、店員個人が謝る必要がないというのが欧米的スタンスであるように思います。それに対し、日本の場合は、「店員一人ひとりが店の顔である」という教育を受けるので、店の責任も店員個人の責任も同じものとして扱います。客側も責任の所在をはっきりと区別しようとしません。これが日本でよく見られる個人の責任と集団の責任を混同している一例です。

诚然在欧美国家,例如:在服装店里,客人即使像店员抗议“为什么不放S尺码的商品呢?”店员也是不道歉的吧。欧美国家的立场认为不是店员个人的责任,店员个人没有必要道歉。对此,换做日本的话,由于接受“店员每一个人都是整个商店的门面”这样的教育,店里的责任也要作为店员每个人的责任来对待。客人方面所在的责任就没有明显的区分。这就是在日本常见的个人责任和集团责任混为一谈的一个例子。

「積極的に社会に貢献する責任」は果たしていない
没有尽到积极地向社会贡献责任

「責任」と一口に言っても、その内容は大きく分けて2つあるとオースティンさんは語っています。ひとつは、ルールを破らない、約束は守るという責任。もうひとつは、社会に参加する一員として貢献するという責任です。日本の場合、後者の責任が果たされていないことが多いと彼は言います。

奥斯汀说,责任一言以蔽之,其内容分为两个部分:
其一,不违背规则,遵守约定的责任。其二,作为融入社会一员,所要贡献的责任。他说,在日本,没有尽到后者责任的比较多。

日本はボランティア活動に費やす時間はOECDの諸外国と同程度です。しかしボランティア活動の内容を見てみると、日本人は地域のボランティア活動や学校のPTA活動には積極的に参加するものの、フルタイムで参加する必要のあるNGO活動の参加率は他の国と比較して非常に低いです。また、、イギリスのチャリティー団体CAFおよび、アメリカの世論調査企業ギャラップの調査による、人助け、寄付、ボランティアに関する世界寄付指数では、以下のような結果になっています。

在日本,志愿者活动花费的时间跟OECD各个国家等同。但是如果看志愿者活动内容的话,日本人,积极地参加地方性志愿者活动或者学校的PTA活动,又或者参加必要的NGO全职活动的几率跟其他国家相比是非常低的。另外,根据瑞士慈善团体CAF以及美国舆论调查企业盖洛普的调查,在助人、捐献、志愿者相关的世界捐献指数下,得出以下结果:

2014年度の世界寄付指数調査では、日本は世界135カ国中90位。
日本人の24%が過去1ヶ月間に宗教団体や政治団体、慈善団体等に寄付を行ったと回答。(アメリカは68%)
日本人の28%が過去1ヶ月間に組織的なボランティアに時間を捧げたと回答。(アメリカは44%)
日本人の26%が過去1ヶ月間に異邦人、助けを必要としている見知らぬ人を助けたと回答。(アメリカは79%)

根据2014年度世界捐献指数调查,日本在世界135个国家中排行第90位。
24%的日本人回答说,在过去一个月内去过宗教团体或者政治团体,以及慈善团体等等去捐献。(美国是68%)
28%的日本人回答说,在过去一个月拿出时间来参加组织性的志愿者活动。(美国是44%)
26%的日本人回答说,在过去一个月帮助过有需要帮助的异国陌生人。(美国是79%)

声明:本双语文章的中文翻译系沪江日语原创内容,转载请注明出处。中文翻译仅代表译者个人观点,仅供参考。如有不妥之处,欢迎指正。

下一页>>责任感的特殊性