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おもに三味線の音色にのせて、セリフと節(ふし)で物語を伝える芸能が浪曲です。ほとんどの場合、きれいな布を掛けた演台を前に置いて立って1人で演じます。また三味線弾きは舞台の上手で浪曲師に向かって座っています。決まった譜面はなく、その日の客席の空気に合わせて節の調子を変えるという、三味線と浪曲師との掛け合いの呼吸によって感動が生まれる芸能でもあります。浪曲師によって得意とする節まわしが異なるというのも浪曲の特徴です。

浪曲是一种主要随着三味线音声高低,通过唱词和曲调讲述故事的表演艺术。大多数情况由一人表演,浪曲师前方布置了一个铺有精美绸布的讲桌。另外,弹奏三味线的演奏者一般在舞台的左边(观众看过去的右边),面向浪曲师而坐。浪曲也是一种由三味线与浪曲师默契配合而酝酿出感动的艺术,曲调并没有固定的乐谱,而是根据在场观众席的气氛而改变的,不同浪曲师所擅长的曲调也有所不同,这也是浪曲的特点。

演出《石田三成》的四代目天中轩云月

江戸時代に生まれたいくつもの語り物に、その当時のはやり歌や民謡などを加えて幕末に誕生した芸能が浪曲です。感情を節にのせて歌い上げるので、聞く者も感情がゆさぶられ、明治後半から昭和半ばまでは芸能の王座と呼ばれるほどの人気がありました。レコードやラジオといった新しいメディアも浪曲の発展に役立ちました。しかしテレビ時代になって、浪曲のかつての人気は失われていきます。また昭和には、浪曲独自の節だけでなく、演歌の節も取り入れた歌謡浪曲も生まれています。

浪曲诞生于幕末时代,当时,人们为江户时代流传下来的诸多评话配上时下流行的曲调或民谣。浪曲师的演唱将情感融入于曲调,挑起了听众们的心弦,因而在明治时代后半期到昭和时代后半期,浪曲被誉为“艺能之王”,很受人们的喜爱。 而唱片、广播等一类新媒体也推动了浪曲的发展。然而进入电视的时代后,浪曲却褪去了往日的荣光。另外在昭和时代还诞生了“歌谣浪曲”,除了浪曲本身的曲调以外,吸收了演歌的唱调。

演出《纪伊国屋文左卫门》的梅中轩莺童

人間はうれしい気持ちや悲しい気持ちを抱いた時、思わず声に出すことがあります。そのような気持ちの発散にメロディーがつくことによって歌が生まれました。浪曲はうれしい気持ちや悲しい気持ちなどを歌い上げて、物語を伝える芸能です。ただし、ずっと歌い続けるわけではありません。浪曲では、歌い上げる部分を節と呼び、歌わずに物語を運ぶ部分を啖呵と呼んでいます。啖呵は気持ちが高ぶって歌い上げるまでの助走の役割を果たしています。このような芸能を語り物と呼びます。

人类在感到喜悦或悲伤时,会不由自主发出声音。这种情绪的宣泄被配上了旋律后,就产生出了歌曲。浪曲也正是一种倾吐欢乐或悲伤之情、讲述故事的表演艺术。不过,浪曲也并非连续不断地高歌。其中歌唱的部分被称为“节(曲调)”,叙述故事而不歌唱的部分被称为“啖呵”。“啖呵”起到的作用是让情感高昂,烘托歌唱时的气氛。这样的表演艺术一般称为“語り物”。

節は感情を歌い上げる部分のほかに、物語を説明する時にも使われます。いろいろな調子の節を使うことによって、一席の構成が単調にならないように工夫されています。また、浪曲は浪曲師のその日の気分や観客の反応に合わせて節の分量や音程を変えるという、臨場感を大切にする芸能です。

“节”除了歌唱情感部分以外,也会用于叙述情节的时候。为了让一场表演的构成不显得单调,一般会使用各种不同的音调的曲子。此外,浪曲师会随当场的气氛与观众的响应来改变曲调的分量或音程,所以浪曲是一种十分重视现场感的表演艺术。

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