中日両国の現代文学の出版市場は、中国の輸入超過がますます激化しており、過去に例を見ないレベルにまで進んでいる。中国の出版会社は、著作権を得て外国書籍を取り扱えるようになると、こぞって日本現代文学の翻訳書を出版する傾向にある。その主な内容は歴史、青春サスペンス、ミステリーなどだ。

中日两国的现代文学出版市场正以中国未曾出现的势头进口入超。中国出版社一旦获得外国书籍出版资质,就倾向于集中出版日本现代文学的翻译版本。主要内容涉及历史、青春冒险、推理小说等。

一方、中国現代文学の日本での出版事情について見てみると、全く違う状況にあることがわかる。1990年代後半、ノーベル賞作家の莫言(ばくげん)氏が初めて日本を訪れた際、筆者は通訳として氏に同行した。氏は東京で講演会を行い、テレビ・雑誌・新聞などのメディア取材に応じ、日本滞在中は精力的に動き回った。氏が訪れた先々で、日本の中国文学研究者たちからは、「莫言氏の初来日は、中日文学史上に残る一大事件となった!」という大きな反響があがった。だが最近、この時のような中国文学に対する日本の反響は、だんだんと小さくなり始め、少なくとも筆者の周囲の研究者は軒並み、「中国人作家が日本を訪れたからといって、取り立てて騒ぐことでもなくなった。むしろ、作品が日本で有名になる前に早々と来日する作家が多い」という共通認識を持っている。

另一方面,从中国现代文学在日本的出版状况来看则是完全不同的景象。20世纪90年代后期,诺贝尔文学奖获得者莫言初次访问日本时,笔者作为翻译同行。莫言在东京举行演讲,接受电视、杂志、报刊等媒体的采访,逗留日本期间不遗余力地到处活动。在莫言到访之前,日本的中国文学研究者也曾有巨大反响,“莫言初来日本,将成为流传中日文学史的一大事件!”然而最近,像这样对于中国文学在日本的反响越来越小,至少在笔者认识的学者一律有着“中国作家访日已无法获取轰动效应,反而是作品在日本出名之前来日的作家比较多”的共识。

中国現代文学に対する日本のメディアの注目度も大幅に低下した。見たところ、「文学」というジャンルは、社会的な問題には太刀打ちできないようだ。日本の出版市場の関心は、中国の外交、経済、金融に集まり、さらには輸入野菜やレジャー・ファッションにまで及んでいる。これらの話題はいずれも、「文学」より重要なテーマなのだ。女流作家の安妮宝貝(アニー・ベイビー)氏に同行して日本を訪れた時、日本最大の新聞社「読売新聞」が取材に訪れた。筆者は担当記者から、彼が最終原稿を取りまとめた時点で、「本当に申し訳ないことに、もともとは多く書く予定だったが、中国産野菜の農薬過剰問題が紙面の大部分を占めることになり、安妮宝貝さんの記事は割愛することになった。ご本人にくれぐれもお詫びの気持ちを伝えてほしい」と告げられた。このようなケースは、新聞界のみならず出版界でも同様で、非常に権威のある中国文学研究者が中国現代小説を紹介する際にも、同じような状況に突き当たる。なぜなら、日本の出版界では中国文学に対する理解が欠けており、社会の世論に左右されるためだ。中国小説は売れないと決め付けられ、出版後、失敗を見る可能性が大きいと判断される。このような現象について、蘇童氏の小説「碧奴」を翻訳した中央大学の飯塚容教授は、「今後、中国小説の翻訳の多くは、大学の研究経費によって行う必要があるだろう」とコメントしている。

日本媒体对中国现代文学的注目程度也大幅下降。乍看“文学”范畴已经不是社会问题的对手。日本出版市场所关心的集中于中国的外交、经济、金融,甚至涉及蔬菜进口和娱乐时尚。这些话题都比“文学”更为重要。笔者和女作家安妮宝贝访日时,接受日本最大报社《读卖新闻》采访。责任记者告知笔者,他最终整理成稿时,“非常抱歉,原本计划多撰写一些,但中国产的蔬菜农药过量问题占据了大部分版面,安妮宝贝的报导只得割爱。请向她本人转达我们深深的歉意。”类似情况不仅出现在报纸界,出版社界亦如是。极具权威的某中国文学研究者在介绍中国现代小说时,也遭遇类似的处境。为什么会出现这种情况?那是由于日本出版界对中国文学缺乏理解,而受到社会舆论的影响。就此现象,翻译苏童小说《碧奴》的中央大学饭冢容教授说道“今后大多数中国小说的翻译需要利用大学研究经费来进行吧。”

その原因を掘り下げると、以下のことが思い当たる。

深究其原因,便想起一些事来。

中国社会の急激な変化、経済の急成長、社会問題の多様化によって、日本の読者は、中国を見るとき、まるで万華鏡を見ているような気持になる。連日、多くの社会ニュースが、これまで馴染みのなかった中国の現実に取って代わるようになった。そして、中国文学から中国を垣間見ようとする情熱が、巨大な変化に直面して茫然と立ち止まってしまったかのようになった。つまり、中国現代文学は、日本が中国を理解する流れのなかで、置き去りにされてしまったのだ。

中国社会急剧变化、经济突飞猛进、社会问题多样化,日本读者看待中国时犹如在窥视万花筒一般。连日来,许多社会新闻将历来并没有那么熟悉的中国现实取而代之。而从中国文学来管窥中国的热情也在直面巨大的变化时茫然而止。换言之,中国现代文学已在让日本了解中国的潮流中被遗弃。

郭敬明氏の小説の翻訳を手掛ける翻訳家の泉京鹿氏は、「毎日、中国の小説を原文で大量に読むが、時にはやるせなさを感じる。中国の若手作家による小説は大好きだが、出版に関する出版社との交渉は極めて難しく、思わず気がふさいでしまう」と話した。

翻译郭敬明小说的翻译家泉京鹿如是说“每天大量阅读中文小说原文,有时会觉得没什么干劲。虽然非常喜欢中国青年作家的小说,但与出版社交涉出版事宜极为困难,不免郁闷不堪。”

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