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庶民が日頃手にするのは、寛永通宝である。江戸時代にもっとも流通した貨幣だ。金貨や銀貨もあったが、長屋住まいの八っつあん、熊さんが小判(金貨)を見たり、使ったりすることは余程のことがない限りないだろう。いや一生なかったかもしれない。

江户庶民平素手上用的是“宽永通宝”。在江户时代,这是流通最广的一种货币。一般分为“金货”与“银货”。不过话说回来,对长屋的房客阿八、熊仔来说,若不是碰上了什么了不得的事,怕是不太能看到小判(金货)或用上它的。或许,他们一辈子都遇不上如此好事吧。

その価値が気になるところだが、小判1枚(一両)は寛永通宝1枚(一文)の4,000~10,000倍に相当する(時代によって換算率が変動)。寛永通宝(一文)は現在の20~25円位に考えればいい。四文(しもん)の寛永通宝も流通していた。人々は、そばを食べるなら四文銭の寛永通宝を4枚、湯屋(銭湯)に行くなら2枚払って使っていた。

话说小判的价值如何算呢。具体来说,1枚小判(一两)相当于1枚宽永通宝的4000到10000倍(根据不同时代换算率会有变动)。宽永通宝(一文)就等价于现在的20到25日元。当时还流通过四文的宽永通宝。人们如果是去吃完荞麦面的话,也就要用4枚四文钱的宽永通宝,如果是去澡堂则只需2枚。

銭形平次がピュッと悪人に投げつけるのがこの寛永通宝。一文銭ではなく、一回り大きい四文銭の方である。こちらは浪銭(なみせん)と言って、裏面に波形がデザインされているのが特徴だ。実際に手に取ってみると、こんなものを投げてもどうにもならないと思えるが、それはそれとして勧善懲悪の時代劇は痛快である。しかし、火薬庫爆発寸前の状況で火縄(導火線)を、投げ銭でスパッと断ち切るシーンには驚いた。

时代剧的主角钱形平次向恶霸投掷的钱币正是宽永通宝。不过他投的不是一文钱,而是比一文钱要打上一号的四文钱。四文钱的宽永通宝称作“浪钱”,其特征是内部设计呈波浪形。实际拿在手上会觉得,投掷这样的东西也完全起不上作用嘛。话虽如此说,惩恶扬善的时代剧中有此场景也着实让人看得痛快。不过平次向即将爆炸的火药库投掷钱币,啪的一声切断了引线,这一幕还是让我吃惊了一下呢。

「親分、てぇへんだ! てぇへんだ!」と、八五郎が親分の住む長屋に駆け込んでくる。捕物帳らしい始まり方で物語が展開し、息の合った二人が鮮やかに難事件を解決していくストーリー、決め手は投げ銭、寛永通宝である。平次親分は明神下、神田明神の東側の坂を下った辺りに住んでいた。その縁で神田明神境内には寛永通宝を台座にした「銭形平次」の碑が建っている。そのには「八五郎」の碑が寄り添うように建つ。余談になるが、「八っつあん」も八五郎という名前。銭形平次は「大江戸八百八町」に目を光らせていた。語呂がいいせいか縁起をかつぐためか、八が多い。江戸の人々は八が大好きなのである。

“头儿,不好啦!不好啦!”,阿八(八五郎)冲进首领住的长屋。这一幕便是《钱形平次》的开始,故事的展开很有捕物帐的风格。接下来的故事中,默契的两人便投入到最新案件的解决中去了,当然,关键时少不了投掷钱币——宽永通宝。走下明神下、神田明神东侧的坡道,附近就是平次头儿居住的地方。因为平次的关系,神田明神境内伫立着一块“钱形平次”的石碑,其台座造成了宽永通宝的样子。其旁边伫立着“八五郎”的石碑,似乎是要朝头儿挨近一般。附带一提的是,“阿八”是“八五郎”的称呼,钱形平次负责“大江户八百八町”的治安工作。不知是念着顺口,还是求个吉利,名字带了“八”的还真有不少。这是因为江户人很是钟爱“八”这个字。

銭形平次は実在した人物ではない。野村胡堂の383編にも及ぶ小説『銭形平次捕物控(ぜにがたへいじとりものひかえ)』のなかの主人公である。映画やテレビ時代劇となって、有名な捕物帳となった。銭形平次の碑は、出版社や映画製作会社、テレビ局、俳優、関係者らが発起人となって、昭和45年に建立されたものである。

钱形平次并不是真实存在的人物。他是小说《钱形平次捕物控》中的主角,作者野村胡堂创作的这个系列小说达到了383篇。这部小说改编成电影或时代剧,被搬上了银幕,成了大家耳熟能详的捕物帐。钱形平次的石碑建立于昭和45年,发起人正是出版社、电影公司、电视台、演员等相关人士。

作者の野村胡堂は小説の構想を練る際、工事現場の銭高組の看板を見て思いついたというエピソードが残っている。“銭高”のままでは商標上問題がありそうなので“銭形”(タカ→カタ)としたという。看板にあった銭高組の社章もヒントになったようだ。そのデザインは寛永通宝のような銭貨をモチーフにしている。

话说作者野村胡堂还有这样一段逸事,当时他在构思小说,正好看到了工地上写有“钱高组”的牌子,突获灵感。而直接采用“钱高”这个名字,会出现商标上的争执,于是他把“高”改成了“形”,就成了后来的“钱形”。工地牌子上的“钱高组”社徽也给了他启发。其设计正是以江户的货币宽永通宝为主题的。

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